2001 : A SPACE ODYSSEY
『2001年宇宙の旅』(1968年)


1968. US 1 Sheet (Style B. Moon Men). 27X41inch.
Folded. Linen-backed.

■この映画に関する覚え書き〜その1〜

 1978年夏に公開された『スター・ウォーズ』で頂点に達したSFブームに便乗した形で、その年の秋、『2001年宇宙の旅』はリヴァイヴァル公開された。テレビCMを偶然目にした小生は、スチルでは何度も見て知っていた画が動いているというだけで凍りつき、失禁しそうなほど驚き、興奮した。「この映画は『スター・ウォーズ』以前に創られた永遠不滅の作品である」というナレーション。広川太一郎の声だったと記憶している。

 そして小生は父親に連れられて上京、銀座の今は無き「テアトル東京」にこの映画を見に行った。シネラマ用の湾曲した巨大スクリーンを有する大劇場だ。中学1年生の時であった。 
 のんびり気分で劇場に向かった小生たちは、劇場入り口からズルズルと延びた長蛇の列に驚く。大変な混雑ぶり。おかげで2階の後ろの方の席に座らされるハメに。無念だが仕方がない。それでも、クライマックスの「スター・ゲート」の場面ではちゃんと「トリップ」出来たのだから、映像の巨大さは機能していたのだろう。

 この作品は「シネラマ」上映用(3分割されたフィルムを3台の映写機でシンクロ投影する)に作られたが、この時の上映では「70mm」フィルムが使われ、シネラマ用スクリーンに映写された。だからキューブリックが本来想定していた上映方式では見ていないことになる。しかし、1000人以上収容出来るような大劇場が姿を消してしまい、70mmフィルムの上映すら過去のものとなってしまった現在の状況を考えれば、あの時のシネラマスクリーンでの鑑賞は小生にとって最初で最後の幸福な『2001年宇宙の旅』上映になってしまった。

■月世界の戦慄

 『2001年宇宙の旅』のストーリーラインは大きく「猿人」「宇宙ステーション」「月面」「木星」「スター・ゲート」の5つに分けられる。このうち小生が最も好きなのが「月面」のシークェンスである。
 球体の宇宙船「エアリーズ号」がゆっくりと降下し月面基地へと着陸。そこからモノリス発掘現場までは「ムーンバス」で移動するのだが、ジョルジ・リゲティ作曲「永遠の光を(LUX AETERNA)」の静謐で冷たい響きが、荒涼とした「墨絵」のような月世界のBGMとして怖ろしくマッチしている。クレーターの巨大な岩壁と広大な砂漠、そして画面奥はるか遠く闇の中を飛ぶ「ムーンバス」が生む、クラクラするようなパースペクティヴ。
 その他のシークェンスでも、「手前を飛ぶシャトルとはるか奥で回転するステーション」や「ディスカヴァリー号からどんどん離れるポッド」など、同様の画面構成が作り出す「孤独感」や「浮遊感」が、広大な宇宙でしか味わえないであろう恐怖感をかきたてる。『2001年宇宙の旅』でキューブリックはテクノロジーの進歩を高らかに謳っているように見えて、実は人間という存在が抱える根源的な不安を巨大スクリーンに投影したかったのではないだろうか。

 天文&未来画家であるロバート・マッコールがこの映画のポスターのために描いたイラストは4種類。「宇宙ステーションとシャトル」「月面探査」「ディスカヴァリー号船室」「ディスカヴァリー号とポッド」である。この中でビデオやDVDのジャケットにもなったりしてよく知られているのは「宇宙ステーションとシャトル」だが、当然小生が選んだのはここに掲載した「月面探査」ヴァージョンである。イラストの緻密さもさることながら、「a space odyssey」というタイトル文字のバランスが素晴らしい。「p」とそれを反転させた「d」、そして2つの「y」が作るバランスとリズムが美しすぎる。



1974. US Heavy Stock Paper. Style D : Starchild.
30X40inch. Rolled.

■この映画に関する覚え書き〜その2〜

 1979年、隣町の栃木県足利市の映画館で再びこの映画を見る。当然35mmフィルム上映。なんと、どういうわけか『衝動殺人 息子よ』『男はつらいよ(のどれか)』という松竹映画との3本立てであった。恐ろしい・・・・。
 今思えば、場内消灯後「MGM」のマークが映し出される前に3分ほど流されるリゲティの「無限の宇宙(Atmospheres)」が割愛されていたように思う。恐らくエンド・クレジット終了後に延々と流れる「美しき青きドナウ」もフェイドアウトだったろう。「Intermission」(HAL9000がボウマンとプールの唇の動きをポッドの窓から盗み読む場面の後で休憩が入る)も無視されていたかも知れない。しかも画面奥から手前に飛んで来る「ムーンバス」のシーンでフィルムが切れるというトラブルも。要するにかなり適当な上映だった。

 1980年になり、この作品はテレビ朝日「日曜洋画劇場」にてテレビ初放映された。家庭用のブラウン管などでは全く機能しない映画である『2001年宇宙の旅』がTV放映されたことは、当時ちょっとした事件だった。スタンダード・サイズにトリミングされたこのヴァージョンは、キューブリック監修のもとテレビ用に編集されたと言われた。本編開始前の解説で、淀川長治がこの作品を「美術品である」と興奮気味に語ったのを憶えている。

 1983年、「有楽座」(現在日比谷シャンテが建っているところにあった大劇場)でのリヴァイヴァルを見に行く。結果的にこれが大スクリーンでの最後の鑑賞となった。晴海通りを挟んだ反対側、「日劇」(現在は有楽町マリオンが建っている)に入っていた「丸の内松竹」では、ちょうど『時計じかけのオレンジ』『シャイニング』のリヴァイヴァル上映中で、「今日はキューブリック・デー」などとほざきつつ通っていた高校の友人と連続鑑賞した。

 その後世の中は大ビデオ時代に突入。いつでも好きな時に『2001年宇宙の旅』を鑑賞出来るようになったのだが・・・・。

■究極のトリップ

 マッコール描く4種類のイラスト版ポスターの他には、ラストシーンで登場する「スターチャイルド」を使った写真版ポスターが2種類存在する(「Style D」と「Style E」)。両方ともコピーは「the ultimate trip」。この映画で描かれる旅は人類にとって究極の旅に違いないが、この場合の「trip」とはマリファナやLSDによる幻覚作用のことであろう。『2001年宇宙の旅』は公開した当初評論家ウケが悪く、ファミリー層の観客にも理解出来なかったようだ(そりゃそうだよな)。この映画をもてはやしたのはどうやら「一発キメた」ヒッピー達だったそうである。「科学映画」として売ろうとしたがダメだったので「跳べる映画」へと路線変更した結果が後発のポスター2種類、というわけだ。そのうち「Style D」(最もレアなヴァージョン)は思いっ切り‘サイケデリック’なデザインであると言っていい。



1968. Spanish photo poster. 27X40inch. Rolled.

■この映画に関する覚え書き〜その3〜

 次に劇場で見ることになるのは1995年、銀座文化劇場(現「シネスイッチ銀座」)でのリヴァイヴァルである。配給はCICからヘラルドに移っていた。判っていたことではあるが劇場自体が小さく、またプリントの状態も音響も悪かったため見に行ったことをちょっと後悔した。

 時は流れて2001年。キューブリックはアニヴァーサリー・イヤーを待たずして1999年3月7日に死去。アメリカ、ヨーロッパでの記念上映に続いて、日本でもリヴァイヴァルされることになった。劇場は「ル・テアトル銀座」。つまり初公開したシネラマ劇場「テアトル東京」の跡地に建設されたホテルの中にある演劇用の劇場である。
 主催者側の「かつてその場所で『2001年』が公開された」という、ただその1点のみへのこだわりから、あまりにもお粗末なスクリーンと音響設備での上映を強いられたこのやる気の無い記念上映に、小生は失望と怒りを隠せなかった。新宿にも有楽町にも、あれだけ大きなスクリーンと優れた音響設備と70mmフィルム映写機を持つ大劇場があったというのに!

 2003年、池袋「新文芸坐」での名作特集上映の中で、『現金に体を張れ』との2本立てを見る。この時の上映でつくづく感じたのは、「Exit Music」の意味をもはや誰も知らない、ということだ。
 前述のように、『2001年宇宙の旅』では「スター・チャイルド」のクローズアップの後エンド・クレジットと同時に始まる「美しき青きドナウ」が、「THE END」という文字が出てからも延々と流れる。これは「Exit Music」と呼ばれ、場内を明るくして観客をロビーへと退出させる際のBGMという意味を持つ。つまり「THE END」という文字が現れた後は、客を出す出さないに関わらず場内の照明を点灯させなければならないのだ。昔のハリウッド映画には珍しくなかったスタイルだが、もはやこの事を知る者が上映側におらず、観客側にも少ないのだろう。だからエンドマークが消えた後、3分以上に渡って真っ暗な画面を見ながら「美しき青きドナウ」を聴くしかない、というなんともマヌケな状況を強いられることになる。老舗の名画座である新文芸坐だけはそんな愚行を犯して欲しくなかったのだが。

■Fly Me To The Moon

 前述のようにこの映画の中で最も小生をウットリさせるのが月面のシーン。最初に月表面のディテールが出現するのが、このポスターにある「エアリーズ号」の降下シーンである。カメラ位置はエアリーズに固定されているため、ゆっくりと月面がせり上がって来るという演出なのだが、これがもう小生のツボ。この完璧に美しいムーン・ランディングは、驚くなかれ、アポロ11号が月着陸を果たす以前に作られたものだ。小さな窓から赤い光が漏れているが、TVモニターではなく劇場のスクリーンで見ると中で乗務員が動いているのが確認出来る。
 キューブリックがこの作品で見せる映像は魔法だ。手間ひまをじっくりかけて完成させたこの映画のSFXは、CG全盛の現代にあってとてつもなく贅沢で、その贅沢さゆえにもはや再現不可能である。『2001年宇宙の旅』は「もう2度と作れない映画」なのだ。

 月を見上げる時、小生はいつもこの映画のことを思い出している。アポロ11号が撮って来た映像ではない。人類はもう宇宙開発なんかしなくていい。小生が生きている間に人間が木星になんか行けるわけがない。キューブリックが全部見せてくれた。もう何を見ても驚かない。



2001. British Quad. 30X40inch.
Double-sided. Rolled.

■今でも、そしてこれからも

 マッコールのイラストと「スターチャイルド」をうまく合成した、「2001年記念上映」のためのポスター。このデザインは横型でこそ生きる。
 イギリスはなんと言ってもキューブリックが骨を埋めた国である。それにこの作品はロンドン郊外のボアハムウッドにあったMGMスタジオで撮影された。イギリスはどこまでも『2001年』ゆかりの地なのだ。きっとレスタースクエアのEMPIRE劇場あたりがちゃんと70mmプリントで上映したことだろう。なんとも羨ましい話だ。
 
 「いまだ究極の旅」・・・・いや「この先も」だ。
 願わくば世界のどこかでシネラマによるオリジナル上映を再現してくれんことを。