BLADE RUNNER THE DIRECTOR’S CUT  
『ディレクターズ・カット 最終版』
(1992年)



1992. British Quad. 30X40inch. Rolled.

「ディレクターズ・カット 最終版」は各国ともアルヴィン・アートで統一。
82年当時US1シートではトリミングされていたイラストを、このBQはワイド収録している。

■由々しき問題

 初公開から10年、『ブレードランナー』はリドリー・スコット自身の手によって、当初そうなるはずであった形となって帰って来た。
 ナレーションも無い。拍子抜けのハッピー・エンドも無い。他の作品の「完全版」とは違い余計なものを削ぎ落としたおかげで上映時間は短くなっている。だが新しく付け足されたものもある。そして、その場面が意味するものは長年のファンにとって驚愕かつ深刻な問題であった。
 リック・デッカードはレプリカントだったのだ(これには諸説あるがとりあえずリドリー・スコットはそう明言している)。

■ヨーロピアン

 実は、小生は「初公開版」にあったナレーションを悪いと思ったことはなかった。投げ遣りで不機嫌そうなフォードの語りはハード・ボイルドの匂いを放っているように思えたからだ(ただしそれは小生が英語オンチだからで、英語圏の人にはとんでもない棒読みに聞こえるらしい)。

 しかしナレーションの全く入っていないこの『最終版』を見て改めて痛感したことがある。
 それはヴァンゲリスの音楽が全面に出されることで作品の「官能性」が増したことである。
 プログレッシブ・ロック出身で、『天国と地獄』『反射率0.39』などのヒット・アルバムを持ち、TV番組『COSMOS』で世界中にその才能が知られることとなったヴァンゲリス。彼が奏でる、重厚で荘厳なメロディ、退廃的でウェットな手触りを持つシンセの音色と多様なパーカッション(特に鐘の音)のアクセントが、この作品に吹き込んだものはあまりにも大きい。
 彼はこの前年に担当した『炎のランナー』でアカデミー賞を獲得しているが、映像と音楽の密着度を考えると『ブレードランナー』の方がはるかに優れていると思う。

 ギリシャ人作曲家のヴァンゲリス、イギリス人監督のリドリー・スコット、オランダ人俳優のルトガー・ハウアー(ラスト、屋上で仁王立ちする彼の背後で回るファンは故郷の風車を連想させる)・・・・2019年のL.A.はアジア文化でごった返していたが、それを包んでいたのは実にヨーロッパ人の感性だったのだ。

■教科書

 2004年、加藤幹郎著「『ブレードランナー』論序説」(筑摩書房刊)という本が出版された。カットごとに細部を取り上げあくまでも「映画術」「映画史」の中で論考し、「『ブレードランナー』とはどんな映画だったのか」という、実は最も基本的で重要でありながらも長年放置されて来た問いへの、恐らく初めての本格的なテキストである。
 これを読むと、「デッカードは人間かレプリカントか」など愚問であったことが判る(加藤氏は「ディレクターズ・カット版」を認めていない)。1982年初公開版の画面上に存在するものだけに眼を向けて作品を読み解こうとする氏の純粋な分析行為は、制作裏話やトリビアの類に振り回され続けて来た者にとっては新鮮で、今更のように刺激的である。
 ただし、カバー写真が反転しているのはいただけないが。



1992. French. 16X23inch. Folded.

こちらはイラストをトリミングするどころか、なんとブラスターの先端を描き足している。
もちろんジョン・アルヴィンによる筆ではなく、この映画を見ていない者の仕業であろう。
それにしても・・・・一体どういうつもりだろうな・・・・。