BLADE RUNNER THE FINAL CUT
『ブレードランナー ファイナル・カット』(2007年)

2007. US 1Sheet. 27X40inch. Double-sided. Rolled.



サンディエゴ・コミック・コンベンションで配布されたミニ・ポスターの裏・表。

■祭りの年

 映像ソフト市場がビデオ・LDからDVDへと移行したにも関わらず、『ブレードランナー』の新しいソフトは、大して画質の良くない、映像特典の収録されていない『ディレクターズ・カット 最終版』のDVDのみという状況だった(しかも一時期は生産終了の廃盤状態という体たらくでさえあった)。

 しかし初公開からちょうど20年経った2002年、確実に何かが起こりそうな空気があった。コンピュータを使って修正や補修を施した新たなディレクターズ・カットをリドリーが作っているらしい・・・・ワーナーが「ワークプリント」を含むDVD−BOXをリリースするらしい・・・・ネット上に踊ったリークなのか妄想なのか判別がつかない噂に世界中のファンは色めき立ち、踊らされた。
 だが結局何も起こらなかった。
 ワーナーが20周年という絶好の機会を逃したことに失望したが、製作当時から利権問題が複雑だったこの映画のこと、そうすんなりと事が運ぶとも思えなかったし、出資者の1人であるジェリー・ペレンチオがこのプロジェクトに待ったをかけたという噂はどうやら事実だった。
 その後もDVD化計画についての話題は何度か浮上したものの、どれも真偽が定かでなく、『ブレードランナー』のコレクターズDVDのリリースはもはや都市伝説になりつつあった。
 だから、2007年5月、ジョアンナ・キャシディが25年間保存して来た衣装を着て「新バージョン」のために再びゾラを演じた、という話題を目にした時、「ああ、またか、もういいよそんな話」と本気にしなかった。

 しかしその2ヶ月後、サンディエゴ・コミック・コンベンションにおいて、その話が本当だったことが判明する。そしてそこでリリースが発表された『ブレードランナー ファイナル・カット』を含むDVDセットは、ファンを狂喜乱舞させるものだった。

■ストルーザン再臨

 1982年の初公開時、実はドゥルー・ストルーザンにもポスター・アートの依頼があった。当時彼は素晴らしいイラストを描いたが、修正を依頼されている途中でジョン・アルヴィンのイラストの採用が決定してしまう。ストルーザンのイラストはポスターには採用されなかったものの、後にペーパーバックの表紙やスーヴェニア・マガジンの裏表紙を飾ったものだ。

 2001年、ストルーザンは再び『ブレードランナー』のイラストを依頼される。リドリー・スコットは彼のイラストをずっと気に入っていたらしい。今度はポスターではなくDVDのパッケージ用であるが、その後結局DVDのリリース自体が暗礁に乗り上げ、ストルーザンの仕事はまたもや幻になりかける。現在では書き換えられているが、自身のウェブサイトでストルーザンは「アーティストは完成品の夢を見るか?」とシャレの利いた愚痴をこぼしている(イラストの完成は2003年とサインの下に書かれている)。

 2007年、サンディエゴで「ファイナル・カット」の完成が発表され、ストルーザンによるメイン・ヴィジュアルがお披露目された時、その“祭り”が、「ディレクターズ・カット」の時とは違う真に素晴らしいものになると確信した。
 ペーパーバック版イラストの構図を踏襲しつつも、キャラクターそれぞれの表情がより生き生きと描き込まれ、『ブレードランナー』然としたイメージへと更に近付いた新しいイラスト。作品を彩っていた日本語のネオンが忠実に描かれているのも嬉しい。前回のイラストもそうだったのだが、ストルーザンを「わかってるなぁ」と思わせるのは、彼がちゃんと「雨」を描き入れるところだ。
 ストルーザンのイラストは25周年という祭りに添えられた最高の華である。

■新しいロゴはなぜピンボケなのだろう

 上のポスターは、DVDリリースに先立ち、ニューヨークとロザンゼルスで限定公開が決まった際に製作された「ファイナル・カット」の劇場版ポスターである。サンディエゴのコミ・コンで配布されたミニ・ポスターからストルーザンのサインを消しただけの同じデザイン。初公開版ポスターにあったタイトル上のハリソン・フォードの名前はロゴが変更され、クレジット部分も流行の形に直された。US1シートのサイズで見るとかなり迫力があり、精緻な筆運びが良くわかる非常に美しい印刷である。
 ただし、上部がトリミングされ、そこへ無理矢理タイトルを挿入したせいで、左上に描かれた上昇するスピナーが跡形も無くなっているのがすこぶる残念だ。ハリソン・フォードの右側の「理」という字の上には「料」という字もあったのだ。
 だが最も理解に苦しむのは、肝心のタイトル文字の輪郭がぼやけていることである。「THE FINAL CUT」のロゴはカチッとしているというのに、「BLADE RUNNER」のロゴもその右上の「TM」もどういうわけかピンボケだ。ところどころに「ギザ」も見える。コンピュータで加工した小さなロゴを無理矢理拡大して貼り付けた、ということなのだろうか。
 この新しく作られたロゴは、25周年記念の3枚組CDおよび新装版ペーパーバックでも、ポスター同様に寝ぼけている。

■ジョン・アルヴィン逝く

 DVDに収録された映像で判明したのだが、実はジョン・アルヴィンもまた25周年のためのイラストを描いていた。他にも彼はポスター・アートとは別に、独自の解釈で描かれた様々な『ブレードランナー』のイラストを残している。しかし残念ながらそのどれもが、構図、色使い、俳優に似ているか、の点で今ひとつだ。はっきり言えば、安っぽく、冴えないものばかりである。
 それを思うと初公開版のイラストは、作品の雰囲気やコンセプトをなかなか的確に表現していたことがわかる。しかも今回のDVDで彼が語っていたところによると、当時イラストを描くにも資料が乏しく、ブラスター(拳銃)を持つデッカードの手は、モデルガンを持ったアルヴィン自身の手を描いたものだったという。

 DVDでは元気そうな姿を見せていたジョン・アルヴィンだが、リリースから2ヶ月経たないうちに亡くなった。
 『ブレードランナー』という映画が輝き続ける限り、アルヴィン作画によるポスターも不滅である。


2007. British Quad. Limited copy by laser printer. 30X40inch. Rolled.

■○「完全版(国際版)」  ×「ディレクターズ・カット 最終版」

 「ファイナル・カット」は9月にヴェネチア映画祭でお披露目された後、10月にニューヨークとロサンゼルスで、11月には東京と大阪で期間限定公開された。プリントの作られなかったこの作品は、デジタル上映設備のある劇場でしか公開出来なかった。

 92年、「ディレクターズ・カット 最終版」を新宿東急で見た時、そのあまりにもハンパな出来に落胆し、お粗末な画質・音質に目を疑い、デッカードがレプリカントであることを示唆したラストに「余計なことしやがって」と腹が立った。
 だから小生の場合、それ以後10年以上に渡って繰り返し見て来たのは、「完全版(「国際版」)」のレーザーディスクである。拍子抜けのハッピーエンドには何度見ようが苦笑するしかないが、ハリソン・フォードのナレーションが嫌いではないし、最大の理由は・・・・これはもう仕方のないことだが・・・・小生が初めて見た『ブレードランナー』に近いのはこのヴァージョンだから、である(と言うか、当時恐らく3度目あたりに見た地方館で数秒長いこのヴァージョンを見た記憶がある)。
 リドリーにとって不本意な出来とは言え、初公開時のヴァージョンこそが『ブレードランナー』である、「最終版」など認めるものか、という思いは固かった。
 「ファイナル・カット」を見るまでは。

■25年目の衝撃

 深いリヴァーブのかかった「ドーン」という衝撃音が大音量で響き、漆黒のスクリーンに真っ白なクレジットが全くブレることなく浮かび上がる。この瞬間小生は、初めて『ブレードランナー』を見た日に戻っていた。あれ以降名画座やビデオ・LDで数え切れないほど繰り返し見て来たものが、その時全て消し飛んでしまった、と言っては大袈裟だろうか。
 デジタル技術によってクリアになったものを無垢のまま投影したおかげで、当時のスタッフたちが作り上げた隅々まで精緻を極めた世界に、初めて見たかのように圧倒され、はるか奥まで広がるロサンゼルスのあまりにも蠱惑的な冥界風景に、あの日以来久々に息を飲んだ。既存のヴァージョンとどこがどう変わっているかなど判らなくなりそうなほど、どこもかしこも新しく見えた。

 映画をピカピカにしたのは映像だけではない。ヴァンゲリスの官能的なスコアだけではなく、新たに追加され、またリミックスされた雨音・雑踏・通信音・機械音など、あらゆる都市の騒音がシンフォニーとなってハリソン・フォードのナレーションの代わりを務める。これほど効果音が有機的に機能している映画にこれまで出会ったことがない。

 オリジナルの空気・ニュアンスを損ねない範囲でのディテール・アップ(タイレル社の向こうに夜景がせり上がって来るショットは見事だ)、スタントのすげ替えやミスの訂正も施され、いくつかの未公開ショットを盛り込みながらも極自然な編集で違和感無く見せる(デッカードがタフィ・ルイスの店に辿り着くまでのシークェンスはこれまでで最高だ)。
 『エイリアン ディレクターズ・カット』で自らオリジナルをぶち壊してしまったリドリー・スコットであるだけにかなり心配だったが、ジョージ・ルーカスのような愚行を犯さずに済んだのは何よりだ。精密に作りこまれたスピナーのミニチュアや味わい深い背景画をすべてCGに置き換えてしまった『ブレードランナー』など、考えただけでゾッとする。

■金字塔

 長い間『2001年宇宙の旅』がSF映画の金字塔だと思って来た。『ブレードランナー』は、金字塔と呼ぶにはあまりにも完成度が低かった。
 『ブレードランナー』という作品はそもそも欠陥品であった。設定上の謎(目が光るレプリカントにVKテストをする必要があるのか、など)や明らかな編集ミスが放置され、展開のぎこちなさや不合理はナレーションをもってしてもフォローし切れていない。脚本家が途中で交代した段階でピントが外れ、雨と煙にむせながらの夜間撮影で現場はカオスになり、アメリカ人スタッフの中で孤立したイギリス人監督は疲労困憊していた。彼ら全員の混乱ぶりがそのまま定着することになった膨大なフィルムを、編集でなんとかやっつけたという意味では、『地獄の黙示録』と似ているかも知れない。

 本来の形になるまでに25年という年月を必要とし、4度も姿を変えねばならなかった作品を「失敗作」と言わずにどう言えばいいのか。
 だがこの失敗作は四半世紀もの間輝きを失わなかった。いや、失敗作だからこそ、と言うべきか。
 ヴァージョンを新たにし、映像メディアを移しながら、見る者を魅惑し、虜にし続けたこの作品は、大袈裟に言えば映画よりも「魔法」や「錬金術」に近い。60年代にヒッピーたちが『2001年宇宙の旅』を「トベる映画」としてもてはやしたように、80年代を生きた我々にとって『ブレードランナー』は、ドラッグ無しでトリップ出来る装置だったのだ。

 「ワークプリント」から始まって5つ目にあたる「ファイナル・カット」で、『ブレードランナー』はなんとか着地点を見つけることが出来た。後世に伝えられるのは恐らく「ファイナル・カット」だろう。その時「初公開版」と「完全版」は<名誉『ブレードランナー』>という地位に納まり、「最終版」の存在価値は参考資料程度になっているかも知れない。

 80年代を代表するカルト・ムービーは、21世紀になって磨き上げられ、SF映画史における記念碑として『2001年宇宙の旅』の隣に堂々と並ぶことが出来た。初公開から25年の間、『ブレードランナー』を超えるSF映画は1本たりとも生まれなかった。『ブレードランナー』を超えられた映画は、結局『ブレードランナー ファイナル・カット』だけだったのだ。

■イギリスらしからぬ

 イギリスでは「Picture House」という、主にアート系映画を上映する劇場チェーンで限定公開された『ファイナル・カット』。通常印刷のポスターではなく、レーザー・プリンタで極少枚数出力されたものだが、どう見てもインスタントなこのポスターは現地のファンにも不評だったらしい。イギリスだけにデザインも、『ディレクターズ・カット 最終版』の時のようにノー・トリミングのイラストを配した独自のものになると期待していたのに、なんともハンパな仕上がりだ。
 タイトルの下には、雑誌「EMPIRE」による「真の名作」というコメントと五つ星が書かれている。初公開以来『ブレードランナー』のポスターは各国版とも、雑誌や評論家からのコメントを載せたよくある「レビュー・スタイル」を採用することは無かったから、こういうのはまあ珍しいと言えば珍しい。