THE ABYSS
『アビス』(1989年)

1989. British Quad. 30X40inch. Rolled.

■アンダー・プレッシャー

 80年代最後の年、何故かちょっとした「深海SFバブル」があった。と言うか、先に公開された『ザ・デプス』も『リバイアサン』も単なる便乗型クソ映画だった。そして満を持して公開された(日本では翌90年)本家『アビス』は、そんなクソを足元に寄せ付けないどころではない、真にエポックメイキングなSF映画であった。『アビス』があったからこそ『ターミネーター2』があり、その後『ジュラシック・パーク』が作られ、デジタルSFXの発達が加速することになる。

 深海に棲む地球外知性が操る例の「ウヨウヨした水」が当時話題になったものだが、そんなデジタルSFXはすぐに風化した。この映画を唯一無二の作品にしているのは、何と言っても水中撮影の素晴らしさだ。建設途中で遺棄された巨大な原子炉内にセットを組み、そこに水を張ってから水面をふさいで完璧な深海を再現。俳優の顔がよく見えるように作られた新型の水中ヘルメットをはじめ、この映画のために開発された技術や撮影方法も多く、ダイビングの訓練をして1日数時間潜りっ放しという過酷な撮影に臨んだスタッフ・キャストともども、『アビス』の制作がいかに大変なトライアルであったかは、メイキング・ドキュメント『Under Pressure』に詳しい。しかしそんなものを見ずとも、完成した映画の信じられないような映像美とパワフルな見せ場の連続で察しがつくというものだ。この水中シーンのノウハウがあったからこそ『タイタニック』も完成し得たのである。

■オマージュ?パクリ?

 『アビス』はジェームズ・キャメロンが学生時代から温めていた企画らしいが、実はSFクラシックの寄せ集めのような作品である。
 世界情勢が一触即発の危機にあるところへ地球外生命体がその存在を示すことで人類の進歩を促すというラストは『2001年宇宙の旅』から戴いちゃったものであるし、ひとり海溝深く沈んでいくエド・ハリスの遠景や、その後通り抜けるUFO母船の光のトンネルなど画的に似ている場面もある。
 『未知との遭遇』からは、メアリー・エリザベス・マストラントニオが水中UFOと対峙・接触するシーンの他、母船が海溝からせり上がって来るクライマックスも。
 深海からのSOSに応えて現場に赴くのが、ボーナスに釣られた海底油田の採掘労働者という要素はまんま『エイリアン』で、採掘基地を小型潜水艇が引っ張ってる図は「ノストロモ号」に見えるし、海底UFO母船の中でエド・ハリスがヘルメットを脱ぎ液体酸素を吐き出す場面のカットの繋ぎは、オープニングでジョン・ハートが冷凍睡眠から目覚めるシーンに酷似している。
 おまけに、海底採掘基地へと小型潜水艇が降下していくショットは、『ブレードランナー』中の名シーンである警察ビル上空で旋回するスピナーを捉えた場面を彷彿とさせる。

■キャメロンの最高傑作

 それでも『アビス』は素晴らしい。戴いちゃってもあれだけ上手に消化していればOKだ。しかも他作品には無いものを物語の骨子にしている。それは離婚を控えた夫婦が未曾有の危機に直面することで生まれる「愛の再生」だ。
 浸水した潜水艇で1着しか無い潜水服を譲り合う夫婦。そして仮死状態の妻を抱えて基地まで泳ぎ、半狂乱で蘇生させようとする夫。決死の覚悟で海溝を深く深く降下して行く夫と泣きながら交信する妻。エド・ハリスとM・E・マストラントニオ迫真の演技によるかつて味わったことないほどエモーショナルな夫婦劇には、見る度に心を揺さぶられる。「Abyss」(底知れぬ深淵)というタイトルは、もちろんこの「夫婦愛」とのダブル・ミーニングである。
 ジェームズ・キャメロンのフィルモグラフィ中、もしかすると世間的には最も評価の低い作品なのかも知れない。見せ場やメッセージを詰め込み過ぎてストーリーは破綻気味だし、これ見よがしな説教臭さも鼻につく。何と言ってもあまり出来の良くない地球外生命体の造型とラストで海面に浮上する超巨大母船のサイケなデザインが、それまでリアルに構築して来たドラマからあまりにも浮いていて驚愕だ。あの宇宙人、あのUFOさえ無ければ・・・・いやいや目をつぶろう。あのラストだけで駄作として片付けるのは愚かであり盲目というものだ。
 『アビス』はジェームズ・キャメロンにとってトライアルかつパーソナルであるがゆえに制御不能となった作品であり、だからこそ彼の作家性が最もストレートに現れたフィルムであると確信する。破綻にこそ本性が見える。特にジェームズ・キャメロンのような監督の場合は。『アビス』がキャメロンの最高傑作であるという思いはいまだに変わらない。

 『アビス』のポスターの要は「Y」が下へと延びてビカーッと光ったこのクールなタイトル文字にある。アメリカ版ポスターなど、このタイトルとクレジットだけで押し切ってるほどだ。小生の心を捉えたのはこのUK版(ヨーロッパではほぼこのデザイン)。何と言っても両脇に描かれた岩壁でちゃんと「Abyss」を表現しているのがポイント。