AUSSER ATEM (A Bout De Souffle)
『勝手にしやがれ』(1959年)

1974. German. 23X33inch. Rolled.


■息切れ

 1983年、有楽町駅前の有楽シネマでの『気狂いピエロ』のリヴァイヴァル上映時の併映として、『勝手にしやがれ』を見ているのだが、『気狂いピエロ』から食らったあまりにも強烈なパンチに朦朧としたまま見せられたゴダールの長編デビュー作を楽しむ余裕は無かった。あまりにも美味過ぎる2本立ては考え物である。
 4月2日に始まったこのリヴァイヴァル上映、当時どういう雑誌が焚き付けたのかは知らないが、土日などは満員御礼の大ヒットで、5月下旬に併映が『勝手にしやがれ』から『彼女について私が知っている二、三の事柄』に差し替えられるまで、小生は3度足を運んでいる(つまり『気狂いピエロ』は合計4回見に行っている)。『勝手にしやがれ』をまともに楽しむことが出来るようになったのは、3度目になってからだった。

 アメリカでドラッグストアを襲ったフランス人青年が本国へと送還される船の中で、アメリカ人ジャーナリストの女性と知り合う。彼女は有名人へのインタビューのため渡仏するところだった。青年はこの女性に恋し、彼女がインタビューに行く先々について行ったという。そしてある時、青年はパリで車を盗み、田舎に向かってハイウェイを走っているところを白バイ警官に捕まり、警官を射殺してしまう。彼はすぐに全国指名手配され、上映中の映画館でさえ捜査・一斉検挙の対象となった。そんな中、映画館にいるところを警察に連行された男がいた。フランソワ・トリュフォーである。そうやって彼はこの事件に興味を持ち、『勝手にしやがれ』のシノプシスを書き上げることになる。

 モノクローム、タバコ、拳銃、エッフェル塔、ジャズ、シャンゼリゼ・・・・自動車泥棒の常習犯であるチンピラとアメリカ人留学生の娘の恋と破滅が綴られたトリュフォーの原案を、ゴダールはアメリカのギャング映画へのオマージュとして完成させる。
 旧態依然としたフランス映画界への抵抗を示すため、即興演出、隠し撮り、手持ちカメラ、ジャンプ・カットなど、当時としてはあまりにも実験的だった手法を駆使し、映画のスタイルに革命をもたらすことになる。
 ゴダールはトリュフォーが書いたラスト・シーン(主人公ミシェルが街を歩くと、手配写真で彼の顔を知る人々がまるでスターを見るように振り返る、というもの)を変更。「ギャング映画の主人公は死なねばならない」と、刑事に撃たれ延々と走った挙句に倒れる、というあのあまりにも有名な最期が生まれた。その際、ゴダールの書いた刑事のセリフ「早く!背骨を狙え!」という残酷なセリフは、トリュフォーに懇願され削除されたという。

 初々しいジャン=ポール・ベルモンドと可憐なジーン・セバーグ。パリの昼を、夜を歩き、キスをし、盗んだ車で疾走する2人。画面は軽やかなリズム感と空気に溢れ、そこには「永遠の若さ」が刻印されている。
 セバーグがインタビューする作家を演じるのはジャン=ピエール・メルヴィル。言わずと知れたフィルム・ノワールの名監督だ。「人生最大の野望は?」というセバーグの質問に、彼は「不老不死になって死ぬこと」と答える(メルヴィルはナボコフをモデルにキャラクターを作った)。
 『勝手にしやがれ』の試写を見たジャン・コクトーはこれを絶賛したと伝えられているが、彼の小説『恐るべき子供たち』を1949年に映画化したのはメルヴィルだった(コクトー監督作『オルフェ』には出演もしている)。

 後に『勝手にしやがれ』のことを、ゴダールは「見直すたびに恥ずかしい思いをしてきた」と言い、ベルモンドは「最も愛着のある作品」だと言っている。まあゴダールにとっては、過去作品のほとんどが恥ずかしいものなのであろうが。

 名場面のスティルを配置したドイツ版ポスター。「AUSSER ATEM」は英語タイトル「BREATHLESS」と同じ意味。