BLACK SUNDAY
『ブラック・サンデー』(1977年)


1977. US Foil Advance. 27X41inch. Rolled.

1977年3月30日は、実際には水曜日である。

■いつかギラギラする日

 書く小説書く小説全てが映画化されているという作家トマス・ハリスのデビュー作にして、「レクター博士」シリーズ以外の唯一の作品がこの『ブラック・サンデー』である。

 ベイルート、パレスチナのテロ組織「黒い9月」のアジトを襲撃した際判明した北米テロ計画を捜査するため渡米するイスラエル特殊部隊。ロングビーチ、ロサンゼルス、ワシントンと、命がけの攻防を繰り広げるモサドの前に恐るべき計画が浮かび上がる。マイアミのスタジアムでスーパーボウルを観戦中の大統領を含む8万人の観客全員を皆殺しにする・・・・テレビ中継用の飛行船に特殊な爆弾を仕込み、空から突入しようというのだ。

 監督は『フレンチコネクション2』を撮った直後のジョン・フランケンハイマー。アクションには定評のある監督だ。冒頭の派手な銃撃戦、アメリカに舞台を移してからのサスペンスフルな展開、そして緊迫感溢れるクライマックスと、2時間23分の長尺を見せ切る手腕はさすが。「『スター・ウォーズ』以前の」ジョン・ウィリアムズによる音楽も素晴らしい効果を上げている。
 『ゴッドファーザー』や『チャイナタウン』など、ヒット作を連発していたプロデューサー=ロバート・エヴァンズは、ハリスの原作にあったサイコスリラー的な掘り下げをバッサリと切り捨て、当時大流行だったパニック映画と(ミュンヘンでのテロ以降の)国際謀略アクションの融合でひたすら押し切る。原作ファンには評判が悪かっただろうが、この取捨選択は間違ってないだろう。

 モサドのリーダーを演じるのは、70年代に入って『スティング』『サブウェイ・パニック』『ジョーズ』『ロビンとマリアン』と立て続けにキャリアを充実させていたロバート・ショウ。『ブラック・サンデー』の後は『ザ・ディープ』『ナバロンの嵐』『アバランチ・エクスプレス』と続くが1978年に心臓発作で死去。男臭いワイルドな風貌にインテリジェンス(彼は作家でもあった)を併せ持った魅力的な俳優だった。その後の3作品が今イチだったことを考えると(いや『ザ・ディープ』も好きなんだが)、この『ブラック・サンデー』あたりが最後の輝きだったと言えなくも無い。
 「黒い9月」の女テロリストにスイス出身のマルト・ケラー。『マラソンマン』やアル・パチーノの『ボビー・ディアフィールド』なんぞに出ていたが、その後はヨーロッパ映画界に行ってしまった模様。ベトナム帰還兵に冷たい合衆国への恨みから彼女に協力する飛行船パイロットにブルース・ダーン。この時期の彼も『ファミリー・プロット』『帰郷』『ザ・ドライバー』と充実した俳優人生を送っていた。

 この映画の売りはやっぱり、満員のスタジアムで本当に試合をしている中行なわれたと思しきロケ撮影(もちろんフェイクの試合との編集ワザ)、そしてマイアミ上空で本当に飛行船とヘリコプターのチェイスを敢行した空撮映像(もちろんスクリーン・プロセスも一部使ってはいるが)である。この「本物の迫力」がクライマックスにもたらしたスケール感とスリルは、最後の最後に用意されたパニック場面(ポスター参照)や爆発シーンをややイタい特撮でやっつけてしまったとしても決して損なわれるものではない(と言いたい)。

 だが、小生の年代以上の映画ファンには有名な話だが、この『ブラック・サンデー』は公開直前になって「政治的理由により」上映中止となってしまった。1977年のサマームービーの目玉としてテレビCMが流されていたにも関わらずだ。CM(確かナレーションは内海賢治だった)を見て気絶しそうなくらい興奮し、公開日を指折り数えていた当時小学6年生の小生は、よくわからない「大人の事情」のせいで目の前が真っ暗になり、その怒りをどこへぶつけていいのやらだった。
 29年後の2006年、ようやくDVDがリリースされ、やっとのことでノー・トリミングの完全な形での『ブラック・サンデー』を拝むことが出来た。
 そして、あまりの感激に29年前のオリジナルポスターも手に入れた小生。フォイル素材なのでギラギラと眩しい。
 劇中のブルース・ダーンもギラギラしていた。



1977. British Quad. 30X40inch. Folded.

映画本編にも、このように観客席に飛行船が影を落とすシーンがある。