JUGATSU (BOILING POINT)
『3−4X10月』(1990年)


1999. French. 46X62inch. Folded.

『HANA-BI』の受賞効果によって慌ててフランスで公開された。
つまり、『ソナチネ』の時はまだ本気で評価する気がさほど無かったことになる。
殴りこみに行く途中で、機関銃をカムフラージュする為に「極楽鳥」の花を摘むこの映画の白眉。
既に死相が浮かんでいるたけしには色鮮やかな花の冠がよく似合う。
スケールを無視して合成されたM−16が可笑しい。

■アナタの前頭葉を破壊する

 衝撃のデビュー作から1年後、北野武はホンモノの爆弾を抱えてやって来た。

 『さんたいよんえっくすじゅうがつ』という耳慣れないタイトル。CMでは「アナタの前頭葉を破壊する」と謳い、ポスターには「軍団、野放し!」というキャッチコピーが踊り、有楽町の劇場の看板には「破壊と創造」などというフレーズが鎮座し、これから見ようとする者を煙にまいた。
 草野球、ヤクザ、沖縄・・・・何がどうなってどういう筋書きになってるのやら見当も付かず、とにかく狐につままれたような面持ちで座席に着いた記憶がある。
 そして今度こそ本当に驚いたのだ。1作目から2作目への才能の飛躍がこれほどまでに大きいとは。
 前作での旧態依然とした撮影現場(ド素人であったたけしの発言力は低かったらしい)や思い通りに動いてくれない役者達の不自由さから解放された喜びが、映像からダイレクトに伝わって来る。そして何よりもこれが北野武のオリジナル・ストーリーであることが凄い。

 この映画は、草野球グラウンドの簡易トイレの闇の中、主人公の青年(柳ユーレイ)のアップで幕を開ける。
 彼がバイトするガソリンスタンドが自分の失敗からヤクザに因縁をつけられるが、彼が所属する草野球チームの監督(ガダルカナルタカ)がそのヤクザと兄弟分だったことから直談判を買って出る。しかしこてんぱんにやられてしまい「沖縄で拳銃を買って来て復讐してやる」と息巻く監督の代わりに、ユーレイとダンカン扮する野球のチームメイトの2人が沖縄へ。夜の繁華街で見かけた地元のヤクザ2人組(たけし、渡嘉敷勝男)に近づき、気に入られたユーレイとダンカンは延々と彼らの遊びに付き合わされるが、最後には彼らが入手した米軍基地からの流出モノの銃器のおこぼれを貰う。たけしと渡嘉敷は彼らに借金の落とし前を迫る組織に先制攻撃をするも、結局報復に遭って殺される。一方、東京に戻って来たユーレイとダンカンは貰った拳銃を手に因縁をつけられたヤクザの事務所へ赴くが、袋叩きに。1人逃げたユーレイはタンクローリーを盗み、恋人と共にヤクザの事務所に突入、自爆するのだった・・・・・そして場面は派手に爆炎を上げるタンクローリーから突如として闇の中のユーレイの顔に切り替わる。

■1時間半の予知夢

 今まで経験したことのない省略と静止が生む不思議なリズム、そして引きと寄りを巧みに使い分けた撮影が、全篇に散りばめられたややベタなお笑いを美しい情景へと昇華し、「オフビートな」などという言葉では追い付かないほど奇妙過ぎるストーリー展開が見る者を唖然とさせる。
 スクリーンで初めて眼にするユーレイとダンカンの可笑しな佇まいと言動は新鮮であり、前作と打って変わった陽気なキャラクターながらも、かなりのエキセントリックぶりと残忍性を見せるたけしにはもう釘付けだ。渡嘉敷とのコンビぶりも自然で、後半沖縄に舞台を移してからは、彼ら兄貴・弟分の無邪気な暴走ぶりが、先の読めない危険な牽引力を発揮することになる。
 そして重要なのは、コメディアン=ビートたけしが撮った割には暗くシビアな内容だった前作に比べ、この作品はとにかく笑えることである。計算されたコテコテのギャグから即興によるNGスレスレの「間」、顔のアップによる一点突破からキャラクターを生かしたネタまで、この作品は笑いの宝庫だ。
 だがウハウハ笑ってるうちにヴァイオレンスが加速、やがて死の匂いが立ちこめ始める。
 劇中、際立って異様なシーンは、ドライブ中、神妙な面持ちのたけしのアップに突如として挿入されるフラッシュ・バックならぬ「フラッシュ・フォワード」である。
 目まぐるしく挿入される数カットには「極楽鳥の花畑」「殴りこみ」「銃弾を浴びて血まみれになる」などがあり、これから自分の身の上に起こる運命をたけしが幻視するという、それまでのコメディ気分を凍りつかせる超常現象的とも解釈できるシークェンスだ。
 前述のようなストーリーから、この映画のオチを「うだつの上がらないダメ男の夢想」として片付けるのは簡単だ。しかし、この幻視場面があるおかげで、小生はこの映画のラストを単純に夢オチと割り切ることが出来ないでいる。主人公柳ユーレイは、これから先自分の身に起こることを、便器でしゃがんでる間に見てしまった、とは言えまいか。
 1時間半にも及ぶ、万華鏡のごとき予知夢。そう捉えるほうが甘美だ。



1999. US 1sheet. 27X40inch. Rolled.

 どうにもパッとしないデザインのアメリカ版ポスター。
'VIOLENT COP'と同じ配給会社によって公開されたようだが、
いずれにせよ余り売る気は無かったのではないか、と勘繰ってしまう。
'BOILING POINT'(沸点)なるタイトルも当たっているようないないような。
 ま、アメリカ人にはこの映画の面白さはわかるまい。

■北野作品中最高に素晴らしい音楽

 この作品は、北野武が書いた最初のオリジナル脚本であるということだけでなく、今ではすっかりトレードマークとなった「キタノ・ブルー」の生みの親である撮影監督=柳島克己の他、美術・照明・録音など後に名作『ソナチネ』を生み出すことにもなる北野組スタッフが初めて揃ったという意味においても重要な作品である。
 そして、いわゆる映画音楽が一切流れない唯一の北野作品でもある(『みんな〜やってるか!』でかかるのは既成の歌謡曲ばかり)。
 今でこそ北野作品には久石譲の音楽が当たり前になってはいるが、個人的な好みで言えば『ソナチネ』、『キッズ・リターン』以外で流れる久石の音楽は過剰に「大仰」で「説明的」で「情緒的」で全く感心しない。この後の『あの夏、いちばん静かな海』など、残念ながらあの鼻をつまみたくなるようなテーマ曲が全てぶち壊してしまったと思う。
 もともと『3−4X10月』にはBGMとして既成のフリー・ジャズが想定されていたらしいが、音楽を付けることをやめたのは何よりの得策だ。この作品の持つ複雑なリズム感に、いったいどんな類の音楽がしっくり来ると言うのか。
 北野武の音楽的才能が最も発揮されたのが、音楽の無い本作であるというのが皮肉だ。

■『八月の毛沢東』

 ちなみに北野武がこの作品に付けようとしたタイトルは『八月の毛沢東』。つまりタイトルなんかどうでもよかったのだ。「3−4」というフレーズが、作品で重要な位置を占める野球に直結し、「10月」は単純に公開月を示す(結局公開は前倒しになり9月だったが)という、なんとも人を食ったネーミングセンスだが、それだったらいっそのこと「八月の毛沢東」でもよかったのではあるまいか。個人的には、こちらのブッ飛んだ語感の方が好みだったりする。

 北野武のフィルモグラフィにおける黎明期において、最も異質であり、ある意味『ソナチネ』よりも完成度の高い作品がこの第2作目であることがなんとも複雑な気分にさせる。『HANA−BI』以降、映画作家として意識的になっていくにつれ、演出におけるアイデアや実験はどんどん空回りし、寒々しい場面やセリフが増え、久石の音楽は一層騒がしく聞こえることになる。

 『3−4X10月』は、北野武が従来の映画のシステムから自由になろうとして成功した最初の作品である。『ソナチネ』の上映されたカンヌ映画祭では「東洋のゴダール」と称賛された北野武。『ソナチネ』が『気狂いピエロ』であるとすれば、『その男、凶暴につき』ではなく『3−4X10月』こそが『勝手にしやがれ』であると言うべきかも知れない。