CARRIE
『キャリー』(1976年)


1976. Australian. 27X40inch. Folded.

US版ポスターとほぼ同じデザインのオーストラリア版ポスター。
右側“完全覚醒後”のキャリーをこれだけ引きの画でフィーチャーしてるのは豪州版のみ。
「恐怖を味わいたければ・・・キャリーをプロムに連れて行け」というUS版のコピーも
「恐怖を味わいたければ、デートの相手は・・・」に変更されている。

■女子高生プレイ

 ファナティックなキリスト教信者の母親から虐待されて育ち、街の人間からはいじめられ、孤独な学園生活を強いられていた女子高生キャリーがむかえる、サイキックとしての覚醒、はかない恋、そして壮絶な復讐と死の物語を、ブライアン・デ・パルマがエロティシズムに満ちた映像美で綴った名篇である。

 アヴァン・タイトルでの体育の授業シーン後、横スクロールのスロー・モーションでゆったりと映し出される女子更衣室。あられもない姿ではしゃぐ女の子たちの「レズ・ソーシャル」とでも言うべき高密度のエロスによるメガトン級の先制攻撃が、まずは炸裂する。ピノ・ドナジオ&デ・パルマのコラボレーション中屈指の名スコアが奏でる美しいピアノの調べが、狂おしいほど官能的に響き、観る者を甘美な魔法にかける。なんと撮影時、シシー・スペイセクは26歳、ナンシー・アレンは25歳、エイミー・アーヴィングでさえ22歳である。女子大生と言うのもキツい年齢の、完全に大人の女性たちを、乱暴にも「女子高生」に仕立て上げるデ・パルマの狂ったメソッドは、同年度作品『愛のメモリー』において、童顔のジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドに少女を演じさせる、という映画魔術と同根である。

 うら若き乙女たちをれっきとした大人の女性が演じる、というプレイとバランスをとるかのように配置される倒錯が、キャリーの母親を演じるパイパー・ローリーだ。当時43歳にもかかわらず、少女、いや幼女のような顔立ちをしたローリーが醸し出す歪んだヴァージニティは、ナンシー・アレンら“女子高生”のはすっ葉でバブルガムなエロスと好対照である。娘の前で、白い“聖衣”に乳首を浮き立たせ、自分の犯した罪を恍惚のうちに告白する母親。娘の念動力によってナイフや包丁(=男根)が次々と突き立てられ、キリスト像のように絶命する瞬間、エクスタシーがローリーの幼い顔からほとばしる。

 ちなみに、エイミー・アーヴィングの母親役を演じているのは、アーヴィングの実の母であるプリシラ・ポインターである。彼女は、『ブルーベルベット』でカイル・マクラクラン演じる主人公の母親を演じている。そして、デイヴィッド・リンチ組のプロダクション・デザイナー、ジャック・フィスクはシシー・スペイセクの夫であり、『キャリー』の美術もフィスクが担当している、という嬉しいトリヴィア。

 デ・パルマの魔法が最大級に発揮されるのは、もちろんクライマックスのプロム・ナイトにおいてである。あのなんとも不思議な顔立ちのシシー・スペイセクが、それまでのさえないちょいブス少女から脱皮するプロセスは、相手役のクラスメイトを演じるウィリアム・カット(彼だって25歳だったのだ!)とのチーク・ダンスをぐるぐると執拗に回りながら撮る、という、正真正銘の幻惑ショットを通過することで完成する。
 『愛のメモリー』のラストで披露した回転撮影の時を上回る、見る者の三半規管に挑みかけて来るかのように、さらにスピードを上げてスペイセク&カットの周囲を回るカメラ。背景を流れて行く青・赤・緑・黄のライトがドラッギイな効果を増幅させながら延々と続く、これこそ“催眠術”である。そしてその直後、プロム・クイーンに選ばれたキャリーのスロー・モーションがドナジオの音楽を得て滑り出した時、今まで生きて来た中で最高の瞬間に戸惑い、うっとりと目を細め、破顔する彼女を美しいと思わぬ者はいないはずである。

 技巧的な撮影テクニック、舞台となる高校の名前が「BATES HIGH SCHOOL」であること(『サイコ』も母親の呪縛の犠牲になった子供が主人公だった)、ピノ・ドナジオによる一部の劇伴がバーナード・ハーマンをあからさまに連想させるなど、デ・パルマのヒッチコック熱は、たとえスティーブン・キングの小説を題材にしながらも、その熱量を下げるようなことはなかったが、この映画の魔術に100%かかってしまった者にとっては、そんなことはもはやどうでもいいことに思える。
 その後『殺しのドレス』、『ミッドナイト・クロス』へと、ヒッチコックが嫉妬に狂うのではあるまいか、と思われるほどの恐怖とエロスの桃源郷を築き上げていくことになるブライアン・デ・パルマにとって、『キャリー』は最初の頂点であろう。

 そんな『キャリー』が日本で公開された1977年、もう1本の恐怖とエロスに彩られたカルト的少女映画が誕生している。大林宣彦の劇場長編デビュー作『HOUSE』である。あの作品もまた、少女が大人ではなく魔物へと変身するファンタジーであった。この符合は偶然と思えない。大林は後にその最高傑作『時をかける少女』で、「生理(月経)と超能力」というモチーフを燃焼させることになるのだ。デビュー当時、スピルバーグを引き合いに出されたりした大林宣彦だが、実は最も近いのはブライアン・デ・パルマだったのでは、と今になって強く思う。



1977. Japanese B2. Rolled.

プロムのステージの幕がキャリーの背後で発火、炎上するショットは
女優たちのヌードを除けば、この映画中最も美しい場面である。
この日本独自の美しいデザインはデ・パルマ本人もお気に入り。