THE CASSANDRA CROSSING
『カサンドラ・クロス』(1976年)


1976. British Quad. 30X40 inch. Folded.

「知られてはならない機密を乗せて欧州縦断列車は引き返せないポイントへとひた走る!」
イギリス版だけにリチャード・ハリスを大フィーチャーしてはいるが、主演はあくまでもソフィア・ローレン。
出資した「ITC Entertainment」はイギリスのTV製作会社。

■ヨーロッパからのアーウィン・アレンへの回答

 『道』や『鉄道員』でイタリア映画史を代表する作品を生み、ゴダールの『軽蔑』でヌーヴェルヴァーグを支え、『欲望』でアントニオーニの才能まで世に知らしめたヨーロッパ随一の大プロデューサー、カルロ・ポンティ。名作として誉れ高い『ひまわり』以来、夫人であるソフィア・ローレンをもうひと花咲かせたい、そして自分自身も今一度大作映画に挑みたい、というポンティの野望が70年代半ばに差し掛かった時、海の向こうではパニック映画が花盛りだった。
 アーウィン・アレン製作の『ポセイドン・アドベンチャー』に端を発したハリウッドのパニック映画ブーム。その後、やはりアレン製作で『タワーリング・インフェルノ』という金字塔を打ち立てたものの、結局は雨後の筍のように現れた亜流や駄作で埋め尽くされていたのが実情だ。

 『カサンドラ・クロス』は公開当時、マスコミから「『ポセイドン〜』と『タワーリング〜』を超特急列車に乗せた」と評された。元来、イタリア映画界には、大ヒットしたハリウッド作品を「いただいて」柳の下のどじょうを狙って来た歴史があるとしても、この<ポンティ版『タワーリング・インフェルノ』>が、単なる便乗物・モノマネに終わることはなかった。旬を過ぎた老俳優たちがいたずらに顔を並べたハリウッド製パニック大作とは異なる、60年代のヨーロッパ名画を支えた名優たちの競演、そしてアメリカ映画では醸し出せないシックな空気と重厚感。
 『カサンドラ・クロス』は、アーウィン・アレンへのヨーロッパからの回答だ。

■この映画の主演はソフィア・ローレンである

 国際保健機構に押し入ったテロリストが、そこでアメリカ軍によって秘密裏に培養されていた細菌(恐らく兵器)に感染、逃亡した挙句に大陸縦断列車に乗り込んでしまう。細菌感染はみるみる乗客たちの間に拡大。列車を老朽化したカサンドラ大鉄橋へと引き込んで崩落させ、鉄道事故として乗客を抹殺、事件を隠蔽しようと画策する米軍大佐。列車上で繰り広げられる、乗客たちと大佐が送り込んだ兵士たちとの息詰まる攻防戦。そしてクライマックスの大惨事。

 カルロ・ポンティ製作の、いわゆる「グランド・ホテル形式」の大作映画とあって、たいへんな豪華キャストが揃った。
 愛妻ローレンの他に、リチャード・ハリス、バート・ランカスター、エヴァ・ガードナー、イングリッド・チューリン、アリダ・ヴァリ、そしてリー・ストラスバーグといった大御所のお歴々から、当時青春スターとして日本でも人気者だったレイモンド・ラブロックや、『タワーリング〜』からパニック大作続投のO・J・シンプソン、『地獄の黙示録』でスターになる前のマーティン・シーン、ついでにリチャード・ハリスの嫁=アン・ターケルまで。麻薬密輸、夫婦の愛の再生といったドラマやサスペンスが、スイス〜ドイツの風情を背景に、名優たちのアンサンブルによって堂々と展開する。

 ソフィア・ローレンが主演とは言え、実質的な主人公はリチャード・ハリスである。スティーブ・マックィーンのようにアクション映えする俳優ではなく、やや禿げ上がったインテリ風のハリスが飄々と演じるこの精神科医が、列車内ドラマのイニシアティブを執るところに、この映画ならではの面白みがある。黒のタートル・ネックに身を包み、機関銃を手にした金髪ハゲのリチャード・ハリスに、当時小学生ながら胸をときめかせたものである。
 ちなみにTV放映版でハリスの吹き替えを担当したのは、俳優の日下武史であり、ソフィア・ローレンの常連声優=此島愛子とともに、これ以上ない素晴らしいヴォイス・アクトを聴かせた。この吹き替え版は他にも、バート・ランカスターに俳優の青木義郎を、イングリッド・チューリンに女優の奈良岡朋子を、マーティン・シーンに青野武を、といった豪華な声優陣が揃った。しかも顔ぶれが豪華なだけではなく、似た声質のキャストを的確にあてたところに、名吹き替え誕生の勝因があるだろう。

 監督に抜擢されたのは、カルロ・ポンティが1973年に製作した戦争映画『裂けた鉤十字 ローマの虐殺』(日本未公開)のイタリア人監督、ジョルジ・パン・コスマトス。80年代以降は『ランボー 怒りの脱出』などハリウッドで活躍したが、どうにもこうにも精彩を欠いたフィルモグラフィを残し、2005年に他界。
 ちなみに、『ローマの虐殺』の原作・脚本を手掛けたロバート・カッツは、今作でも同じ仕事をしている。小説『カサンドラ・クロス』は日本でも翻訳・出版されたが、カッツが自身の原作を脚本化したというよりは、コスマトス監督と共同で脚本を書きながらノヴェライズしたものだろう。公開当時にこの小説を読んだが、カサンドラ大鉄橋が架かる谷で羊を飼う村人の描写なども盛り込まれていた、と記憶している。



1976. German. 23X33 inch. Folded.

カサンドラ大鉄橋崩壊のクライマックスを迫力あるイラストで描いたドイツ版。

■カサンドラ大鉄橋は健在だ

 ミニチュアではない本物の列車を多用した空撮のスケール感に、思わずため息が漏れる。列車と並走して飛ぶヘリコプターに感染した犬を移す、というチェイス・シークェンスの緊迫感は、ジェリー・ゴールドスミスのサスペンスフルなスコアに煽られて、前半の見事なハイライトとなっている。
 そして夜のニュールンベルグ駅にしずしずと入って来た列車を迎えるのは、細菌防護服姿で機関銃を構えた兵士たちだ。窓に鋼鉄のブラインドを溶接され、兵士が大量に搭乗するものものしい事態。もちろん乗客は誰ひとり降車など出来ない。ここから先この列車は「走る収容所」と化すのだ。戦時中の悪夢がよみがえりパニックに陥るユダヤ人の老人。演じるリー・ストラスバーグがさすがに巧い。

 巨大ミニチュアを建造しての鉄橋崩落と、実寸大の車両セットによる列車破壊、というショットの併せ技が迫力あるクライマックスを作り出した。主人公たちの活躍により、一部の乗客たちの生存、というハッピーな結果を勝ち取るラストは麗しいものの、一方でコントロール室にいた「このスキャンダル隠蔽作戦を最もよく知る者たち」さえもが隠蔽されることを示唆して、この映画は無気味に幕を下ろす。ジュネーブの街並みの空撮にかぶさる、ジェリー・ゴールドスミスの美しくも物悲しいテーマ曲。
 暴走することにのみスリルとサスペンスを特化した凡百の「乗り物パニック物」と『カサンドラ・クロス』を隔てるもの。それは見世物主義優先ではない、作り手のインテリジェンスではあるまいか。

 パンフレットによると、「橋の全景は、トルコとの国境に近いイランの橋が使われている」とあるが、これは大ウソだ。実際はフランス中部のトリュイエール川に架かる「ガラビ橋」(Garabit Viaduct)が使われた。エッフェル塔で有名なギュスターヴ・エッフェルによって19世紀末に設計、建造されたこの美しい橋は、映画の設定とは裏腹に、今でも鉄道橋として立派に活躍している。