1970. Italian 2 sheet. 39X59inch. Folded.

イタリア版およびフランス版で採用された合計4点のイラストは全てPiero Ermanno Iaiaによるもの。
スティルから忠実に起こされたデッサンに大胆な原色使いが加わり、映画の華やかさを伝えている。
2013年2月現在、ロンドンの著名なポスター・ギャラリー「THE REEL POSTER GALLERY」が所有する
このイラストの原画の実寸は、51cmX36cmとのことである。

■順応主義者の憂鬱

 製作当時弱冠29歳だったというベルナルド・ベルトルッチの恐るべき才気。原作はアルベルト・モラヴィアの同名小説「順応主義者」(邦訳「孤独な青年」)。少年期の忌まわしい記憶から逃れるため、ファシスト党の一員となったマルチェッロ・クレリチ。彼に与えられた任務は、パリに逃れレジスタンスとして活動している大学時代の恩師を暗殺する事であった。

 ヴィットリオ・ストラーロが流麗なカメラ・ワークと色彩設計を駆使し、フェルディナンド・スカルフィオッティが1930年代のモダニズムをソリッドに再現し、ジョルジュ・ドルリューによる抒情的なスコアがエモーションの灯をともす。「国家と個人」「歴史の非情」「性的トラウマ」「父性」「同性愛」といったベルトルッチ作品お馴染みの主題たちが、高純度で結晶化した、ベルトルッチの映画宇宙。
 時代に翻弄されるがゆえに快楽に忠実にならざるを得ない人間たち。そんな彼らを包み込む鉄壁のワードローブ。この映画にスタイリッシュなルックをもたらしたのは、ベルトルッチの妥協なき美意識だ。主人公にやがて訪れる喪失が巨大であればあるほど、意匠は派手なほうがいい。衣装、建築、乗り物、風景・・・・アール・デコが放つエレガンスの光源は、登場人物たちのデカダンな魂だ。

 暗殺決行当日、雪景色の中、教授の車を追ってひた走る暗殺者の車。マルチェッロの分裂する魂と躁鬱の隙間に割り込む、鮮やかなフラッシュバック。封印すべき少年時代、入党、結婚、暗殺計画を兼ねた新婚旅行、そして教授夫人との愛憎渦巻く昨日。モラヴィアが書いた物語を、時制を入れ替えて語ることで、主人公が歩んだ順応主義の歪んだプロセスと暗殺への危うい道行とが、時に融合し、時に拒絶し合う。ベルトルッチ自身の手による見事な脚本は、アカデミー脚色賞にノミネートされた。

 青白いポーカー・フェイスに順応主義者の憂鬱を滲ませて主人公を演じるのはジャン=ルイ・トランティニャン。『男と女』でスターになってから4年後の作品となる。トランティニャンの醸し出す冷たいダンディズムは、主人公マルチェッロの人物造形を一層ミステリアスなものに仕立てる。
 しかしこの映画の魅力の中枢は、2人の女優、ステファニア・サンドレッリ(当時24歳)とドミニク・サンダ(当時推定22歳)の存在だ。2人から立ち昇る対照的な色香に幾度となく息を呑む。陽と陰、痴と知・・・・内面の違いはフィジカルにこそ表現されるべきだ。イタリア女ならではの豊満なサンドレッリと、少女のようにも映るサンダの肢体。ジョルジュ・ドルリューの華麗なスコアに身をゆだねた彼女たちが振りまく、まばゆいばかりのエロティシズム。着替えのシーンでの2人の軽い絡みは、その後ダンス・ホールでのスペクタクルへと結実する。これから起こる悲劇を知らないほろ酔い加減のサンダとサンドレッリが、衆人環視の中、女同士でタンゴを踊る場面において、この映画に満ちていた官能はついにエクスタシーを迎えるのだ。
 ベルトルッチの性的趣向と映画的ケレンが見事に開花し、作品のヴィジュアル・イメージを決定づけたこの絢爛たるシーンは、実はモラヴィアの原作に既に記述されているものだ。ただし、踊る2人の関係は映画とは程遠く、マルチェッロを挟んだ打算と思惑の果てに仕方なく踊っただけの、なんとも味気ないものだった。ちなみに2人が踊るタンゴ曲はジョルジュ・ドルリューのオリジナルであるが、その曲名は「Tango di rabbia」。なんと「怒りのタンゴ」である。

 このダンス・ホールでのシークェンスの最後を優しく締めくくるナンバーは、Dino Olivieriが1930年に作曲したカンツォーネ「Tornerai」だ。この曲は1938年に歌手Rina Kettyによる「J'attendrai」(邦題「待ちましょう」)というシャンソンにアレンジされフランスでヒットしている。マルチェッロとジュリアが逗留するオルセー駅ホテルが1939年に閉鎖されていることからも、つまり、この映画の設定は1938年であると特定することが出来る。イタリアとドイツが急接近しつつあった時代だ。

 「ファシズム」と「性」は相性がいい。ルキノ・ヴィスコンティが『地獄に堕ちた勇者ども』(1969年)を、リリアナ・カヴァーニが『愛の嵐』(1974年)を撮っていた時代の只中に『暗殺の森』は製作されている。この時代にこれら作品群が連続して作られたという映画史的足跡は、イタリアでのネオ・ファシスト運動の活発化とシンクロしていた。1976年には、ベルトルッチの盟友とも言うべき存在である大島渚が『愛のコリーダ』を成就するが(阿部定事件もまた1930年代を舞台にしていた)、ヨーロッパの映画人のこうした動きに呼応してのことだったかも知れない。




1970. Italian Locandina. 13X28inch. Folded.

同イラストの4シート(上記2シートの倍。2枚をつなぎ合わせてディスプレイする)を
タイトルとクレジットのレイアウトを変えて縮刷したイタリア版インサート・ポスター。
2シート版に負けぬ華やかなイラストだが、とりわけアール・デコ風のタイトル・ロゴが美しい。