Diary
05.08.30 |
■今年はアニバーサリーよ 『ジョーズ』の「30thアニバーサリー スペシャルDVD-BOX」を買った。VHS、レーザーディスク、通常のDVD、コレクターズエディションDVDと来て今回買った『ジョーズ』のソフト、5本目である。なんたって30周年。めでたいめでたい。特典ディスクの内容が前回のものとほぼ同じだろうがなんだろうが買わずにいられなかった。『ジョーズ』が30周年なら小生の映画生活も30年である。この30年の間に一体何本の映画を見たのか数えようとしたことすらないが、その第1号というだけでも小生にとって『ジョーズ』は特別な作品なのだ。現時点でこの作品の海外版ポスターを所有してないので、コレクションページに文章を書いてはいないがいずれは書かねばと思う。書きたいこともある。なんたって映画の世界に小生を引きずり込んだ張本作なのだから。 |
05.08.28 | ■また凄い邦画を見てしまった
3週間に渡る新文芸坐の特集「戦後60年企画第5弾 その時代を検証する」もいよいよ大詰め。仕事が多忙で今回もなかなか思うように足を運べなかったが、無理して行って良かった・・・・またまた凄まじい作品に出会ってしまった。森谷司郎監督作品『首』は今回の特集最大の収穫であった。 |
05.08.23 | ■クリス・カニンガムはやっぱり天才 エイフェックス・ツイン、ビョーク、マドンナなどのプロモ・ヴィデオで有名な映像作家クリス・カニンガムの最新DVD付き作品集『RUBBER JOHNNY(ラバー・ジョニー)』。帰省の折に会った友人が持っていて小生も慌てて購入した。う〜ん、こりゃあ素晴らしいぞぅ。人の神経を逆撫でしたり生理的嫌悪感を煽ったり、という意味ではデイヴィッド・リンチ作品に通ずる視覚性を持った作品と言えるかも知れないが、カニンガムにはリンチの持っていない「饒舌さ」が多分に備わっている。だから、実は最も近いのはデイヴィッド・フィンチャーあたりなんだと思う。それに「コミック感覚」。オウテカやビョークのヴィデオに溢れるSFスピリッツはリドリー・スコットから受け継いだものではなく、大友克洋からのものではないか。SFにせよホラーにせよ、とにかくプロモ・ヴィデオではなく2時間の劇映画というフォーマットでカニンガムの世界を見てみたい。はるか昔、ウィリアム・ギブスンの名作SF『ニューロマンサー』をカニンガムが撮る、などという噂もあったがもうよい。むしろ見る側の五感に挑みかけて来るような危険な作品・・・・フィンチャーの『ファイトクラブ』以上に凄い映画をカニンガムの監督で見たいのだ。一刻も早く。 ■田宮二郎の代表作『白い巨塔』(1966年) ■そういや今村昌平ってあんまり好きじゃなかったっけ『豚と軍艦』(1961年) ■山本薩夫は好きなんだけどね『不毛地帯』(1976年) 『チーム★アメリカ/ワールドポリス』 |
05.08.13 |
■かっこいい男たち『亡国のイージス』小生は(恐らく)運の良いことにこの作品の原作を読んでいない。予告編を見て薄々どんな内容の作品であるかが想像ついていた程度だ。そしてそれはほぼ予想通りであった。1993年の押井守監督作品『機動警察パトレイバー2 the movie』という超ド級傑作をあまりにも彷彿とさせる内容。東京(湾)を舞台に演出された「戦争」、「戦争と偽りの平和」に関する考察、自分の教え子を失った上官の決起といった要素から、「いつになったら貴様らはこれが戦争だということを理解するんだ!」 というセリフの類似、果ては航空自衛隊の戦闘機映像の酷似まで、この作品には『パト2』の影が色濃く落ちている。細かい類似点については「その筋」の方々が詳しい分析をネットで展開しているはずなので小生はいちいち言及しないが、概ね『亡国のイージス』を誉めるよりも『パト2』の傑作ぶりを再確認するという着地だろう。 しかし、サスペンスの盛り上げとスペクタクル場面のスケール感(なにせあちらはアニメだから)では敵わないものの、『亡国のイージス』には(実写)映画ならではの見せ場がふんだんにある。そのほとんどは俳優たちの「顔」だ。久し振りに正統派アクションに戻って来た真田広之、阪本順治作品『KT』で素晴らしい演技を見せた佐藤浩市、いつも胡散臭い役を能面のような顔で演じる岸辺一徳、内省的なオッサン役をやらせたら今はこの人寺尾聰、怪作『マークスの山』での合田刑事役が忘れ難い中井貴一、『ブラザーフッド』でのウォンビンをちょいと思い出させる安藤政信、不良中年と言われたこの人もついに総理大臣を演じるようになったか・・・・という原田芳雄、ああいう嫌なオヤジが超リアルな平泉成、金子國義の描く絵にそっくりの勝地涼などなど、どいつもこいつもが「イイ顔」を見せるのだ。イージス艦にミサイルをぶち込む為に三沢基地を発進する戦闘機のパイロットとして、終始苦みばしった顔を見せるチョイ役真木蔵人までが凄まじくかっこいい(もうホントにうっとりしたよ、あのワイルドなマスクに)。だから、あのあまりにも「イイ顔」を見せる男たちの裏側にはそれぞれきっと悲喜こもごものドラマがあるのだろうと思わせる。セリフの端々にもそれが見て取れる。計画を阻止しようとDAISが送り込んだ勝地涼と北朝鮮の工作員として育てられた少女の、格闘の最中唐突に現れるキスシーンも、普通なら「はあ?」だが、それぞれのバックボーンとささやかな伏線を考えれば察しがつく。つまり、この映画は近頃珍しいほど観客に想像力や映画を見る力を要求する作品なのだ(思えば『パト2』もそうだった)。 だがそれにしても、艦内でのアクション場面や国の中枢との息詰まる交渉などを通してもっと男たちのドラマを熱く出来たのではないか。何もジョン・ウー作品や韓国映画のように熱くなれとは言わない。1970年の三島由紀夫自決事件で決起し損ねた憂国の士が、自身の中での「戦争」を成し遂げるために金大中誘拐事件へと加担する『KT』で、国境も地位も職業も異なる男たちが謀略の渦の中で暗躍し、もがく姿をクールに、時に熱く描き切った阪本演出をこの『亡国のイージス』にも期待したのだ。結果、原作ファンにも阪本ファンにもカタルシスが与えられない、という出来に残念ながらなってしまったが。 それでもこの作品は素晴らしい。庵野秀明が絵コンテで参加した特殊効果シーンはかなりの出来栄えであるし、ハッとするほど美しい絵を見せてもくれる。やはり「この手」の作品をこれほどのクオリティで見ることが出来るようになった日本映画界に明るさが見えて来たと言えよう。阪本順治という人選も間違っているとは思えない。彼だからこそ、俳優たちの「イイ顔」をあれだけ見せてくれたわけだし、何よりも阪本がこのようなビッグ・バジェットの超大作を手がけるまでに成長したことに感慨を覚えずにはおれない。長大な原作と阪本順治の作家性と一般的なエンターテインメントとの最大公約数を計算し間違えたのか、アクションとドラマのバランスがどうにも悪くなってしまった感は否めない。しかし、いかにも不器用なこの作品の放つ何とも言えぬ味わいは忘れ難い。原作者福井晴敏がリスペクトしているであろう『日本沈没』『新幹線大爆破』『東京湾炎上』『皇帝のいない八月』といった70年代のいわゆる「底抜け超大作」(by 洋泉社)は、そもそもこのような味わいを持つ作品ではなかったか。 『亡国のイージス』は決してジェリー・ブラッカイマーが作るような判り易い映画ではない。『シュリ』や『JSA』などと肩を並べようとするものでもない。今の日本だけが作り得る、良くも悪くもそういう作品なのだ。 ■「良いリーダー」と「悪いリーダー」新文芸坐の特集上映、朝から大変な入りだ。しかも年寄りばかり。平均年齢60歳以上だな、間違いなく。戦争映画だから仕方ないか。しかし、どんな気分で見るんだろうな。『激動の昭和史 軍閥』(1970年) 日本を滅亡一歩手前まで導いた東条英機の独裁ぶりと陸軍・海軍の確執、言論統制による新聞社の苦悩などを描く一大絵巻。東宝が誇る演技陣の総力を結集して見せるが、岡本喜八作品『日本のいちばん長い日』と較べるとどうにも凡庸な出来だ。群像劇と言えばまあそうだが、キャラに魅力が乏しいから物語の推進力も弱い。小林圭樹は人のいい小市民的な役柄が多かったが、ここで演じる東条へのマッドなアプローチが後のハマリ役=『日本沈没』の田所博士へと繋がると言えなくもない。同じ「激動の昭和史」シリーズの『沖縄決戦』にあった「あ、これ予算無かったんだな」という印象がこの作品にも漂う。見ていてちょっと情けない。『怪奇大作戦』の2人、原保美と岸田森の姿が拝めたのが拾い物か。 『連合艦隊司令長官 山本五十六』(1968年) 『軍閥』と言いこれと言い、海軍=和平交渉を進言したカッコイイ正義の味方、陸軍=戦争好きで野暮ったくて血の気の多い悪者、という図式はいかがなものか。冒頭、帰郷した際の花見舟の船頭との無邪気な交流に始まり、陸軍の連中を待たせておいて面会に来た若造のほうと歓談したり、艦内で将棋やトランプをしたり、若い兵隊たちに親しげに声をかけたり、負傷兵を見舞ったり、そして最期は最前線で苦闘している兵士たちを自ら励ますために乗った機が途中で撃墜される、というまさに「理想の上司」としての山本五十六を「演技が2種類しか無い男」三船敏郎がいつもどおりに演じる。対して陸軍の面々はことあるごとに海軍にたて突いたり暴力的だったり頭悪かったり散々な描かれ様だ。これ・・・・本当かぁ?まあ、「事実にフィクションを加えて」みたいな断り書きは冒頭に出るけどさ。 こちらも東宝の演技陣大挙出演の凄い顔ぶれだ。黒澤作品に喜八作品に若大将・・・・しかし『軍閥』と併せて見たからキャストの重複が半端じゃなく、激しく混乱したばかりかもうお腹がいっぱいだったよ。円谷英二による真珠湾攻撃やミッドウェイ海戦のミニチュア特撮場面は、CG全盛の今見るとほのぼのして見えるだけではなく、あっと驚く絵を見せてくれて楽しませてはくれたものの、先に見た『軍閥』とかぶりまくり。つまり『軍閥』の特撮場面はほぼ全てが『山本五十六』からの流用であったのだ。おまけに冒頭に出て来る地球(の模型)は『日本のいちばん長い日』で使用したものだろっ。なんだか複雑な気分だ・・・・。 大好きな佐藤勝の音楽が聴けることもあって、当然『山本五十六』の方がまだ面白く見れたのだが、やはりあまり楽しんだ気はしない。良いリーダー?悪いリーダー?そんな簡単なもんじゃねーだろ、戦争なんだからよ。 日航機墜落事故から20年も経ったのか・・・・あの日は「つくば博」に遊びに行って、帰りのカーラジオでニュースを聞いたのだったっけ。夕立でバケツをひっくり返したような雨の中だった。 |
05.08.10 |
■真夏のカニバル新文芸坐の特集「その時代を検証する」、今日の2本立ては、ずばり「カニバリズム」。『野火』(1959年) このタイトル、なんで知ってるのかなあと思ってたら大岡昇平の有名な小説であった。敗戦目前のフィリピン戦線、肺病と疲労と飢えに苛まれながら彷徨う兵隊(激痩せ船越英二。最初誰だか判らなかった)の地獄の日々。ミッキー・カーチスが岡本喜八作品の時のように飄々とした良い味を出しているが、彼は「猿の肉」と称した人肉を喰わせる悪魔だ。人肉を喰って彼岸に渡ることなく、現地の農民がトウモロコシの葉を焼く野火に人間としての尊厳を見出し、銃殺されると判っていながらも歩み寄って行く主人公。なんとも暗く救われないストーリーだが、ま・・・・仕方ない・・・・ね。市川崑がこんなに重い作品を撮ってたとは。 『軍旗はためく下に』(1972年) 昨年8月の同劇場における「戦争映画特集」で初めて見て衝撃を味わったこの作品。今回もまた圧倒されてしまった。ニューギニア戦線に赴いた夫が戦地で死刑に処されたことに現在も納得いかない妻。夫が軍曹を務めた部隊のことを知る生存者たちを訪ね歩き、ことの真相を追究するが・・・・。浜辺で浴衣姿のまま泣きわめき波にさらわれんばかりの熱演まで見せる左幸子が、お得意の常軌を逸したひたむきさで生存者たちに食い下がり証言を引き出していく姿に、もうあの名作『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三を重ねないわけにはいかない。敵前逃亡罪で処刑されたと聞かされていた夫に関する証言は生存者によって食い違う・・・・「英雄」「イモ泥棒」「人肉食事件の首謀者」「上官殺し」・・・・一体どれが本当の夫の姿なのか。記録写真を上手く使いながらテンポの良い語り口でもって謎を究明する妻の姿を追い、戦後社会の歪みまでをも浮き彫りにする「社会派」調の演出プラス、カラーとモノクロを巧みに使い分け、深作欣二お得意の手持ちカメラによるアグレッシブかつスプラッターな映像が炸裂する戦地の再現ドラマ部分という「合わせワザ」が抜群だ。証言によって演じ分けることで観客をミスリードする夫=軍曹を演じる丹波哲郎も素晴らしい。後の『砂の器』『日本沈没』などに見られる神がかり的な「丹波節」ではなく、野性味溢れるクールな2枚目としての丹波を堪能出来る。 再現ドラマのラスト、地獄の戦線においてあくまでも人間性を失わず、浜辺で理不尽に銃殺される瞬間の「天皇陛下っ!」という丹波哲郎の慟哭。直後、西新宿の歩道橋で佇む左幸子の映像にかぶさるのは、ディストーションを効かせ崩しに崩したノイズのような「君が代」のメロディだ。「父ちゃん、やっぱり天皇陛下に菊の花をあげてもらうわけにはいかねぇ」という左幸子のモノローグと併せて、これ以上無いと言うほどの反戦メッセージが叩きつけられる。これは正真正銘の傑作だ。そして、現代音楽作曲家=林光による不協和音を混ぜ込んだ叙情的なスコアがいつにも増して印象深かったことも付け加えておく。 |
05.08.08 |
■珍獣目撃4日の晩、東池袋で食事をした後本屋リブロに立ち寄ろうとしたところ、伊集院光を発見!池袋にたびたび出没するとは知ってはいたが、目撃したのは初めて。サインをもらおうと声をかけたが素気無く断られてしまった。ま、そういうものか。滝本誠、塚本晋也、黒沢清、ビル・ネルソン、山口晃、会田誠、チャップマン・ブラザーズ(の兄の方)などなど、ミーハーな小生は様々な(一応)セレブからサインを頂戴して来たが、そう言えば彼らはみな「こちらサイド」の人であった気がする(勝手ながら)。この件で、伊集院光は「あちらサイド」なのだと気付かされた。彼がやってるラジオの深夜番組が好きでもう7年くらいは聴いてるだろうか。ちょっと寂しい思いをしたが、不思議と彼を恨む気にはならなかった。だって「げーのーじん」だもんなあ。それよりも「珍獣」を見たという印象の方が強く強く残ったね。■朝まで生(ナマ)江本創と言うわけで、今度は「珍獣」ではなく「幻獣」。5日、江本創氏の新作展を見に阿佐ヶ谷のギャラリー「香染美術」へ。昨年秋の同ギャラリーでの展示『幻の獣たち』が彼の作品世界の「ダークサイド」の集大成であったのに対し、今回は「ライトサイド」の集大成と言えるだろう。ダジャレとも言えるタイトルセンスが楽しいが、作品のクオリティは相変わらず素晴らしい。出色は「ナギサマナコ」という大きな眼を持つエイのミイラ。干物なので当然眼は無いが、体に対して大きな眼窩が先端にあり不気味とも可愛いとも言える。本物のエイ類がそうであるようにこの魚の面白いのはむしろエラや口のある裏側であり、江本氏も当然2体作成しそれぞれ裏表にして1つのケースに入れている。もう1点、新たな試みと言える「食虫植物」もかなり面白い出来だった。歯の生えたホウズキみたいな植物。枯れた感じも上手い。阿佐ヶ谷は七夕祭りの最中とあって、家族連れが多く訪れていたのが珍しい光景だった。その後、新宿へ移動し江本氏と呑む。随分と久し振りなので積もる話が止め処なく溢れる。これからの作品展開(来年、銀座の青木画廊で予定している新作展は「幻獣」ではないと聞いた。ナイショ)の話から始まったものの、どんどん予想外の方へ。「実相寺昭雄」→「岸田森」→「岡本喜八の『ブルークリスマス』」→「平井和正の『死霊狩り』」→『デビルマン』→『銀河鉄道999 劇場版』→『ルパン三世 劇場版 ルパン対クローン』→「押井守」・・・・・いつになく熱い調子で語る江本氏。「ルパン三世と呼べるのはテレビの1stシリーズと『ルパン対クローン』だけっすよ」とか「平井和正の『死霊狩り』も良いけどボク最初に読んだの桑田次郎の『デスハンター』なんすよね」とか「松本零士は水島新二なんです」とか「『銀河鉄道999』はやっぱ劇場版がサイコーですね」などなど、現代美術の作家とは思えぬマニアックな発言が炸裂。小生よりも5歳年下ではあるが、恐ろしく馬が合う。70年代までの特撮モノやマイナーな日本映画、アニメ、漫画など、彼が愛して来たものは「昭和」の産物だ。だから彼の作品世界にはそんな匂いがプンプンする。60〜70年代の「円谷プロ」の怪獣作家が持っていたであろうスピリットが、彼の中には宿っている。結局話が収まらず、終電直前になって我が家へ移動。DVDを見ながら朝まであーでもないこーでもないと語り明かしたのであった。 思えば彼との付き合いはもう5年以上になる。友人の鈴木康弘が母校のあるつくば市で個展を開くというので手伝いに行った際、「小さなカエルの化け物のミイラ」を持って現れたのが鈴木の後輩の江本氏だった。そのミイラを手に乗せた途端に一目惚れ。その翌年、最初の個展「幻獣採集」で、つがいとなってケースに入れられ「Mr. and Mrs. Frog」というタイトルで展示されていたものを迷わず購入。そこから我々の付き合いが始まったのだった。彼にはもっともっとBigになって欲しいものだ。だってあの作品で喰ってるんだから。 ■戦時中の戦争映画だぜ7日は、新文芸坐で始まった「戦後60年企画 その時代を検証する」の2日目。『加藤隼戦闘隊』(1944年)と『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年)を見る。戦争中に作った戦争映画って・・・・なんだかなあ。スタッフやキャストのクレジットが一切流れないのは「プロパガンダ映画」にそんなもの必要ないと目されたからなのか。前者は製作が東宝と「陸軍省」だよ、なんと。戦後作られた映画が戦争を地獄として描いたのに対し、この2作品ではなんとも楽しそうだ。訓練中の殴る・蹴るは一切無いし(出て来る上官はみんな明るく優しい人ばかり)、食事も豪華だ。少年兵たちの顔はどれも悩みやホームシックなどとは無縁でひたすら朴訥で快活で勇ましい。こんな連中のじゃれ合い(おっと失礼)を延々と見せられなんとも退屈で、途中何度も睡魔がやって来たが、爆撃シーンの特撮はなかなか素晴らしかった。あの重量感は相当大きいミニチュアおよびセットで撮影したのではないか。黒澤作品に影響を受けて1977年に『スターウォーズ』を作ったジョージ・ルーカスだが、『ハワイ・マレー沖海戦』の真珠湾攻撃シーンも参考にしたような記事が当時あったと記憶している。それにしてもこの時の原節子、一体何歳だったんだろう・・・・18歳くらいだろうか・・・・顔、全然変わんないんだけど・・・・やっぱ怪獣か。 |
05.08.04 |
■宇宙一のセレブ購入してあったDVD『銀河鉄道999 劇場版』(1979年)を見る。あー、もう本当に良いなあ。作画がとにかく丁寧だし透過光を多用した効果はブリリアントだ。あの長大な話を2時間の枠に無理矢理入れたせいで「旅情」には乏しいが、その分劇場版ならではの派手な見せ場がてんこ盛りだ。その前年に公開され大ヒットした『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が、今見ると「この程度のものを劇場で金払って見てたのか!?」と言いたくなるほどダメダメな出来であったのに対し、監督がりん・たろうであるせいもあってか、とにかく「志し」が違うこの『銀河鉄道999』は、26年を経た今でも色褪せない作品である。松本零士が作り出した永遠の美女「メーテル」の「宇宙一のセレブっぷり」(キャプテン・ハーロックやエメラルダスはなんと知り合い)に苦笑しつつもやはり萌え〜が止まらない。今となっては彼女の設定年齢をはるかに超えてしまった小生だが、もうね、永遠の「おねえさんキャラ」ね。ラスト、鉄郎とのキスシーンに完全にシンクロ。城達矢(「ジェットストリーム」ね)のナレーションに続いて流れるゴダイゴの大ヒットテーマ曲は何度聴いても素敵だ。偶然にも今日は8月4日。そう、1979年8月4日の公開初日に小生はこの映画を見たのであった。 |
05.08.02 |
■どうなんだ『姑獲鳥の夏』
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05.07.31 | 新宿はお祭りやっててすんごい混雑だった。蒸し暑かったし。 新宿ミラノ座で見た『アイランド』の前に流れた予告編。テリー・ギリアムの『ブラザーズ・グリム』の冒険ファンタジーっぷりに驚く。なんだよ、伝記映画じゃないのかよ。ま、面白ければそれでいいけど。あと、ニコール・キッドマン主演の『奥さまは魔女』、テーマ曲が松田聖子ってどーゆーこと?一気に見る気が失せたんだが。『ハリー・ポッター』の新作もなあ・・・もうあいつらを許してやれって。もうオッサン、オバハンじゃん(とは言いつつもこのシリーズ一切見たことないんだけどね)。 『アイランド』 『THX 1138』『ソイレントグリーン』『赤ちゃんよ永遠に』『ウェストワールド』『2300年未来への旅』などなど、『スターウォーズ』登場以前の70年代に作られた暗い未来像を描いた作品群へのオマージュばかりか、クローンたちが横たわった部屋が『コーマ』を、秘密を隠蔽しようと逃亡者を追うヘリコプターが『カプリコン1』を彷彿とさせ、「2019年」という設定は嫌でも『ブレードランナー』を想起させるという、全篇に「リスペクト臭」が漂う本作。臓器を取られる前に逃亡したクローンの男女が会社の秘密を暴露しようと活躍する・・・・どうにも新鮮味の薄いストーリーではあるが、怒涛のアクションとスピード感ある展開で最後まで見せきってしまうのはあっぱれ。しかも見ているうちに「クローン産業」がリアルに感じられ戦慄を覚える。都市の未来絵図もこのところ作られたSF映画の中ではかなり良い出来。『ブレードランナー』と張り合おうとするマイケル・ベイの意気込みを感じさせる。クローンが創造主のところへ行ったり、人工物としてのアイデンティティの問題にまで踏み込もうとするなど、やはり同映画の亡霊がとりついていると思えるが、リドリー・スコットのようにディテールに凝らない『アイランド』はやはり前述の70年代アンチユートピアSFの世界へと着地するのであった。ラストは思いっ切り『THX 1138』だしね。 見どころはスカーレット・ヨハンソンの面白い顔と汚い叫び声、久し振りのスティーヴ・ブシェーミ、今回は眼鏡っ子のショーン・ビーンくらいだろうとタカをくくっていたが、蓋を開ければなんと、ツッ込む余裕も無く夢中になって見てしまった。SF映画としてかなり良い出来だと思う。『マイノリティ・リポート』なんぞより断然面白かった。 |
05.07.29 | あ〜暑い暑い。 『魁!!クロマティ高校 THE☆MOVIE』 アニメ版のファンとしては大満足な出来。神山高志役の須賀なんとか君がもう瓜二つでサイコー。他のキャストはそれなりに工夫して「映画色」を出してはいるが、ちゃんとクロ高のキャラになってる。渡辺裕之の「フレディ」が出色。全篇爆笑の「映画風マンガ」。 『姑獲鳥の夏』 実相寺昭雄持ち前のエキセントリックな演出に今ひとつ冴えが無いが、この作品を失敗に導いたのは間違いなく脚本だ。そのまんま映像化することなど到底ムリな小説なのだから、思い切った読み替えや再構築が必要なのは明白だったのに。冒頭延々と続く京極堂による関口への講義はこの話にとって重要な内容かも知れないが、映画には全く不要だった。ベラベラと喋りまくる京極堂はみるみるカリスマ性を失い、例の決めゼリフ「この世には不思議なことなど・・・」には全くありがたみが無い。思い切って『エクソシスト』のようにするべきだったろう。前半で考古学者だったメリン神父がクライマックスで悪魔祓い師に変身したように、「憑き物落とし」の時まで京極堂の存在を安売りせずに関口・榎木津・木場たちだけで怪事件の捜査を引っ張れたはずだ。それにフラッシュバックをムダに多用したせいもあって展開に一本筋が見えず、とにかく判りにくく着いていけない。着いていけないから謎が謎として機能せずストーリーに推進力が無い。もうこれはミステリとして致命傷。おまけに「昭和27年の東京」が一向に見えて来ない。捜査上で出会う人々と彼らが住む土地土地を描くことがミステリにとって重要ではないのか。久遠寺医院の美術に予算を割くのも結構だが、昭和27年の神保町や池袋界隈の風俗を、CGを使ってでも描くことは考えなかったのか。原作を知らない観客があれだけの描写のみで、古書店京極堂のある眩暈坂が中野であることを果たして実感出来たのか。さらに、興醒めなのは妖怪「姑獲鳥(うぶめ)」そのものを映像化しちゃったこと。ここは鳥山石燕の絵だけで観客の想像力をかき立てるのが当然だろう。そして、この映画最大の失敗・・・・クライマックスで雨を降らせなかったのは何故だ。陳腐な特殊造形の姑獲鳥などを再三登場させて混乱させただけでなく、赤ん坊を抱いてずぶ濡れになった涼子が石燕画の姑獲鳥と重なる最も悲しく美しい瞬間を描けなかったこの映画の罪は大き過ぎる。 抜群のキャスティング(阿部寛、宮迫博之がサイコー)、池辺晋一郎によるムーディな音楽が素晴らしいだけになんとも残念に思う。果たして『魍魎の匣』映画化はあるのか?今度は「話が話だけに」ぜひとも塚本晋也でお願いしたい。ちなみに水木しげるを演じた京極夏彦、演技上手過ぎだろ、あんた。 『成瀬巳喜男 記憶の現場』 生誕100年を記念して制作されたドキュメンタリー。スタッフ、キャスト(みなさん大変なご高齢だ)による証言も良いが、遺作『乱れ雲』を演出中の成瀬監督を捉えた8ミリ映像が何と言っても貴重。 『パッチギ!』 直球だ。「ド」が付くほどの直球。凝った絵作りも無い。どんでん返しやヒネリも無い。役者の演技も並だ。あまりにも「かっこつけない」「飾らない」演出。しかしその分恐ろしく手堅く、力強い。クライマックス、「イムジン河」が流れる中3つのエピソードが破綻することなく見事に結実するのは、職人技と映画作りへの確固たる自信が作り出したものだ。流行の「泣ける映画」「癒し系映画」なんかではない。無骨で頑固で愛想が無い、四半世紀に渡るキャリアを持つ「あの」監督が作ったのだからそんなはずはないのだ。しかし「あの素晴らしい愛をもう一度」が流れるエンディング、ついに涙腺を押さえることが出来なくなってしまった。ああ、やられたよ。これほどまでにド直球の青春映画に共鳴する部分がまだ自分の中にあったとは。いや・・・・歳のせいか。あとジュリエット役の沢尻エリカに萌え〜だったのも大きい。思い出したよ、『小さな恋のメロディ』を。ああ・・・・キュンとしたな、キュンと。お、やっぱり歳のせいか。 神保町でスマトラカレーとやらを食した後、カラオケでシンプル・マインズ、ムーンライダーズ、YMO、尾崎紀世彦、アリスなどを熱唱。今のカラオケって何でもあるね、すごいや。連れの某女史はJAPANの「Quiet Life」なんか歌ってんだもんな。JAPANて・・・・。 |
05.07.26 | 殺人的な仕事のスケジュールのせいで「名匠・成瀬巳喜男の世界」は結局12本のみ。 『娘・妻・母』 (1960) とにかく豪華なキャスティングで押し切る東宝オールスター映画。よりどころであった家を食いつぶす息子・娘たちとそれを静かに見守る年老いた母を通して家族の崩壊を描く大作。原節子(出戻りの長女)と高峰秀子(長男の嫁)の2トップが売りだが、ここでは原節子が完全に抜きん出た。未亡人である彼女が年下の男(仲代達矢)によろめく姿が大迫力。珍しくキスシーンもあり(当然映らないけどね)。キスした後で仲代の後頭部の影から現れる原節子の潤んだ瞳と半開きの唇・・・・ごちそうさまでした・・・・。 『女の歴史』 (1963) 戦前〜戦中〜戦後を通じ1人の女性がたどる運命を描く作品。主人公の高峰秀子が嫁いだ先の義父が自殺、夫は戦死、立派に成長した息子(若き山崎努が小沢健二にチョイ似)も交通事故死。男を自堕落・無自覚なバカとして描くことで「女性映画の巨匠」という地位を獲得した成瀬だが、この作品ではなんと男を皆殺しである。ラスト、亡き息子が残した子種を得てやっと平穏を勝ち取った主人公=高峰、義母(賀原夏子。「ケンちゃん」シリーズのおばあちゃん役だったなあ)、義娘(星由里子。なんかビッチな感じ)。喧嘩しながらも寄り添って暮らすこの3人が「他人」であることに愕然としたのであった。夫以外の男によろめいたり、姑との確執があったり、戦中・戦後をたくましく健気に乗り切ったり・・・・成瀬作品における高峰秀子のキャラクターを全てミックスしたようなこの映画の主人公。見終わったとき小生は完全に恋していた。ああ、デコちゃん。 新文芸坐のロビーに『浮雲』(なんだかんだ言って一番インパクトあったのこれだった)のフランス版ポスターがっ!ちょ・・・ちょっと欲しいぞぅ。新文芸坐は「小津安二郎特集」の時も「黒澤明特集」の時も海外版ポスターをロビーに飾ってたんだよね。映画会社から借りたのかスタッフの私物なのか。ちなみに『小早川家の秋』のフランス版ポスターはあそこに飾ってあったのを一目惚れして購入したもの。 |
05.07.18 | 今年劇場で見た映画、本日ついに100本目を迎える。新文芸坐にて上映中の「生誕100年記念 名匠・成瀬巳喜男の世界」。記念すべき100本目の作品は『驟雨』(しゅうう 1956年 東宝)であった。夫=佐野周二、妻=原節子というキャスティングで成瀬が得意とする「倦怠期の夫婦の心模様」が綴られていくが、ラスト、壊れかけた夫婦の間を取り持つのはなんと隣家から飛び込んだ紙風船である。「おじちゃん、風船取ってー」という子供たちをよそに、この夫婦が紙風船を半ば横取りしてバレーに興じる唐突な展開にもう爆笑。それまでの憂さを晴らすかのごとく、ヘナチョコ夫をモーレツな勢いで叱咤する原節子にクラクラ。願わくば「パート2」が見たかったもんだ。もちろんスポ根映画で。同時上映の名作『山の音』では、鼻血を押さえて義父に流し目を送る原節子にヤラれたし、ステキな1日であった。それにしても激混みだったな、新文芸坐。 |