Diary

■2005年10月

05.10.31
■イーストウッドの遺作

『ミリオンダラー・ベイビー』
 クリント・イーストウッドは上手い。上手い監督は数多いがイーストウッドくらいだろう、「いばらない」「偉ぶらない」「テクニックをひけらかさない」のは。そんな彼が、前作『ミスティック・リバー』に続いてまたしても「背伸びせずに」アメリカを描いて見せた。
 50〜60年代はウェスタン、70年代はアウトロー、80年代は孤高のプロフェッショナル、90年代は老境に入ったかつての英雄、そして2000年代はもう1度挑戦する老人。イーストウッドは半世紀もそんな風に演じたり監督したりして来た。アメリカ映画の歴史の半分にそうやって足跡を刻んで来たのだ。
 75歳を過ぎたイーストウッド。この先何本の映画を作れるかは判らない。全てが傑作であるという保障もない。だがこれだけは断言出来る。『ミスティック・リバー』以降の全ての作品が彼の「遺言」となるだろう。これから先イーストウッドの撮る映画は、全てが堂々と「遺作」と呼べるものとなるはずである。
 だから我々は背筋を伸ばして彼の遺言に耳を傾ける以外にはないのだ。



■おっぱいがいっぱい

『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(1969年)
『徳川いれずみ師 責め地獄』(1972年)
『徳川女系図』(1968年)
『徳川女刑罰史』(1968年)

 今夏亡くなった石井輝男監督の特集が新文芸坐で始まった。最初の4作品、どれも「エロ」「猟奇」「悪趣味」の毒華が満開だが、見せ方は至って「まとも」で、クラシカルでさえある(トークショーのゲスト山根貞男氏が仰っていたのはこのことだろう)。今までこの人の作品を敬遠していたが、この点では意外であった。なにせまあ、成瀬巳喜男の助監督を経験した人でもあるしね。
 たとえば鈴木清順が見せ方に凝り過ぎたばかりに「難解」と受け取られてしまったのに対し、石井輝男は非常にストレートな撮り方をしているためそういう印象は無い。カメラの前で繰り広げられる酒池肉林や阿鼻叫喚の図を、撮影や編集や光学処理で「ファンタジー」に変換することなく「まんま」フィルムに定着させている。
 だから石井作品のエロにはいやらしさが希薄だ。江戸城大奥を描いた『徳川女系図』で、所狭しと腰巻いっちょうで乱舞する女の群れに、ミョーな躁状態になることはあれど下半身が反応してしまうことはない。どこかパゾリーニ作品に描かれるエロと同じものを感じる、と言ってもいい。パゾリーニはホモだったが石井輝男はどうだったのだろうか。
 それにしても、今まで小生は1度にあんなにたくさんのおっぱいを見たことはなかった。とにかく物凄い数だった。形も大きさも様々なおっぱいが恥ずかしげも無く揺れ放題揺れていた。もういやらしくもなんともない。女子高の教員をやっている友人が、「うらやましいなあ」という小生の言葉を一笑に付して「女に見えないぜ」と言っていたのが理解出来た気がする。
 とは言っても、画面上で展開するのはやはりどれも「男の夢」だな。男の妄想、いや「童貞の妄想」だ。「いれずみってイタイらしいよ」とか「大奥って毎日ヤレるんだぜ」とか「美人の妹とヤッたりして」とか「尼寺って大変なことになってるらしい」とか「金髪外人のおっぱいってスゲー」などなど、童貞が1度は抱く妄想や戯言をまんまぶちこんだ悦楽の園がこの「徳川〜」シリーズであった。
 


05.10.24
■つれづれ

 ATG映画のことばかりでは何なのでそれ以外の出来事や思うことも書こうか。


 今年は何と言っても映画を見始めて30周年。そこで記念すべき1本目の映画『ジョーズ』のポスターを購入することに。あまりにも見慣れているあのデザイン。通常の1シートを買うつもりなどさらさら無い。倍近くある厚紙版をebayにて落札。縦1.5m、横1mという大きさ。ちょっとした恐怖感すら覚える。勿論Rolled。恐らくRolledで配布された『ジョーズ』のポスターで最大だろう。ただし未使用品というわけにはいかなかった。ピン穴やエッジの傷み、わずかな退色などが気になったが、それでもこのサイズの物は激レアである。やはりヴィンテージ・ポスターは素晴らしい。


 さらに『エクソシスト』のポスターもゲット。通常の1シートではなくこちらも厚紙版のRolled。ebayにて63ドルで落札。これは安い。なにしろ31年も前のポスターである。状態も悪くない。よく残っていたものだ。上記の『ジョーズ』もそうだが、ヴィンテージ・ポスターの最も価値ある要素は絵柄よりも実は下部クレジットにあるという思いが年々強くなっている。「THE EXORCIST」というタイトルの下にある「Directed by WILLIAM FRIEDKIN」という文字、そして下部に表記されているエレン・バースティン、マックス・フォン・シドウ、リー・J・コッブ、ジェイソン・ミラー、リンダ・ブレアーといった俳優達の名前。彼らの名前が1枚の紙の上にあるというだけで深い感慨を覚える。


 新文芸坐での「ATG特集」で最も強烈に焼きついたのが大島渚作品『少年』である。あの少年の顔をどうしてももう一度見たくて、既に廃盤になっているDVDをネットで探したところTSUTAYAの通販で発見。ついでに『少年』の映画音楽を収録したコンピレーションCD「林光の世界」も買った。やはり林光は小生のツボだ。「日本のジョルジュ・ドルリュー」ではなかろうか。


 上野で「北斎展」が始まる。この機会にちゃんと見ておこうと思う。
 来月には山口晃が日本橋三越のギャラリーで個展をやる。もちろん三越の広告のために描かれた作品も出る。
 江本創氏から彼の地元千葉県で行われるグループ展のDMが届く。彼は元気だろうか。来年の青木画廊での新作展に向けて頑張っておられるはずだが。そのうち陣中見舞いにでも伺うとしよう。
 何やら「芸術の秋」な感じだ。神奈川で開催中の「シュヴァンクマイエル展」は残念ながら断念。そう言えばシュヴァンクマイエルの奥さん(彼の映画のポスターを描いていた人らしい)が病気で亡くなったんだそうだ。気の毒だと思う。


 「ドイツ漫遊記」を書いていて思い出した。
 ミュンヘン〜ベルリン〜フランクフルトと巡って日本人を見かけることが驚くほど少なかった。最も多く見たのはミュンヘンでの宿泊先。どうやらツアー客が泊まってた様子。そしてもう1つ、これは当たり前だが帰りのフランクフルト空港。搭乗ゲートのロビーに溢れ返った「ばあさんたち」。60代後半から70代のばあさんの団体がいくつも。中には土産に買ったと思しき瓶詰めを開いて輪になってつついている恥ずかしい連中もいる。不思議なことに「老夫婦」ではない。女性ばかりである。きっとハイクラスの人たちなのだろう。変に旅行慣れしている印象だった。夫にポンと金を出してもらって友人同士で楽しんでいる感じ。夫は夫で羽を伸ばしているのか、それとも女房不在でオタオタしているのか。
 ドイツでは腕を組んで歩くドイツ人の老夫婦を随分と見かけた。ICEの食堂車で食事をする老夫婦。パブでビールを飲む老夫婦。美術館の長蛇の列に佇む多くの老夫婦。年齢を重ねた夫婦が極々自然に寄り添っている風景。日本人にあれはムリなのだろうか。
 帰りの機内で村上龍のエッセイ『ダメな女』を読む。仕事も含めて海外に行くことの多い著者が見て来た、海外での日本人の振る舞いがいかに「どうかしてる」かが綴られていたりする内容。久し振りに彼のエッセイを読んだが、やっぱり面白い。読んだシチュエーションがシチュエーションなだけに1.5倍グッと来た。日本人、やはり死ななきゃダメか。


 今年はもう150本近く劇場で映画を見ている。年内に恐らくあと20本くらいは見ることになるだろう。この数は過去最高である。ほぼ「2日に1本」映画館で映画を見ている計算だ。
 それに反して大変な問題がある。「これが今年のベスト1!」という文句ナシに面白く、小生の心を捉えて離さない作品に出会っていないのだ。もちろん新文芸坐で見る古い名作にはそんな映画が多々あった。ところが今年公開された新作がどれもこれも今ひとつなのだ。
 『エターナル・サンシャイン』『ライフ・アクアティック』『パッチギ!』あたりが今年最も感銘を受けた作品だが、「ベスト1!」と言うにはチト物足りない。『パッチギ!』のラストでは不覚にも泣いてしまったが、あれをベスト1なんぞにしたら小生の名折れになる。『シン・シティ』に多大な期待をかけたが肩透かしだったのもショック。映画生活30周年にして「今年は該当作ナシ」という結果になるかも知れぬ焦りと落胆を隠せないこの季節。



05.10.24
■「ATG挑発のフィルモグラフィ」後半戦!

『サード』(1977年)
 同級生の女子を売春させた際のトラブルでヤクザを殺してしまった高校生=通称「サード」(野球部だったから)の少年院生活を描く。デビュー間もない永島敏行と森下愛子が瑞々しい。学校の図書室でのセックスシーン(未遂)は語り草だった。森下愛子のヌードがとにかく美しい(久し振りに見たら顔はジョン・マルコビッチにちょい似)。70年代後半における「ザッツATG!」な作品だろうな。プリントが古いせいで退色が進み、白黒ならぬ「白赤」になっちゃってたのが残念。少年院の仲間に若松武を発見。寺山修司関連でのキャスティングだろうか。サードに喧嘩をふっかける生徒には池田史比古。『ラスト・エンペラー』で甘粕(坂本龍一)とコンビを組んでいた人だ。


『青春の殺人者』(1976年)
 長谷川和彦の監督デビュー作、というか2本撮ったうちの『太陽を盗んだ男』じゃない方の作品。久し振りに再見したけど初めて見た時の感想と同じだな。役者たちのテンションが普通じゃない。息子=水谷豊と母親=市原悦子の一騎打ち(?)は映画史に残る凄い場面だろうし、内田良平はいぶし銀の魅力で父親を演じきって、ステレオタイプの「親殺し話」ではない構図を作り上げた。恋人役の原田美枝子の変なセリフ回し&ダミ声もいい牽引力になってる。ゴダイゴの曲(なんとこれ入ってるLP持ってた)もなかなかシャレてる。1976年という制作年度を考えるとかなり新しい感覚を持った作品であると言えるだろう。当時「キネマ旬報」でもベスト1だ。ただ、『太陽を盗んだ男』(1979年)が四半世紀を過ぎても輝きを失わなず、邦画エンターテインメントの最高峰に位置し続けている(当社比)ことを思うと、『青春の殺人者』は「デビュー作」という域を出てない気がする。それでもこの作品は素晴らしい。「ATG」という枠が窮屈そうなほどの勢いと荒々しさがある。


『東京戦争戦後秘話』(1970年)
 副題「映画で遺書を残して死んだ男の物語」。映画を作ることで世界や政治に関わっている学生たちの話。出演者全員が本物の学生らしい。脚本に佐々木守、美術に戸田重昌、撮影は成島東一郎、音楽は武満徹・・・・すごい、黄金の布陣だ・・・・なのに・・・・キツかった。面白くないんだなー。絵的に美しい場面も無かったし。ただ主演の岩崎恵美子という女の子がめちゃめちゃタイプ。ヴァイオリニストの諏訪内晶子(が一番可愛かった頃)にそっくり。もう目がハートになっちゃった。彼女をひたすら目で追い続けた90分。


『心中天網島』(1969年)
 これも撮影=成島東一郎、音楽=武満徹だった。今回の特集2本目の近松心中物。主演は若き日の中村吉右衛門だ。「鬼平」だよ。『曽根崎心中』と違って俳優達の演技はまあフツーなんだが、その代わり「黒子」がついてまわるという実験をやってる。グラフィックデザイナー=粟津潔による美術も様式美が全開。


『竜馬暗殺』(1974年)
 坂本竜馬暗殺までの最後の3日間を骨太に描く力作。原田芳雄がギラギラと演じる竜馬がなんとも男臭くてチャーミング。竜馬の命を狙いながらもついやりそびれ、不思議な友情と絆で行動を共にするのは石橋漣司と松田優作。「ええじゃないか」のデモに紛れるため女装し、そのままの姿でぶらつく3人の姿がとにかく見事な絵になっている。刺客から身を隠しながらも女を抱き、酒を食らい、鍋をつつき、写真機で記念撮影をし、倒幕と改革の構想を語る大胆不敵な男達。動乱の時代を太く短く生きた彼らの姿を時にコミカルに、時に熱く、時にドライに描いたこの「新しい時代劇」は、30年以上を経ても全く色褪せることのない名作であった。若き日の原田・石橋・松田の3ショットは永遠に不滅だ。時を経て1人は総理大臣を演じるまでになり、1人は日本一の怪優になり、1人はハリウッド映画を最後に死んだ。この3人が老境に入ってまた顔を揃えたら一体どんな映画を見せてくれたろうか。久し振りに『竜馬暗殺』を見てそんな夢を見ずにはおれなかった。


『遠雷』(1981年)
 栃木県でトマト農家を営む青年の「ザッツ・カントリー・ライフ!」を描いた作品。原作者の立松和平も出演。あんなに朴訥とした人なのに随分と濃い話を書く。高校時代に1度テレビで見ているが、その時は石田えりのダイナマイトボディばかりが記憶に残ったものだ。しかし今見るとなんだか怖ろしくリアルだな。主人公を取り巻く家族・友人・仕事・町が丁寧に面白く描かれるが、あまりに真実味があってちょっとへこんだ。仕事以外の楽しみと言えば酒と女くらい。初めて見合いをした相手と簡単に結婚し子供が出来る。これからどんな人生を送るのか全て見通せてしまう悲しさ。団地妻にトチ狂った挙句殺してしまう友人を演じるジョニー大倉はやっぱり見事。あの独白シーンは本当にすごい。
 そして石田えりの素晴らしいボディは20年以上を経て今回も小生の心を捉えた。ああ。


『家族ゲーム』(1983年)
 小生は20代の頃この映画をビデオで何度も何度も見た。松田優作、伊丹十三ら一筋縄ではいかない俳優達も森田芳光の風変わりな演出も前田米造の美しい撮影も、もう何から何まで好きだった。1989年(なんとこの作品からたった6年後だ!)、松田優作が亡くなった時に追悼の意味で見て以来、この作品を見ることはなくなってしまった。
 80年代の邦画を見ることは恥ずかしい。当時のファッションや流行、風俗がイタイ。イタ過ぎる。小生もああだったかと思うと顔から火が出そうだ。だから『家族ゲーム』を再見するのには勇気が要った。ところがどうだ。80年代の「あのイタさ」がほとんど無い。不気味なほど古びてないのだ。登場人物たちのリアルともシュールとも言えるセリフのやりとりとアクション。音楽が一切かからず、その代わりに付けられた異様なほど大きな効果音。全篇に渡って炸裂しまくる笑いの感覚は現在でもちゃんと機能する。あれだけ見たにも関わらずまた笑いっ放しだった。16年ぶりに見て驚いたのは、松田優作のセリフのほとんどをかなり正確に暗記していたこと。いくら好きでもそんな自分がちょっとイヤになった。


『曼陀羅』(1971年)
 円谷プロの特撮シリーズで育った小生には実相寺昭雄という監督には特別な思い入れがある。彼が演出した『ウルトラマン』『ウルトラセブン』そして『怪奇大作戦』には他エピソードとは一線を画す無気味なムードが漂ってた。それは撮影と音のせいである。強い逆光によってシルエットと化した俳優、超広角レンズで湾曲した風景、ドリーを使って疾走する不自然な移動撮影、カットの切り替わりで鳴り響く「カァーッ」とか「シャーン」とか「チリーン」とかいう効果音・・・・実相寺の専売特許と言ってもいいこれらの方法を使えるだけ使って、ひたすら難解でエロティックに日本人の精神性を描いたのがこの『曼陀羅』である。『ウルトラQ』『ウルトラマン』で子供にはお馴染みだった桜井浩子が、自慢の貧乳でがんばる大胆場面の連続にまずは戦慄。「農業とセックス」を信条とするコミューン(つうかカルト集団)のリーダーを演じる若々しい岸田森は美しくうっとりさせる。目と口をカッと開いた死に顔が最高。やたらと陰鬱な登場人物たちが犯されたり自殺したり、しまいには全員海で水死したりと不条理でポンな展開に唖然だが、ひとり生き残った主人公(極左翼の学生)が日本刀を携えて東京行きの新幹線に乗るシーンで、国会議事堂が一瞬インサートされるという衝撃的なラストの余韻が心地良い。
 好きな人にはたまらない1本。そうでない人には爆睡モノ。


『無常』(1970年)
 同じ実相寺昭雄作品でもこちらはもうちょっと判り易い。大阪で商業を営む旧家、姉と弟の近親相姦を軸に、姉に恋心を抱く僧侶、鬱々とした使用人の男、弟が師事する仏師、その若い後妻、仏師の息子・・・・彼らの屈折した愛憎劇とただれたセックスを描くひたすら不健康な作品。80年代末からポルノを撮るようになる実相寺の「エロ・サイド」の原点とでも言いたくなる内容だ。姉の妊娠(もちろん弟の子供)がバレる前に慌てて結婚させられる使用人に、『怪奇大作戦』第23話「呪いの壺」で忘れ難い存在感を見せた花ノ本寿(日本舞踊の人らしい)。妻と弟の情事を目撃し、自分の子供が義弟の種だと知るや新幹線に飛び込み自殺。性的不能の仏師は妻と弟子の肉体関係を黙認、さらに「奥さんと交わることで先生とも一緒になれる」という弟子の3P宣言も飛び出す始末。しかもその妻は仏師の息子(なんと佐々木・宇宙戦艦ヤマト・功!)とも関係を持つというただれよう。う〜ん、濃い。オリジナルは2時間23分もあるが、今回のプリントは2時間弱の短縮版(故にクレジットにある寺田農、小林昭二の出演場面はカット)だった。しかしこれ、あと30分も長いヴァージョンてどーだろーな・・・・。
 好きな人にはたまらない1本。そうでない人には爆睡モノ。


『修羅』(1971年)
100両という大金をめぐってだましだまされの争奪戦を繰り広げる浪人、浪人の家来、芸者、芸者の夫とその仲間。血みどろのド派手な惨殺シーンやどんでん返しで二転三転する意外な展開はまるでハリウッド・ノワールのようだ。家来が苦労して工面して来た100両を芸者とその一味にだまされて巻き上げられ、浪人は復讐の鬼と化し皆殺しにするが、めぐりめぐってその100両が最後に自分の手に戻って来るという皮肉すぎるオチに凍りつく。芸者の乳飲み子に容赦なく刀を突き立てる(なんと芸者に柄を握らせて!)ばかりか斬った芸者の首を切断しそれを目の前に置いて酒を呑むという狂気の浪人を中村嘉津雄がハイテンションで演じる。過剰にスタイリッシュな演出が鼻につくが、そこが松本俊夫イズムだろう。タランティーノ作品も真っ青のスプラッター復讐劇。


『薔薇の葬列』(1969年)
 ゲイ・ボーイを演じるピーターの素顔がものすごく面白い。目と目が離れすぎだ。怖ろしくヘヴィーな付けマツゲもクレイジー。彼と関係をもつゲイ・バーのオーナーにどういうわけか土屋嘉男。しかも何故かとてもイイ体している。ピーターの母親には今回のATG特集2度目の登場、東恵美子。秋山庄太郎や蜷川幸雄や淀川長治などもチョイ役で華を添える。当時の新宿2丁目の風俗やファッション、謎の路上パフォーマンスなど「時代の空気」がビンビン。ゲイ・ボーイ、ゲイ・バーの経営者、ゲイ・バーのママ、ゲイ・ボーイの母親(の思い出)が入り乱れる愛憎劇。ピーターと肉体関係を持った土屋が実は自分と母親を捨てて出て行った実の父であったことが発覚。土屋は頚動脈を切って絶命。ピーターはナイフで両目を潰す。ピーターの役名は「エディ」、つまり「エディプス」なのね。たびたびインサートされる小難しい字幕やいかにも「実験してます」風の演出も含めて、非常に気取った映画。つうかピーターのアイドル映画とも言える。



05.10.17
■「ATG挑発のフィルモグラフィ」開幕

『音楽』(1972年)
 三島由紀夫の同名小説を増村保造が映画化。「音楽が聞えない」と言って精神科医に不感症を告白する女性の性的トラウマと実兄への近親相姦願望を、奇怪な妄想をまじえつつ異様なタッチと常人にはないテンションで描き倒す怪作。主演の黒沢のり子という女優がとにかくイッちゃってるし、精神科医を演じる細川俊之のマンガのようなダンディっぷりに苦笑。しかも、あの『ウルトラセブン』のモロボシダン=森次浩司がセックスシーンを見せるとは!実はこの作品、1980年に東京12チャンネル(現テレビ東京)の「日本映画名作劇場」(解説は品田雄吉)で放映された際に見ている。当時中学3年生だった。早過ぎだろ、これ見るの。


『曽根崎心中』(1978年)
 近松門左衛門の有名な浄瑠璃を宇崎竜童と梶芽衣子で「まんま」映像化。無表情な顔、映画とは言えない動き、大仰なセリフ回しなど最初はどうにも戸惑ったが、梶芽衣子が見せる絶世の美貌と大映テレビドラマのようなどこかネジの外れた直球芝居に引きずられるうちに、脳内にヘ〜ンな汁が出始めた。ベテラン井川比佐志や左幸子のせいもあって際立ってしまった宇崎竜童の学芸会並演技には失笑せざるを得ないが、見終わってみれば梶芽衣子の演技とのバランスが意外にも良かった気がする。暑苦しい存在感を見せる橋本功のハマリっぷりも見事(惜しい人を亡くした)。赤い腰巻いっちょうでオッパイをぶるぶる揺らしながら火打石をたたく青木和代の姿に唖然。『ドラえもん』のジャイアンのお母さん、『未来少年コナン』のジムシィを演じた声優だ!ひえ〜っ。なんだか友達のお袋の裸を見ちゃった気分。
 とにかく、これ梶芽衣子の代表作の1本だと思う。も〜うっとりしたよ。美し過ぎて怖い。彼女が出ているというだけで傑作だ。浄瑠璃の映像化か・・・・もしかして実写版『サンダーバード』もこういう風に作ればよかったのでは?


『少年』(1969年)
 「当たり屋」をしながら各地を転々とする一家を描くロードムービー。長い間見たかった作品をやっと見ることが出来た。もう最高だ。大島渚バンザイ!
 主人公の少年を演じる子の顔がとにかくいい。演技も上手いが何よりも顔だ。この辺りに大島渚のセンスを感じる。観光地、旅館、食堂など「昭和」を背景にした家族4人の風景にしびれる。決して暖かい風景などではない。少年の父親は無職の傷痍軍人、母親は継母、弟は腹違い、そして母親と少年が当たり屋で稼いでいるのだ。どの車に当たろうか決めかねている少年を後ろから突き飛ばす母親。遠くの建物の上から見張る父。父は母と喧嘩が絶えず、2人とも少年には辛くあたる。もう「かわいそう」とか「気の毒」とかいうレベルではない。母親の秘密を握ることで少年との距離が縮んだかに見えるが、そうでもない。辛い現実から目を背け少年は宇宙へと思いを馳せる。本州で「仕事」がしづらくなった一家は北海道へと渡る。寒々しい家族の風景はどんどん凍り付いていく。日本最北端の記念碑の前で猛吹雪の中まんじゅうをパクつく親子。『日本春歌考』でも大雪の東京を美しく切り取って見せた大島。クライマックス、逃げようとした少年と、「おにいちゃん!」と追って来た幼い弟が降り続く雪の中に佇む風景には「映画の奇跡」を感じずにはいられない。この作品の白眉だ。
 「日の丸」を効果的に配した戸田重昌による美術、林光による不条理感みなぎる音楽を後ろにつけて少年の顔は一層輝く。演じた阿部哲夫という子供はこの一作で消えた。良かったと思う。「永遠」を手にしたのだから。
 この作品を見ていて思い出した映画がある。山田洋次の『家族』(1970年)である。同じく家族を描いたロードムービーとは言え、その温度差には怖ろしく開きがある。『少年』で幼い弟を演じた子は、なんと翌年『家族』でも父母に連れられていた。なんちゅうこった。


『祭りの準備』(1975年)
 前述したように、その昔東京12チャンネルでは毎週のように土曜日の夜遅く日本映画を放映していた。70年代中盤くらいまでの邦画を見ることがこの上ない楽しみな中学生だった(嫌なガキだ)。だからATG作品はそれなりに見ていたように思う。そんな中にこの『祭りの準備』もあった。漁村を舞台にした青春映画で、江藤潤と竹下景子のセックスシーンがあって、原田芳雄が最後にバンザイをしていた程度の記憶しか無かった。で、約25年ぶりに再見。いやー、凄いなこの映画。セックス!セックス!セックスだよ!年頃の主人公(童貞臭プンプン江藤潤)が悶々とするのわかるわ。隣家が凄まじい。盗みで刑務所へ入った兄の嫁を代わりに可愛がる弟(原田芳雄が最高)に、シャブでクルクルパーになって都会から戻ってきた妹。健常者ではないことをいいことに村の男達は彼女に夜這いをかける。主人公もまた同じだが、結局モノにしたのは主人公の祖父(浜村純がイイ〜)ってのがまた凄い。主人公の恋人(竹下景子が可愛い)は左翼系活動家にコマされちゃうし、友人で足の悪い仕立て屋が実の母親とやってる姿を目撃しちゃうし一体どうなってんだ、この村。誰のか判らない子供を生んだら何故かクルクルパーが治った隣家の娘につれなくされた祖父は首吊り自殺。原田芳雄はどこかで誤って殺人を犯して逃げ回り、主人公は勤務先で宿直中に恋人を連れ込んで火事を出す。で、シナリオライターを目指している主人公は家族や村や恋人から逃れるように東京を目指すという最後。脚本家中島丈博の自伝的内容だとさ。


『津軽じょんがら節』(1973年)
 ほとんど記憶に無かったが、やっぱりこれも昔見てたな。東京から逃げて来たチンピラとその恋人は彼女の故郷である漁村に落ち着く。最初は村に馴染めないチンピラだが、盲目の少女やシジミ漁師のおやじと交流するうちに村に居ついてしまう。そしてやって来る追っ手のヤクザ。
 三味線の音色、吹きすさぶ風、逆巻く波、「よくまあこんなとこに住んでるぜ」というあばら家、なんの娯楽も無くひっそりと生きる人々・・・・もはや遠い国の出来事としか映らない過酷な風景。「失われ行く土着的な日本の中に自らの居場所を求める都会の若者」という、当時社会問題だった「過疎化」と逆行するストーリーに、結局そんな夢はかなわないという厳しいラスト。「ザッツ・ATG!」とでも言いたくなる名作だ。
 主人公のチンピラ役織田あきらは『日本の首領 完結篇』でドラ息子をやってた人(板尾創路に似てる)。彼が父親のように慕うシジミ漁師に同作では実の父親を演じていた西村晃。主人公が恋する盲目の少女の母親には同シリーズで佐分利信の妻を演じた東恵美子という、なんとも『日本の首領』なキャスティング。


『初恋・地獄篇』(1968年)
 子供の頃、羽仁進という監督は動物のドキュメンタリーばかり撮っている人かと思っていたが、新しい手法を駆使した日本のヌーヴェルヴァーグの騎手だったことを後に知った。1972年作品『午前中の時間割り』は夏休みに2人きりで旅に出た女子高生(素人)の姿を、各々に持たせた8mmカメラが切り取った映像で繋いで行くという実験的な青春映画だった。全篇に漂う「アマチュアっぽさ」は瑞々しくもあり、青臭くて恥ずかしくもあり、退屈でもあった。
 寺山修司脚本によるこの『初恋・地獄篇』、主人公の少年少女を含めほとんどの登場人物がやはり素人で、彼らの存在感が同様のアマチュア感を醸し出してはいるが、物語はこちらの方がしっかりしている。親に捨てられ彫金師の養父の下で男色の責めに耐えて育った少年が、ヌードモデル(美術学校向けではなく風俗系)をしている少女と恋に落ちるが、いろいろあってヤクザ者に目を付けられ追われた挙句少女のアパートの前で交通事故死するというストーリー。少女の商売が商売なだけあってアングラなムードは満点。少年の「童貞200%」な風貌と言動(ロリコンを思わせる場面もあり)にヒヤヒヤ&イライラ。養父と少年の職業が彫金てのが小生的にはどうにも複雑(同業者なのでね)だったり、上野界隈の風景がステキだったり。いろいろと見るべきところは多いし、「ヌーヴェルヴァーグ感」があると言えばあるが、「ATG作品」という枠組みをはずした上でどのくらい評価されて来たのかは疑問だ。小生は好きだけどね。音楽もツボだったし。
 少女のパトロンみたいな中年男を昔NHKの『中学生日記』で先生役をやっていた湯浅実が演じていた。懐かしい。非常に小さい役だが阿知波信介の顔も。『ウルトラセブン』の「ソガ隊員」ね。


■「劇画のような映画」ではなく「映画のような劇画」

『シン・シティ』
 スーパークールな画作りと曲者ぞろいのキャスティングで原作を怖ろしいほど「まんま」映画にしてしまった話題作。特殊メイクバリバリだがやっぱりミッキー・ロークはかっこいい。酒や煙草が似合いすぎ。この作品中最もハードボイルドだったのはもちろん彼。なんたって『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』『エンゼル・ハート』だもんね。出色は超サイコなイライジャ・ウッド。もうね、藤子A不二雄の『魔太郎がくる!!』にしか見えない。薔薇模様のシャツに黒マント、絶対似合うって。「メラメラメラ 恨みはらさでおくべきか」ってさ。女優陣も良かったな。女が魅力ないと男が輝かないからね、ハードボイルドは。デヴォン青木の役が意外や大きかったのに驚いた。小生的にはブリタニー・マーフィーにlove。若い頃のゴールディー・ホーンと加賀まりこを足した「小悪魔」の王道的な顔。キャスティングに関しては言うことないんじゃないかな。最近珍しいほどに完璧だった。
 とにかくムード満点の『シン・シティ』。ストーリー展開も巧みだし、CGで作り上げた画からも世界観がビシビシ伝わって来る。しかし、残念だ。音楽がつまらないのだ。これは致命的だと思う。ハードボイルドに限らず音楽の良し悪しは映画の出来を左右する。タランティーノの音楽センスの半分でいいからロドリゲスに備わっていればね〜。故に『キル・ビルVol.1』を超えられなかった。
 


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