■そう言えば忘れてたのね
『TAKESHIS'』
実は「追悼 石井輝男監督特集」の合間に見ていたんだが、『セクシー地帯』から受けた衝撃で日記に書くの忘れてたよ。
ヴェネチア映画祭やマスコミの反応が「賛否両論」とか「難解」だと言うが、簡単には理解出来ないように作ったのだろうから、まあそれでいい。
ただね、面白くなきゃダメだろう・・・・。
「判んなくてもいい、面白ければ」はデイヴィッド・リンチ作品が証明している。誰の入れ知恵か、はたまた独学の成果なのか、ところどころに伺える「リンチ風味」・・・・寒くて凍りつきそうだ。あれをやって許されるのは世界中でただ1人デイヴィッド・リンチだけだと言うのに。愚かという他ない。
集大成?セルフパロディ?あんな形での集大成なんか望んでいない。「実際のビートたけし」を演じるたけしもヘタクソ過ぎだろ。『3−4X10月』の上原はあんなに「たけし」だったのに。役者たちの中には相変わらず素晴らしい存在感を示す者もいる。岸本加代子や寺島進、大杉漣は良い。
なんであんな作品を作ったのだろう?インタビューでの北野武の声に耳を傾ければある程度理解出来るのだろうが、まったくそんな気を起こさせないほど何も「引っかからない」映画。
『座頭市2』を早く見せてくれ。
■渋谷へ行ったの半年振りだな
『ミリオンズ』
前作『28日後・・・』が思いのほか面白かったダニー・ボイル。通貨が数日後にポンドからユーロに切り替わるイギリスのある街で、幼い兄弟がポンドの札束がぎっしり詰まったカバンを拾ったことから起きる騒動を描いた作品。「敬虔なキリスト教徒」と言うよりは「聖人オタク」の弟は貧しい者たちに恵もうとし、計算高い兄は不動産など財テクに走る。母親を亡くした寂しさと新しいお母さんを迎える戸惑いなんぞも効果的にからめつつ、愉快な映像と軽快なテンポで巧みに見せる技術は大人の余裕さえ感じさせる。
あの兄弟が可愛ければもっと印象に残るのだろうが、あんまり可愛くしちゃうとラストがシラけてしまうから、まああんなんで良いのか。
それにしてもユーロに加入するイギリスか・・・・ほとんどSFのようだな。あんな日(劇中では「E-day」と呼んでいた)が来ることはあるのだろうか。
■イタリアの宝石
『ブラザーズ・グリム』
テリー・ギリアムにかつてのような傑作を期待すまい、と思う。『未来世紀ブラジル』や『フィッシャー・キング』を超える作品は作れなくてもいい。でも、ギリアムがグリム兄弟を映画化すると聞いて期待しないほうがムリだ。
あの大胆なストーリー構築は悪くない。「山師のような兄」と「学究肌の弟」という対比、幼い頃妹を病死させた暗い過去をめぐる兄弟の対立を核に据えてるのはある意味ギリアムっぽいし、グリム童話中の有名なエピソードを絡めながらミステリアスに進行するのも興味深い。兄弟を演じる2人の俳優もナイス(特にヒース・レジャーは素晴らしい)だし、脇を固めるジョナサン・プライス(歳とったなあ。まあ『ブラジル』から20年だもんな)とピーター・ストーメア(あの演技、『暗殺の森』『ゴッドファーザーPARTU』のガストーネ・モスキンの真似じゃないか?)も楽しい。でも何か足りないんだよね。スケール感の無さか?凡庸な映像か?見せ場の不足か?どうにもこうにも「不発」な印象が否めないのだ。
この手の「コスチューム物」で「ファンタジック」で「ホラー」な作品を見るにつけ、ティム・バートン作品『スリーピー・ホロウ』の突出した傑作ぶりを思い出す。古色蒼然とした怪奇趣味とケレン味たっぷりの映像美と小道具や衣装へのフェティシズムがハンパじゃなく溢れていた。
しかしまあ、最大の不満はモニカ・ベルッチの出番の少なさに尽きる。
彼女は宝石である。イタリアが世界に誇る至宝である。もうね、世界一美しい女はモニカ・ベルッチに決めちゃっていいと思う。全てにおいてパーフェクトなその美貌。エロティック極まりないそのボディ。
モニカ・ベルッチが自分の近くに座ったところを想像してみて欲しい。人はそんな状況に耐えられるものだろうか?彼女に迫られたら小生は間違いなく気絶するだろう。さもなくば舌を噛んで死ぬ。死んだ方がマシだ。だからやっぱり鏡を割ってしまうだろうな、怖くて。怖くてかよっ。いや、やはり復活させて生涯桃源郷の中で暮らすか。あああっっ・・・・ううむ・・・・ん?
どっちにしてもモニカ・ベルッチが足んねーつってんだよっ!
■ジョン・C・ライリーとは同い年である
『ダーク・ウォーター』
古びた団地の幽霊譚である。フツーの人が幽霊に脅かされるのではつまらないから、母親から可愛がられなかったトラウマを持つ女とその娘を主人公にし、上手い匙加減で彼女達の神経を逆撫でする管理人や不動産屋や住人や離婚調停中の夫を配した心理サスペンスとして展開。降りしきる雨も手伝ってなかなかにムーディーで不健康な映像世界。思いっ切り『セブン』以後の映像。しかも韓国を中心とする「アジアン・ホラー」の影響が色濃い。こういうのが増えるんだろうか、これから。
それにしてもジェニファー・コネリーは本当に素敵な女優に成長した。痩せ過ぎて、かつて『ロケッティア』や『ホット・スポット』で見せた豊満な色気が懐かしいが、その分内面の輝きは増した。幼少時の彼女を演じるのは『キル・ビルVol.2』でブライドの娘だった子だ。弁護士役のティム・ロスは随分と贅沢なキャスティング。別に彼じゃなくてもねえ。無愛想でワケありそうな管理人を演じる『ユージュアル・サスペクツ』の「コバヤシ」がグッジョブ。
そして、憎まれ役の不動産屋を演じるジョン・C・ライリー・・・・やっぱりいいんだ、彼が。あの顔だな。一見悪人ヅラだが実はかなり可愛いあの顔。あの顔は喰いっぱぐれないぜ、この先も。
■「復讐三部作」のグランド・フィナーレ
『親切なクムジャさん』
スマッシュヒットした『オールド・ボーイ』、そのヒットに乗じたもののひっそりと公開された前作『復讐者に憐れみを』に続くパク・チャヌク「復讐三部作」の最終巻!よっ、待ってましたっ!
最終篇ともあって、そのグランド・フィナーレを華々しく飾るべく過去のパク・チャヌク作品から集結したキャスティングに思わず目を奪われた。クムジャさんには『JSA』のイ・ヨンエ、『オールド・ボーイ』から打って変わって今度は復讐される側のチェ・ミンシク、『JSA』『復讐者に〜』からソン・ガンホとシン・ハギュン、『オールド・ボーイ』でヒロインを演じた娘や監禁部屋の管理人、ユ・ジテの側近を演じた男、さらにはそのユ・ジテまで登場するという大サービスっぷりに感嘆。遺族たちの中には『復讐者に〜』の出演者や、ポン・ジュノ作品『殺人の追憶』で婦人警官を演じた女優の姿も。もう嬉しい限り!
とにかくパク・チャヌクの才能を堪能した。1作目『復讐者に憐れみを』が95点だとすれば、『オールド・ボーイ』は80点、『親切なクムジャさん』は70点とどんどん点数が下がるのだが、パク・チャヌクの才能を本気で評価出来たのは最後の『クムジャ』である。「復讐三部作」それぞれの持ち味とバランスを考えた時、最後に『クムジャ』を持って来たセンスには唸らざるを得ない。「復讐者もまた復讐される」「復讐される者にも生きる権利がある」「復讐者の魂は救済される」という三段論法。これ、逆順だったらパク・チャヌクの恐ろしさに心底震え上がったことだろうが、やはり彼には優しさがあるようだ。『クムジャ』のラストシーンの美しさ、そして最後のあのセリフには圧倒的なカタルシスを覚える。
それでも、『クムジャ』には目を覆い耳を塞ぎたくなる怖ろしい場面が用意されている。それは「ビデオ」のシーンだ。あの巧さ。あの辺りにパク・チャヌクの「フォースの暗黒面」がとぐろを巻いている。
このシーンを見て思い出した作品がある。黒沢清の『蛇の道』(1998年)である。復讐者=哀川翔によって廃屋に監禁され「同種のビデオ」を見せられた香川照之が恐怖・苦しみ・悲しみ・絶望で顔を歪め発狂するシーンは異様な迫力であった。
■かっこいい男たちの映画に物申す!
『亡国のイージス』(2度目)
以前8月の日記でなんだかんだとケチをつけながらも結果的に誉めた『亡国のイージス』を新文芸坐にて再見。「2度目は発見がある」ものだが、いや〜参った参った。ダメなとこばかりが目に付いて前回のようにはまったく楽しめず。以下、主な苦言。
まず最悪なのは導入部。かっこつけたつもりだろうが、あの始まり方はいたずらに観客を混乱させるだけ。陳腐と言われようが何と言われようが、やはり「イージス艦」のスペックや配備状況をまずは説明すべき!あの艦がどういう性能を持っているかをパンフレットなんかで説明せずに映画の冒頭でドーンと「絵で」見せないと、「こんな立派な戦艦がこんな国に必要か?」というこの作品のテーマに密着する問題が空回りだよっ!
陸の上でのケンカで警察沙汰になった隊員を仙石が引き取りに行く場面な・・・・単に仙石と如月の精神的絆の導入部を描くんだったら他に方法があるだろ!他の若い隊員たちを描くつもりなんか無いんだったらあのシーンいらねーよ!
如月、そしてヨンファたち・・・・今回の演習で初めて「いそかぜ」に乗り込む男たち・・・・何者だ?こいつら・・・・もしかして敵か?・・・・そんな疑心暗鬼のスリルとサスペンスをどーして丁寧に描かないんだよっ!「乗っ取り」映画の約束事だろーがっ!奴らの正体が判明し「いそかぜ」がどういう状況下に置かれてしまったのか、その時の仙石の衝撃や戸惑いだって皆無じゃねーかよ!
ヨンファの妹な・・・・あれだったらバッサリ切ったほうがいいんじゃねーのか?あいつに割いた時間で物語にもっと効果的なエピソードを他にもいろいろ見せられたんじゃねーのかよ。あん?
・・・・などなど。
小生は原作を読んではいないが、原作を読んだ家内の話やあえて説明を避けている映画の語り口から想像して作り出した小生の頭の中の「妄想的原作」と比較して(おいおい)、とにかく脚色がひどいと言わざるを得ない。恐らく脚本家に原作への理解力が欠如していたのだろう。へたな「愛情」や「愛着」は脚色の命取りだ。むしろ必要不可欠なのは「理解力」であり「取捨選択術」である。面白い映画にするためなら鬼にならなければいけない。それこそが原作と映画の「良い関係」であると思うのだがどうだろうか?
惜しい・・・・面白い題材だけに惜しい。うまく作れば大変な傑作になり得たものを。それでも、いやダメだからこそ小生は『亡国のイージス』という映画を可愛く思ってしまう。そんなところがどこか『マークスの山』(1995年)と似ているかも知れない・・・・いずれにしても怪作ということか?
そういやあれにも中井貴一出てたっけ。
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