Diary

■2005年11月

05.11.23


■『どろろ』映画化だと!?

 ご存知の方も多いと思うが、手塚治虫が1960年代に描いたマンガ『どろろ』が妻夫木聡&柴崎コウ主演で映画化されると発表された。

<『どろろ』ストーリー>
 戦国の乱世、魔物と取り引きし、生まれて来る赤ん坊の体のパーツ48ヵ所と引き替えに天下をとろうとした時の権力者がいた。イモ虫のような体で生まれ落ちた赤ん坊はタライで川に流され、そこを運良く医者に拾われる。精巧な義眼・義手・義足を与えられ、リハビリと超能力とも言える能力で立派な青年剣士へと成長、「百鬼丸」と名付けられ旅に出ることに。それは自分の体を奪った妖怪を1体倒すたびに失われていた体の部分が1ヵ所再生するという「運命の旅」であった。タイトルである「どろろ」とは、そんな旅の中で百鬼丸のお供をすることになった男の子の名前である。


 何故よりにもよってあの『どろろ』が・・・・手塚マンガの中で最も好きな作品である。まだ映画に染まる以前の小学3年生だった小生は、手塚にファンレターを書いたことがある。「先生の作品でいちばん好きです」と。その時に貰った返事は、ベレー帽型の氷嚢を頭に乗せた手塚がタライで水に浸かっているという挿絵の入ったものだった。手書き文字の一切無いその「暑中見舞いハガキ」に当時狂ったように大騒ぎしたものだが、残念なことにもう失くしてしまった。

 1977年の夏には「ある政党のお祭り」で行なわれたイベントで手塚治虫本人の姿を見たこともある。ステージ上で手塚がササッと描いたイラストに関するダジャレを当てるクイズ形式で、会場の客が当てるとその場でそのイラストが貰えるというものだった。30分も無いようなそのイベントの間中、手塚の一挙手一同を目に焼き付けようと必死だった。ハンカチで汗を拭いながらも笑顔を絶やさなかった手塚は本当に眩しかった・・・・。

 そんな思い出はともかく、『どろろ』映画化である。
 薄汚い男の子のコソ泥(最終話で女の子だと判明する)を男装の美人女泥棒に、原作の戦国時代から特定しないいつでもない時代へと設定変更するという。なんともふざけた話だ。強い者が残り弱い者が犬死にしていくという狂った戦国の乱世だからこそ百鬼丸とどろろの旅は成立したのだ。
 旅の途中で行く手を阻むグロテスクな妖怪たち。だがおぞましいのは妖怪ではなくむしろ人間たちであるという事実。手塚の根底にある「人間不信」(彼はヒューマニストなどではない)が生むハードでヘヴィなドラマ。コミックでは途中で連載が中止になったおかげで百鬼丸がどろろと別れる場面で唐突に終わるが、アニメ版では最後の48匹目の魔物が実は父親だったというオチまである。徹底した反権力思想、そして封建構造の中で引き裂かれる父子・母子・兄弟の話になっているのだ。しかも48体の魔物を倒しながら本来の人間の姿を取り戻して行くという、ほとんど「神話」のようなストーリー。大人になった今でも手塚のベストワークだと言い切れる作品だ。

 制作発表では、ニュージーランドで撮影して「日本の『ロード・オブ・ザ・リング』を目指す」というコメントまで出たらしい。「R.P.G.っぽい」という意味では『指輪』も『どろろ』も似ている要素があると言いたいのだろうが、しょせん戯言である。「ファンタジー」だと?朝鮮半島の南北分断をモデルにした悲劇まで描いて戦国時代を現代社会に重ね合わせて見せた『どろろ』を、制作側は「ファンタジー」にしてしまおうというのだ。

 「身体障害者への配慮」などからアニメ版の再放送は封印され、長い間幻の作品と言われていた。デリケートなテーマや政治性・社会性をも含むマンガゆえ、実写映画化などあり得ないと安心し切っていた。参っている。まだ遅くはない。本気でやめて欲しいのだ。

 あまりにも安易な制作意図と手塚作品が持つダークな魂への無教養が生み出すであろう、「間違いなく腑抜けた映画」を小生は一生涯許さないだろう。


05.11.17
■そう言えば忘れてたのね

『TAKESHIS'』
 実は「追悼 石井輝男監督特集」の合間に見ていたんだが、『セクシー地帯』から受けた衝撃で日記に書くの忘れてたよ。 
 ヴェネチア映画祭やマスコミの反応が「賛否両論」とか「難解」だと言うが、簡単には理解出来ないように作ったのだろうから、まあそれでいい。
 ただね、面白くなきゃダメだろう・・・・。
 「判んなくてもいい、面白ければ」はデイヴィッド・リンチ作品が証明している。誰の入れ知恵か、はたまた独学の成果なのか、ところどころに伺える「リンチ風味」・・・・寒くて凍りつきそうだ。あれをやって許されるのは世界中でただ1人デイヴィッド・リンチだけだと言うのに。愚かという他ない。
 集大成?セルフパロディ?あんな形での集大成なんか望んでいない。「実際のビートたけし」を演じるたけしもヘタクソ過ぎだろ。『3−4X10月』の上原はあんなに「たけし」だったのに。役者たちの中には相変わらず素晴らしい存在感を示す者もいる。岸本加代子や寺島進、大杉漣は良い。
 なんであんな作品を作ったのだろう?インタビューでの北野武の声に耳を傾ければある程度理解出来るのだろうが、まったくそんな気を起こさせないほど何も「引っかからない」映画。
 『座頭市2』を早く見せてくれ。


■渋谷へ行ったの半年振りだな

『ミリオンズ』
 前作『28日後・・・』が思いのほか面白かったダニー・ボイル。通貨が数日後にポンドからユーロに切り替わるイギリスのある街で、幼い兄弟がポンドの札束がぎっしり詰まったカバンを拾ったことから起きる騒動を描いた作品。「敬虔なキリスト教徒」と言うよりは「聖人オタク」の弟は貧しい者たちに恵もうとし、計算高い兄は不動産など財テクに走る。母親を亡くした寂しさと新しいお母さんを迎える戸惑いなんぞも効果的にからめつつ、愉快な映像と軽快なテンポで巧みに見せる技術は大人の余裕さえ感じさせる。
 あの兄弟が可愛ければもっと印象に残るのだろうが、あんまり可愛くしちゃうとラストがシラけてしまうから、まああんなんで良いのか。
 それにしてもユーロに加入するイギリスか・・・・ほとんどSFのようだな。あんな日(劇中では「E-day」と呼んでいた)が来ることはあるのだろうか。


■イタリアの宝石

『ブラザーズ・グリム』
 テリー・ギリアムにかつてのような傑作を期待すまい、と思う。『未来世紀ブラジル』や『フィッシャー・キング』を超える作品は作れなくてもいい。でも、ギリアムがグリム兄弟を映画化すると聞いて期待しないほうがムリだ。
 あの大胆なストーリー構築は悪くない。「山師のような兄」と「学究肌の弟」という対比、幼い頃妹を病死させた暗い過去をめぐる兄弟の対立を核に据えてるのはある意味ギリアムっぽいし、グリム童話中の有名なエピソードを絡めながらミステリアスに進行するのも興味深い。兄弟を演じる2人の俳優もナイス(特にヒース・レジャーは素晴らしい)だし、脇を固めるジョナサン・プライス(歳とったなあ。まあ『ブラジル』から20年だもんな)とピーター・ストーメア(あの演技、『暗殺の森』『ゴッドファーザーPARTU』のガストーネ・モスキンの真似じゃないか?)も楽しい。でも何か足りないんだよね。スケール感の無さか?凡庸な映像か?見せ場の不足か?どうにもこうにも「不発」な印象が否めないのだ。
 この手の「コスチューム物」で「ファンタジック」で「ホラー」な作品を見るにつけ、ティム・バートン作品『スリーピー・ホロウ』の突出した傑作ぶりを思い出す。古色蒼然とした怪奇趣味とケレン味たっぷりの映像美と小道具や衣装へのフェティシズムがハンパじゃなく溢れていた。

 しかしまあ、最大の不満はモニカ・ベルッチの出番の少なさに尽きる。
 彼女は宝石である。イタリアが世界に誇る至宝である。もうね、世界一美しい女はモニカ・ベルッチに決めちゃっていいと思う。全てにおいてパーフェクトなその美貌。エロティック極まりないそのボディ。
 モニカ・ベルッチが自分の近くに座ったところを想像してみて欲しい。人はそんな状況に耐えられるものだろうか?彼女に迫られたら小生は間違いなく気絶するだろう。さもなくば舌を噛んで死ぬ。死んだ方がマシだ。だからやっぱり鏡を割ってしまうだろうな、怖くて。怖くてかよっ。いや、やはり復活させて生涯桃源郷の中で暮らすか。あああっっ・・・・ううむ・・・・ん?
 どっちにしてもモニカ・ベルッチが足んねーつってんだよっ!


■ジョン・C・ライリーとは同い年である

『ダーク・ウォーター』
 古びた団地の幽霊譚である。フツーの人が幽霊に脅かされるのではつまらないから、母親から可愛がられなかったトラウマを持つ女とその娘を主人公にし、上手い匙加減で彼女達の神経を逆撫でする管理人や不動産屋や住人や離婚調停中の夫を配した心理サスペンスとして展開。降りしきる雨も手伝ってなかなかにムーディーで不健康な映像世界。思いっ切り『セブン』以後の映像。しかも韓国を中心とする「アジアン・ホラー」の影響が色濃い。こういうのが増えるんだろうか、これから。
 それにしてもジェニファー・コネリーは本当に素敵な女優に成長した。痩せ過ぎて、かつて『ロケッティア』や『ホット・スポット』で見せた豊満な色気が懐かしいが、その分内面の輝きは増した。幼少時の彼女を演じるのは『キル・ビルVol.2』でブライドの娘だった子だ。弁護士役のティム・ロスは随分と贅沢なキャスティング。別に彼じゃなくてもねえ。無愛想でワケありそうな管理人を演じる『ユージュアル・サスペクツ』の「コバヤシ」がグッジョブ。
 そして、憎まれ役の不動産屋を演じるジョン・C・ライリー・・・・やっぱりいいんだ、彼が。あの顔だな。一見悪人ヅラだが実はかなり可愛いあの顔。あの顔は喰いっぱぐれないぜ、この先も。


■「復讐三部作」のグランド・フィナーレ

『親切なクムジャさん』
 スマッシュヒットした『オールド・ボーイ』、そのヒットに乗じたもののひっそりと公開された前作『復讐者に憐れみを』に続くパク・チャヌク「復讐三部作」の最終巻!よっ、待ってましたっ!
 最終篇ともあって、そのグランド・フィナーレを華々しく飾るべく過去のパク・チャヌク作品から集結したキャスティングに思わず目を奪われた。クムジャさんには『JSA』のイ・ヨンエ、『オールド・ボーイ』から打って変わって今度は復讐される側のチェ・ミンシク、『JSA』『復讐者に〜』からソン・ガンホとシン・ハギュン、『オールド・ボーイ』でヒロインを演じた娘や監禁部屋の管理人、ユ・ジテの側近を演じた男、さらにはそのユ・ジテまで登場するという大サービスっぷりに感嘆。遺族たちの中には『復讐者に〜』の出演者や、ポン・ジュノ作品『殺人の追憶』で婦人警官を演じた女優の姿も。もう嬉しい限り!
 とにかくパク・チャヌクの才能を堪能した。1作目『復讐者に憐れみを』が95点だとすれば、『オールド・ボーイ』は80点、『親切なクムジャさん』は70点とどんどん点数が下がるのだが、パク・チャヌクの才能を本気で評価出来たのは最後の『クムジャ』である。「復讐三部作」それぞれの持ち味とバランスを考えた時、最後に『クムジャ』を持って来たセンスには唸らざるを得ない。「復讐者もまた復讐される」「復讐される者にも生きる権利がある」「復讐者の魂は救済される」という三段論法。これ、逆順だったらパク・チャヌクの恐ろしさに心底震え上がったことだろうが、やはり彼には優しさがあるようだ。『クムジャ』のラストシーンの美しさ、そして最後のあのセリフには圧倒的なカタルシスを覚える。
 それでも、『クムジャ』には目を覆い耳を塞ぎたくなる怖ろしい場面が用意されている。それは「ビデオ」のシーンだ。あの巧さ。あの辺りにパク・チャヌクの「フォースの暗黒面」がとぐろを巻いている。
 このシーンを見て思い出した作品がある。黒沢清の『蛇の道』(1998年)である。復讐者=哀川翔によって廃屋に監禁され「同種のビデオ」を見せられた香川照之が恐怖・苦しみ・悲しみ・絶望で顔を歪め発狂するシーンは異様な迫力であった。


■かっこいい男たちの映画に物申す!

『亡国のイージス』(2度目)
 以前8月の日記でなんだかんだとケチをつけながらも結果的に誉めた『亡国のイージス』を新文芸坐にて再見。「2度目は発見がある」ものだが、いや〜参った参った。ダメなとこばかりが目に付いて前回のようにはまったく楽しめず。以下、主な苦言。

 まず最悪なのは導入部。かっこつけたつもりだろうが、あの始まり方はいたずらに観客を混乱させるだけ。陳腐と言われようが何と言われようが、やはり「イージス艦」のスペックや配備状況をまずは説明すべき!あの艦がどういう性能を持っているかをパンフレットなんかで説明せずに映画の冒頭でドーンと「絵で」見せないと、「こんな立派な戦艦がこんな国に必要か?」というこの作品のテーマに密着する問題が空回りだよっ!

 陸の上でのケンカで警察沙汰になった隊員を仙石が引き取りに行く場面な・・・・単に仙石と如月の精神的絆の導入部を描くんだったら他に方法があるだろ!他の若い隊員たちを描くつもりなんか無いんだったらあのシーンいらねーよ!

 如月、そしてヨンファたち・・・・今回の演習で初めて「いそかぜ」に乗り込む男たち・・・・何者だ?こいつら・・・・もしかして敵か?・・・・そんな疑心暗鬼のスリルとサスペンスをどーして丁寧に描かないんだよっ!「乗っ取り」映画の約束事だろーがっ!奴らの正体が判明し「いそかぜ」がどういう状況下に置かれてしまったのか、その時の仙石の衝撃や戸惑いだって皆無じゃねーかよ!

 ヨンファの妹な・・・・あれだったらバッサリ切ったほうがいいんじゃねーのか?あいつに割いた時間で物語にもっと効果的なエピソードを他にもいろいろ見せられたんじゃねーのかよ。あん?

・・・・などなど。

 小生は原作を読んではいないが、原作を読んだ家内の話やあえて説明を避けている映画の語り口から想像して作り出した小生の頭の中の「妄想的原作」と比較して(おいおい)、とにかく脚色がひどいと言わざるを得ない。恐らく脚本家に原作への理解力が欠如していたのだろう。へたな「愛情」や「愛着」は脚色の命取りだ。むしろ必要不可欠なのは「理解力」であり「取捨選択術」である。面白い映画にするためなら鬼にならなければいけない。それこそが原作と映画の「良い関係」であると思うのだがどうだろうか?

 惜しい・・・・面白い題材だけに惜しい。うまく作れば大変な傑作になり得たものを。それでも、いやダメだからこそ小生は『亡国のイージス』という映画を可愛く思ってしまう。そんなところがどこか『マークスの山』(1995年)と似ているかも知れない・・・・いずれにしても怪作ということか?
 そういやあれにも中井貴一出てたっけ。


05.11.11
■こんなことってあるんだ

 リンクのコーナーにもあるのむらくんのサイト「ラブ・ハリウッド!」内のBBSにて知り合った「シャルロット」さま(「さん」ではなく「さま」ね)。新文芸坐でニアミスしたのが同BBSで発覚するも、結局何年もお会いすることは無かった。
 そして今年、お互い「mixi」に加入していることからあるイベントでやっとお会いすることが出来た。BBSへの書き込み内容から察して「もしかしてセレブ?」と思っていたが、やはりシャルロットさまはセレブであった(当社比)。いや、本当に。イラストレーターだし。
 ある日「mixi」でシャルロットさまが公開なさってる日記を拝読すると、小生のフェイヴァリットであったミュージシャン「トレイシー・ソーン」の話題が。それについて書き込みを続けるうちに話題は何故か「トーキング・ヘッズ」に移る。そして、それに関連して「トム・トム・クラブ」の名前も。「1988年にロンドンでトム・トム・クラブを見たことがある」という小生の書き込みから、なんと驚愕すべき事実が発覚!

 シャルロットさまもそこにいた

 のである・・・・。

 NME(音楽新聞)のライブ告知欄にあった「TOM TOM CLUB」の名前とその上に印刷された「SOLD OUT」の文字に諦めることなくSOHOにある「WAG」というクラブへ出かけ、「Just one left!」と叫んでいる黒人スタッフの腕に跳びついてチケットをゲットした。それが確か夜の10時頃。狭いクラブ内にすし詰め状態で待つこと2時間以上。12時過ぎにやっとギグはスタートした。すし詰めなのにみんな踊るわ跳ねるわで地獄のよう。おまけに後ろに立ってた身長190cmはある男たちに耳や尻(というか股ぐら)を触られる始末。帰りはヘトヘトだった。
 あの時のトム・トム・クラブ、確か新アルバムのプロモーションを兼ねてのライブだったと記憶している。WAGで演奏したのは一晩だけ。キャパは400人くらいだったろうか。そんな中にシャルロットさまもいらっしゃったのだ。なんという奇遇だろう。すごいことだ。世の中、信じ難いがこんな偶然もあるのだ。
 運命の赤い糸か・・・・長過ぎて手繰れねーよ!


05.11.11
■バカ・丹波りん・阿部定・割腹・やくざ・ロック座

『直撃地獄拳 大逆転』(1974年)
『ポルノ時代劇 忘八武士道』(1973年)
『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』(1969年)
『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』(1969年)
『やくざ刑罰史 私刑』(1969年)
『肉体女優殺し 五人の犯罪者』(1957年)

 新文芸坐の「追悼 石井輝男監督特集」の後半戦は超ド級バカ映画でスタート。
 オナラ・うんこの下ネタやスカート覗きなど小学生並のギャグの連続と、有無を言わさず思考回路を停止させる破天荒な展開に爆笑&苦笑、最早「なぜ?」という疑問すら湧かない『大逆転』。チャウ・シンチーのテイストとかなり近いものあり。
 丹波哲郎のニヒリズムと「おっぱいがいっぱい」のミスマッチが目眩を誘い、『ウルトラセブン』の「アンヌ隊員」ことひし美ゆり子のダイナマイトボディが記憶のパースペクティブを歪め桃源郷を現出させる『忘八武士道』。
 本物の「阿部定」が登場するというサプライズまである『猟奇女犯罪史』は、吉田輝男扮する監察医が女の変死体を解剖するシーンから始まり、「なぜ女絡みの犯罪が後を絶たないのか」を探ってオムニバス形式で展開するものの、最後は結局「わからない」という吉田のセリフで終わるというエロと猟奇の万華鏡。
 『元禄〜』でも吉田輝男は医者の役だ。しかもラストには、実の父とは知らずに殿(小池朝雄が絶品)と契って姫が身ごもった赤ん坊を、麻酔もかけず腹を刀でかっさばいて取り出すという世にも怖ろしい見せ場があり。おお、これぞアブノーマル。
 『やくざ刑罰史』はタイトルこそ猟奇的だが、江戸時代は大友柳太郎主演の時代劇、明治時代はフツーの唐獅子物、そして現代は吉田輝男がゴルゴ13ばりのスナイパーに扮するクライムアクションと、石井輝男の「真っ当な」「手堅い」手腕を堪能出来る作りになってる、ある意味「詐欺」のような作品。
 『肉体女優〜』は、こちらもタイトルこそいかがわしいが、今もある浅草ロック座(ストリップ劇場)を舞台に連続する殺人事件を若い新聞記者(宇津井健)と踊り子(三ツ矢歌子がビューチフル!)が探るサスペンス。50年代の浅草の街並みが味わい深い。後の「地帯」シリーズに通ずるテイスト。


■今回の特集最大の収穫

『セクシー地帯(ライン)』(1961年)
 アメリカの広告から持って来たものと思しきイラストや写真をコラージュした中にスタッフ・キャストの名前をあしらうという、なんともモダンなタイトルバックにまずは眼を奪われた。殺された恋人が実は売春組織にいたことが判り女スリと一緒に犯罪の渦中に飛び込む商社マンを描くクライム・ストーリーだが、良く練られた脚本とスピーディーな展開は全く古さを感じさせないどころか、うっとりするような撮影と三原葉子のコケティッシュな魅力を推進力に「かつて見たことないほど洒落た東京」を演出する。
 街頭でのゲリラ撮影であろう、アクティヴなカメラが銀座・新橋・浅草の夜を背景に三原葉子・吉田輝男を生き生きと切り取り、まるで自分も銀座の和光の前ににいるかのような臨場感さえ与えてくれる。夜の空気、犯罪の匂い、銀座のネオン・・・・昭和モダニズムの光と闇を縫って動き回る男たち&女たちを追うスーパー・クールなカメラは間違いなく「ヌーヴェルヴァーグ」だ。
 日本独特の泥臭さを感じさせない、とことん洒落た空気をもたらした最大の功績は「ジャズ」である。全篇ほとんど流れ続けるモダン・ジャズが、カメラの動きとシンクロするかのように、切り取られた風景と人物をムーディーに彩る。池内淳子のような和風美人でさえもジャズが似合ってしまう驚き。三原葉子のコメンディエンヌっぷりとジャズの音色・リズムとの相性もクール。あれだけかかりまくってるのに音楽が耳にしつこくない、というのも奇跡的。
 とにかく小生はこれほどまでに素晴らしいジャパニーズ・ノワールを見たことがない。エロ・グロ・猟奇と侮るなかれ(あ、おれか)。石井輝男の美学の真髄をこの作品に見た気がした。

 石井輝男監督の冥福をあらためてここに祈ろう。
 


05.11.05
■高橋洋子という女優

 1972年作品『旅の重さ』という映画のDVDがリリースされた。再三書いているように、中学生時代の小生は東京12チャンネルが放映していた「日本映画名作劇場」を見るのが好きだった。その頃にこの『旅の重さ』という映画を見ている。家出した16歳の少女が四国遍路の旅に出て喜んだり挫折したりする青春映画だ。
 この映画でデビューし、70年代に何本もの映画やドラマに出演、80年代には『雨が好き』で作家デビューも果たした女優、高橋洋子。実は小生、高橋洋子が大好きである。中学生の時から。原田美枝子や秋吉久美子など同時期にデビューした女優とどこか共通する空気を持つ人だが、彼女たちに比べて美人ではないし、押しも弱い。学校で言えばクラスの1番可愛い子ではなく、3番目くらいに可愛い子で勉強と50m走はトップ、いつでも学級委員長の候補、という感じ。なんというか「リアル」なんだよね。美人ではないもののかなり色気がある。唇の形も舌足らずの喋り方も声質も好き。笑顔なんかもうメロメロだ。とにかく高橋洋子の全てが好きである。
 でもってこの高橋洋子、脱ぎっぷりが良い。デビュー作からして惜しげもなく脱いじゃってる。『サンダカン八番娼館』や『鴎よ、きらめく海を見たか』でもバンバン脱いでた。うれしい。別に小生好みのグラマーではないが、でもうれしい。
 もう50歳を過ぎている高橋洋子。最近は全く見かけないがまだ少女のような笑顔は健在であることを祈っている。彼女のことを思うと本気でキュンとなる。今でも。そしてこれからも。


■エロでも猟奇でもない輝男

『実録三億円事件 時効成立』(1975年)
『ならず者』(1964年)
『いれずみ突撃隊』(1964年)
『黒線地帯』(1960年)
『黄線地帯<イエローライン>』(1960年)

 この5本を見るとエロ・グロ・猟奇という看板がいかに「真っ当な映画技法」の上に成り立っていたかが判る。『実録三億円』では犯人と恋人の完全犯罪ぶりと逃走劇をはったりをかますことなく真正面からサスペンスフルに描き、『ならず者』には「香港ノワールの教科書」的な面白さがあり、『いれずみ突撃隊』では大映の『兵隊やくざ』や東宝の『独立愚連隊』に対抗する戦争活劇を展開。そして何よりも『黒線』『黄線』の「地帯モノ」におけるなんとも洒落たムードと語り口。「日活アクション」のように派手なスター俳優が不在な分、ゴージャスさよりもノワールな雰囲気が満点だ。いっそのことエロ・グロではなくこちらの路線で行っても良かったのでは、と思えるほどどの作品も秀逸だ。どこか「B級」だが、自由で勢いのある作風は同じ東映の中島貞夫監督に引き継がれている気がする。
 そして、『実録三億円』以外の4本全てに出演、下膨れの派手な顔と素晴らしいプロポーション、美しい容姿に似合ってるのか似合ってないのか判らないコメディエンヌっぷりも併せ持った女優、三原葉子の存在感がすごい。彼女なしにはあり得ないな。


■そしてエロと猟奇へ


『やさぐれ姐御伝 総括リンチ』(1973年)
 この年、東宝は梶芽衣子主演で『修羅雪姫』を作っている。その向こうを張ったのかどうか判らないが、「女やくざモノ」のフォーマットでとことん下品でクレイジーな世界を展開しているこの映画。もうオープニングからしてすごい。殺陣の最中次々と着物がはだけて行き、最終的には真っ裸で戦う池玲子に唖然。そのほか出演女優たちが「総脱ぎ」。その分ヘタな演技はご愛嬌。売春宿や酒場が軒を連ねる地区の悪夢のようなセットが圧巻。「黒(?)一点」内田良平がカッコいい。クライマックスはやっぱりおっぱいがいっぱい。本当にいっぱいだった。
 



Back To Diary Menu