Diary

■2006年7月

06.07.30
■新春スターかくし芸大会

『日本誕生』(1959年)

 東宝が当時のスターを勢揃いさせ、円谷特撮の粋を集めて製作した大スペクタクル映画!・・・のはずなのだが、とんだ珍品であった。「日本書記」の最初に書かれているような、日本列島を造る話から始まってイザナギにアマテラスにヤマタノオロチ・・・と有名な神話のいくつかが語られはするのだが、これが全部回想、というか4世紀頃の天皇のお膝元の村で語り部をやってる婆さん(杉村春子!)の語りで、まあ主軸となるのは皇位継承をめぐる陰謀と戦争だったりするので、実は「日本誕生」な感じはチョイ薄。
 でもさすがに面白かったのは豪華な俳優陣による「ぬ?」な演技やメイクや衣装ね。

・三船敏郎の女装を「おおぅ美しい」はねーだろ。
・三船は本当に演技の種類が2つくらいしか無いな。
・志村喬はアフロヘアが似合うかも知れない。
・鶴田浩二が出てくると任侠映画になる。
・若い頃の香川京子はやっぱり小倉優子に似ている。
・上田吉二郎、出番多過ぎじゃねーか?
・原節子のアマテラス大神は女装した男に見えた。
・半裸の加東大介や小林圭樹はキツイ。

 などなど、ツッコミどころ満載だったよ。ただし円谷英二による特撮は素晴らしかった。当時、世界トップレベルだったはず。日本版『ロード・オブ・ザ・リング』として見ると別の楽しみ方も出来るか。


■西川美和監督は可愛い

『ゆれる』

 西川美和監督の前作『蛇イチゴ』がずっと心に残っていた。平凡な家庭を演出しつつ水面下ではとっくに崩壊している家族。祖父の葬式の最中、父のリストラ&借金が露呈し窮地に立たされた家族の前に、偶然にも10年前に勘当された長男が救世主のごとく現れる。この長男、果たして本当に救世主か?それとも悪魔か?
 父=平泉成、母=大谷直子、妹=つみきみほという手堅いキャスティングの中、異様な存在感で物語を牽引したのが長男を演じる宮迫博之であった。香典泥棒の常習犯で、嘘つきで、ナチュラル・ボーン・詐欺師のような男を、飄々としたなんともにくめないキャラクターとして演じきった宮迫。彼のために書かれた脚本ではないかと思いたくなるほどの強烈なハマリ役であった。
 勘当までした父は手のひらを返したように息子を頼り、母は「あの子よりもアンタの方が面白いもん」と10年ぶりの帰宅を喜ぶが、妹だけは違う。ニュースで香典泥棒事件を知り、真っ先に兄を疑う。彼女には忘れられない過去があった。子供時代、兄から「学校裏の山には蛇イチゴが生えてる」と教えられ、1人で採りに行ったものの見つけられず迷子になり、警察まで呼んだという嫌な記憶。騙されたと思い続けていた彼女はあえて今それを兄に問いただす。蛇イチゴは本当にあったのか?夜明け前の山の中、2人は兄の言う蛇イチゴが生えてる場所に向かうのだが・・・・。
 『ゆれる』は『蛇イチゴ』によく似ている。人の死・家族の崩壊をきっかけに対峙する兄と弟(妹)というシチュエーションから始まって、ラストは同じだと言ってもいい。結局は兄を信じきれずに川を渡れない妹。引き返す妹を笑顔で見守る兄。その場で「香典泥棒を目撃した」と兄を警察に売る妹。そして帰宅後、テーブルには蛇イチゴが置かれているというラスト。「蛇イチゴ」を「子供の頃の8mmフィルム」に置き換えれば『ゆれる』になると言っていい。両作品とも最後に見せる兄の笑顔がまぶたに焼き付いて離れない。
 よく似た作品ではあるが、『蛇イチゴ』から『ゆれる』への飛躍・成長は大きい。技術的に怖ろしく上達しているし、テーマも深化している。前回同様カリフラワーズが音楽を担当しているが、オーケストラによる感傷的なスコアなんぞを付けるよりも断然良い。この辺りに西川監督のセンスを感じる。
 オダギリも上手いが、長男を演じた香川照之の演技と存在感は圧倒的で、間違いなく彼の代表作になることだろう。宮迫博之と同様、香川をキャスティング出来たことでこの作品の勝利は決まったのだ。
 それにしても怖ろしい才能だ。おまけに可愛いと来た。天が二物を与えることもあるのだな。でも、3作目が勝負だろうな。次は違うテーマで凄い作品を見せて欲しい。


■心配だ

『ローズ・イン・タイドランド』

 テリー・ギリアムのフィルモグラフィ史上最凶最悪の作品である。
 ハリウッドとの折り合いが悪いことで有名なテリー・ギリアム。前作『ブラザーズ・グリム』で一体どれほどのフラストレーションを味わったのか知らないが、今回の作品、「息抜きし過ぎだろっ」とか「こんな振り幅ありえねーだろっ」とか「これじゃお釣りもらい過ぎだよっ」とツッこみたくなるほどの落差っぷり。とにかくやりたい放題の狂い放題。恵比寿ガーデンシネマでは相当の入りだそうだが、みなさん大丈夫?
 小生はと言えば、これがツボを突きまくりの痒いところに手が届きまくりであった。波打つ草原で主人公の少女が人形の頭を指にはめて1人何役もで会話するファーストシーン、その後に続く遺棄されたスクールバスの中で友達と称する光る甲虫(ホタルにしてはでかいんだよな)に囲まれ、脇を走り抜ける列車の轟音で喜声を上げるという、まことに‘電波な’遊びの光景にガッツリ掴まれ、早くも涙が出そうであった。
 ジェライザ=ローズを演じるジョデル・フェルランド嬢の演技が素晴らしすぎる。顔の可愛いダコタちゃんがやると‘悪魔の子供’(byえのきどいちろう)になっちゃうんだけど、このジョデルちゃんはブス可愛いから本当にイノセントに見える。「キャハハ」という笑い声のナチュラルな可愛さが、少女特有の躁状態を何よりもうまく表現している。この子を可愛いと思えるかどうかでこの作品への評価が決まると断言する。でなければこの2時間の悪夢に耐えられないだろうね。
 ジャンキーの両親に注射器を用意したりマッサージをしたりと健気なジェライザ=ローズ。母親がオーバードーズで悶絶死し(ジェニファー・ティリーだぜ!)、残された2人は父(ジェフ・ブリッジス最高!)の実家へと旅立つのだが、ここで父娘のハートウォミングな展開にしないところがギリアム。荒れ果てた廃屋と化した生家でやっぱり親父もオーバードーズ。娘は彼が死んだと認識しないもんだから、肘掛け椅子に座ったまま腐敗し始める親父がイヤ〜な感じだ。でもってそこからはクレイジーな登場人物のやり過ぎな言動がてんこ盛り。
 近くに住む中年女は親父の元カノで、自分を幽霊と称しローズを怖がらせ、その弟は頭にハデな縫い目のある男で、言動が確実にあっち側に行っちゃってる。この狂った男はローズのおばあちゃんの‘いい子’だったことが判明するのだが、昔おばあちゃんとやってた「チュー」や「ベロチュー」をローズともやろうとするシーンは確実に犯罪臭が漂い、見ているこっちも共犯者(と書いて‘パートナー’)の気分を味わうハメに。
 そしてこの姉弟、実は動物の剥製を作ってるのだが、これがもう完全にヒッチコックの『サイコ』。母親のミイラ(剥製)を保管しているばかりか、住んでる屋敷が「ベイツ邸」に見えて来るくらいだ。結局腐敗した親父が剥製にされるのだが、その内部を捉えた映像が凄まじい。ドーム状に肋骨がそびえ立つ下、ローズが入れておいた人形の頭たちのうち1つが割れ、そこに小さな脳ミソが入れられるのだが、このシーンがまるっきり『未来世紀ブラジル』のセルフパロディになってるのだ。
 夢想癖、というか夢の世界の住人であるジェライザ=ローズの物語。(見ちゃいねーけど)『ハリー・ポッター』や『ナルニア国物語』に引けをとらない・・・つうかこれこそが本物のファンタジーじゃないのかな。ヘンリー・ダーガーによる「ヴィヴィアン・ガールズ」の物語がそうであったように。ファンタジーはアウトサイダー・アートなのである(本当かよ)。
 あまりにもブラックでダークでクレイジーな場面の連続に笑いながら見ていたのだが、笑いながらもどんどん「心配」になって来た。こんな役をやらされたジョデルちゃんの将来が心配だ。テリー・ギリアムは本当に狂っているのではあるまいか心配だ。そしてこんな映画を笑いながら見ている我々夫婦はこれでいいのか?心配である。どうにもこうにも心配なのでパンフレットを買ってしまった。
 しかし、心配って・・・・それって映画の感想じゃねーよな・・・・。


06.07.14
■そのショーン・ビーン、コントローラー接続不可

『サイレントヒル』

 主演がショーン・ビーン(はい、主演ですが?何か問題でも?)、美術がクローネンバーグ組のキャロル・スピア、脚本がタランティーノの盟友ロジャー・エイヴァリーと来れば、コナミの人気ゲームソフト発というヌルい企画ゆえ期待など許されないはずが、なんだかソワソワ落ち着かない小生。もしかしてこの夏イチバンの拾い物なのでは!?と妙な期待に胸膨らませたのは2時間前。ああ、なんだ、やっぱりこんなもんか。良い夢見ちゃったな、こりゃ。というわけでそれなりの出来です。ゲームソフトの映画化以上でも以下でもない内容とクオリティ。お金をかけたJ・ホラーって感じかな。オリジナリティも希薄だしね。
 行方不明になった妻と娘を探しにサイレントヒルを訪れるものの何の収穫も無くすごすごと帰宅してリヴィングでふて寝するという、今までになく負け犬なキャラに甘んじてしまったショーン・ビーン・・・・いいのか?そんなことで。いっそのこと死んだ方が良かったんじゃないのか?あん?「ビーニスト」としてはなんとも消化不良であった。次はどーんと死んで見せてくれよな!
 そんなこの作品、クローネンバーグ作品『クラッシュ』のデボラ・カーラ・アンガーとクエイ兄弟作品『ベンヤメンタ学院』の主演女優が拝めるという、カルトな側面もあり。う〜ん、でもそれで突破するのはやっぱり苦しいか・・・・。つうか新宿ジョイシネマ、冷房強過ぎだろっ!凍死しちゃうっつーんだよ。


■それにしても「ラビットフット」とは何だったのだろう・・・

『M:i:III』

 うん、面白かった!これ。
 1作目がボールで、2作目がデッドボール。やっとのことでなんとかストライクをキメて見せたのがこの3作目と言えるだろう。銃器やハイテクや変装を駆使しながらチームプレイの面白さで見せるのが本来の「スパイ大作戦」。ところが前2作はほとんどの見せ場をトム・クル〜ズ1人でこなしちゃうもんだから、「これ本当に『スパイ大作戦』か?」と首を傾げざるを得なかった。1作目のブライアン・デ・パルマの演出はフェティシズムが漂っていて素晴らしかったが、2作目のジョン・ウーは悪い意味でマンガに成り下がってた。「スパイ大作戦」を見ている楽しみをやっと味わえたのが本作であると言えよう。それでもイーサン・ハントが妻帯者であるという変化球ではあるんだけどね。
 「あの変装用マスクは一体どうやって作ってるんだろう?」とか「マスクはいいとしても声はどうやって変えてるんだろう?」といった疑問にちゃんと答えてる(まああれだけ見せてくれれば充分でしょう)のもうれしい。「マスク・メイク・マシン」をデザインしたのはなんとシド・ミード。思い起こせば第1作目のSFXスタッフには『ブレードランナー』のリチャード・ユーリシックの名前があった。どんな因縁か。
 「スパイが家庭を持つ」という設定が『トゥルー・ライズ』を想起させたり(海上道路でのミサイル攻撃もそう)、冒頭でイーサンと部下の女子が見せる銃撃戦が『Mr.&Mrs.スミス』にそっくりだったり、ミッシェル・ヨーがボンドガールやった時の『007』みたいな場面があったり、フィリップ・シーモア・ホフマンの死に方が『スピード』のデニス・ホッパーと同じだったり、仮死状態のトムを妻が蘇生させるシーンが『アビス』だったりとお遊びもいろいろ。おすぎ(仮名)は「どこかで見たことある映像ばっかなのよっ!」と怒ってましたが、んまあ〜大人気ないわねえ。これの字幕を担当した戸田奈津子(仮名)センセとはお友達なんざんしょ?
 前2作から続投のヴィング・レイムズの他、『ベルベット・ゴールドマイン』のジョナサン・リース・マイヤーズ、『ショーン・オブ・ザ・デッド』でショーンを演じた奴(名前は不明)というUK組という変り種もチームに参加。拾い物だったのはマギー・Q。美しいね〜、彼女は。ちょっと伊東ゆかりに似てるのがアレだけど、近頃チャン・ツィーイーに飽きてた男としては、なんだか若い愛人が出来ちゃったようでうれしい限り。うふふ。
 あと、ローレンス・フィッシュバーンの前歯のすき間が凄かったね。あそこへすぅーっとカメラが吸い込まれて行くと「マトリックス」に進入出来るというのはどうだろう?
 しかしまあ、1作目からもう10年になるのか・・・・トム・クル〜ズにも色々あったね、この10年。


■アヴァロンで朝食を

『プルートで朝食を』

 この映画を見る前日の夜、小生は久し振りにあるレコード(CDを持ってないのね)に針を落とした。ロキシーミュージックが1982年に発表したアルバム「アヴァロン」。ロキシーミュージックの最高傑作であるばかりか、ロックというアートの1つの完成形であり、その緻密で研ぎ澄まされた音響の持つ知性と官能性は四半世紀を経た現在でも他の追随を許すことはない。このアルバムに針を落とす度に小生は深いため息をついてしまう。誰も「アヴァロン」を超えられなかったし、これからもムリかも知れないな、と。アーサー王など多くの英雄が眠る伝説の島アヴァロンをタイトルに据えたこのアルバムは、これ自体が「ロックの墓碑銘」になってしまったのではあるまいか、とすら今となっては思う。
 1960〜70年代、捨て子でおかまの主人公キトゥンが母親を探すためアイルランドからロンドンまで旅をするというこの『プルートで朝食を』。おかま、ということで故郷はもちろん行く先々でひどい仕打ちに会うキトゥンだが、ロンドン市内はソーホーで売春婦に因縁をつけられてるところをある車に拾われる。運転する紳士はキトゥンが女装した男であることを知ってか知らずか、売春婦相手と言えどもかなりフレンドリー。鼻の下の薄く切り揃えたヒゲがなんとも淫靡ではあるが、キトゥンもついつい心を許してしまう。車を停めたこの紳士、キトゥンにシルクを使った首飾りをプレゼントするのだが、キトゥンがそれを付けた途端に豹変。声を荒げてキトゥンの首根っこをつかみ自分の股間に押し付けるのであった。
 わずか2〜3分の、しかも車中なので暗くて見えにくいこのエピソードで、この変態紳士を演じているのがロキシーミュージックのリーダー、ブライアン・フェリーであると判明した時の小生の驚愕っぷりを一体どんな言葉で表現すればいいのだろう。アヴァロン・・・・英雄たちの眠る伝説の島・・・・・ブライアン・フェリーさん、あんたそんなとこで何やってんだよ・・・・・。
 劇場映画への出演はどうやら初めてのようであるが、次回はぜひともデイヴィッド・リンチ作品に出ていただきたい。ニール・ジョーダンよりもリンチの映画の方がフェリーにとってアヴァロンにふさわしい。


06.07.11
■特集「脇役列伝 脇役で輝いた名優たち」〜後半戦〜


@「天知茂」之巻

『東海道四谷怪談』(1959年)

 天知茂、というと小生の世代としてはTVシリーズ「非情のライセンス」や土曜ワイド劇場の「明智小五郎モノ」で知られた人である。眉間にシワを刻んだ青白い顔の二枚目、という印象だが同時にどこか「いかがわしい」というか「胡散臭い」というか「イヤらしい」空気を漂わせる人だった。
 この『東海道四谷怪談』(なんと初見である)や以前見たことのある『地獄』など、若い頃に出演した新東宝の怪奇映画を見ると、「ああ、やっぱりね。天知茂って本来こうだよね」と安心してしまう。お岩さんの幽霊や閻魔様のいる地獄よりも、現世に生きる人間の方がずっとずっとおぞましく気味悪く描かれているこの中川信夫作品で、色・金・出世欲に狂った人間の罪深さをあの眉間のシワを看板にして一身に背負っていたのが天知茂なのだ。
 それでもまあ怖かったね、お岩さんは。子供の頃見てたら大変だ、ありゃ。


A「佐々木孝丸」之巻

『博奕打ち 総長賭博』(1968年)

 そうかそうか、佐々木孝丸について調べていて思いだした。昨年やはり新文芸坐で見た超傑作『首』で検死を担当する医学部教授をやっていたのは確かに佐々木孝丸であったな。さらには『清作の妻』『大菩薩峠』『連合艦隊指令長官 山本五十六』『激動の昭和史 軍閥』『激動の昭和史 沖縄決戦』『華麗なる一族』などなど、名前も知らぬ佐々木孝丸を実はよーく見ていたことが発覚。
 「三日月型の目」「スイカの種のような鼻の穴」「薄い唇から覗く前歯」・・・・そう、佐々木孝丸の顔は日野日出志の描くマンガにそっくりである。いや、もしかして日野日出志は佐々木をモデルにしてキャラクターを創造したのかも知れない。


B「渡瀬恒彦」之巻

『暴走パニック 大激突』(1976年)
『鉄砲玉の美学』(1972年)

 渡瀬恒彦はギラギラしていた。新文芸坐での「中島貞夫特集」で70年代に量産された東映ヤクザ映画を見るうちに、上映された作品の多くで血の気の多いチンピラやヒットマンを演じていた渡瀬恒彦がどんどん好きになった。来館した中島貞夫監督が語ってくれた『狂った野獣』撮影中のエピソードでの渡瀬の役者バカっぷり(彼はこの映画のためにバスの運転免許を取得し、クライマックスでは自ら横倒しにさせている)は小生の渡瀬への評価を決定的なものにした。日本のロバート・デ・ニーロは渡瀬恒彦である。
 『皇帝のいない八月』ではクーデターの指揮官を、『戦国自衛隊』でもクーデター敗残者の自衛官をやはりギラギラと演じていた渡瀬。『復活の日』『南極物語』という2本の南極モノで凍てつく画面の中1人ギラギラして温度を上げていた渡瀬。どうでもいいが、渡瀬はものすごくケンカが強かったらしい。今でこそすっかりTVのお茶の間サスペンスで人の良さそうなキャラに納まっているが、昔の渡瀬はとにかくギラついていたのだ。ちなみに渡瀬のフォロワーは宮迫博之である。
 「お父さん、昔はこれでも結構ワルだったんだぞ」というセリフが嘘にならない男、それが渡瀬恒彦である。


C「ジェリー藤尾」之巻

『偽大学生』(1960年)
『拳銃<コルト>は俺のパスポート』(1967年)

 今から20年ほど前、渡辺トモコとの泥沼の離婚劇(というか痴話ゲンカ)で連日ワイドショーに出演し、カメラ目線で「トモコ!反論があるならここへ来い!」などとツバを飛ばして叫んでいたジェリー藤尾の姿があった。その大人気ない言動に愛想をつかされたのか、もともとアクが強すぎて使いにくかったキャラのせいなのか、その後は俳優人生に幕が下りてしまった。
 日本人とイギリス人のハーフ(当然ながらイジメられたらしい)というある種特権的でもあるルックスを持ちながらも、どこか「貧乏臭いチャールトン・ヘストン」といった感じのサル顔が見る者を「何か複雑な心境」や「不愉快」にさせるジェリー藤尾。酔っ払うと若い頃の武勇伝と説教で朝まで付き合わされそうなオヤジ。子供の頃から小生はジェリー藤尾が生理的に嫌いだった。
 そんなジェリー藤尾、一世一代のハマリ役を見ることが出来るのが『偽大学生』である。学生運動華やかなりし頃の名門大学を舞台に、田舎の親を安心させるため新入生になりすました万年浪人生が、仲間が欲しくて入った左翼運動組織でスパイ扱い&監禁され、逃げ出したものの今度は学生たちの汚い裏工作によって「気狂い」扱いされ、最後は本当に精神病院に入ってしまうというなんとも怖ろしいストーリー。現在では映画化不可能な内容だ。
 ジェリーが演じるのはもちろん渦中の偽学生。自分が偽者であるとバレないかオドオドしたり、先輩学生たちにヨイショしたり、組織の紅一点である若尾文子(超クール&ゴージャス)に「スキだなっ・・・」なんぞと軽々しく告白してみたり、とにかく見ていて生理的嫌悪感をもよおす演技が続く。これが実は完全にミスリード。こうやって加害者側の学生たちに同調させておいて、後半、「崇高な」学生運動闘士たちの欺瞞に満ちた見ていて胸糞悪くなる実態を描くことで、見る者の立地点を宙ぶらりんにするという物凄い演出。まるで『フライトプラン』のよう。
 まったくもってジェリー藤尾のために書かれたような物語である。これを代表作と言わずして何と言おうか。


D「吉澤健」之巻

『狂走情死考』(1969年)
『現代好色伝 テロルの季節』(1969年)

 この手の映画ははっきり言って「ビミョー」だ。政治とセックス。大島渚、ジャン・リュック・ゴダール、吉田喜重、ベルナルド・ベルトルッチ・・・・「面白いつまらない」という評価よりも「好きか嫌いか」がモノを言う作家たち。これが実は小生、理由はわからないがこの手の映画が好きだったりするのだな。
 前述の映画監督の列に若松孝二という人を加えていいものかどうかわからないが、この2本はまさにそういう作品である気がする。『狂走情死考』は警察官の兄を殺害して義姉と逃避行に走る左翼学生の弟を描き、『テロルの季節』の方はかつて運動の英雄だった男が女2人との3P生活という堕落に埋没する姿を描く。学生運動の記録フィルム、義姉との情交、日米の国旗、女2人との同時プレイ。政治的理想に逆行するかのようにのめりこむ逃避型のセックス。何かの代償行為としてのセックス。見ていてちっともイヤらしくない(でも成人映画だけど)。そして訪れる結末。前者は殺害したと思い込んでいた兄が実は生きていて義姉を連れ去り、後者のラストでは3P生活にピリオドを打った男が体にダイナマイトを巻いて佐藤首相訪米の日に羽田空港へ乗り込む。ああ、なんでこういう映画が好きなんだろうな、おれは・・・・。
 この2本で主人公を演じるのは吉澤健。北野武監督デビュー作『その男、凶暴につき』で組織のNO.2を演じていた人だ。白竜との一騎打ちで生き残ったたけしを射殺し、「どいつもこいつもキチガイだ」と呟くシーンが素晴らしかった。若い頃の彼は、奥田瑛二に寺島しのぶを足して松田優作をふりかけたようなハンサムガイ。演技はともかく妙な色気が漂う。
 大島渚・若松孝二・北野武・吉澤健・内田裕也・・・・うーん、キレイにつながるもんだねー、まったく。


 うん、素晴らしい特集だった!またもや新文芸坐バンザイだな。
 


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