Diary

■2007年1月

07.01.27

■わからなくてもいい、面白ければ・・・
 
『悪夢探偵』

 塚本晋也作品の面白さは「カオス」だと思う。
 彼のフィルモグラフィには、わかり易いプロットや理路整然とした物語を持つ作品は皆無だ。中心にあるテーマは「愛」や「生」や「死」といった耳慣れたワードであるものの、塚本はそれらをストレートに表現することはない。
 「鉄と融合する人間」や「拳闘による肉体破壊」や「拳銃へのオブセッション」や「変態プレイでの覚醒」や「逢瀬としての解剖」などという異常なシチュエーションに、アクティヴでグロテスクで時に抽象的なイメージショットをふんだんに挿入させることで出現するカオティックな映像フィールドは、SFやホラーといったジャンルの壁を徹底的に破壊するパワフルな悪夢として屹立する。そこが塚本作品の面白いところであり、唯一無二と言えるところだ。
 そのように、現実と悪夢の混在する場所としての「この世界」を描き続けて来た塚本晋也が、わざわざ「悪夢そのもの」を描く必要があったのだろうか?当たり前のようにエキセントリックな映像を撮り、フツーに不穏な空気を漂わせることの出来る塚本(黒沢清も同じ)がなぜこれ見よがしな今風ホラーのアプローチに向わねばならないのか?
 デイヴィッド・リンチが「精神病院」を舞台に映画を作るようなものだ。リンチ作品のキャラクターは「シャバ」に解き放たれているからこそ輝いてるし、彼らの物語は「正常な世界」でこそダークな魅力に溢れている。
 わからなくてもいいのだ。面白ければ。今まで「わかるorわからない」で塚本作品を考えたことは1度も無かった。そんな疑問が湧く余地など彼の映画には残されていなかったのだ。ずっと。だが今回、正直初めて「わからない」と思ってしまった。無理矢理ホラーやミステリーにしようとしたが為に、せっかくのカオスが単なる「破綻」と化してしまったではないか。
 新風を吹き込むべく投入されたhitomiの良くも悪くも「フツー」な存在感はこの映画に必要なものだったのだろうが、最後までシックリ来なかったように思う。こうなるともう、松田龍平、安藤政信の起用や何とかいうバンドによるテーマ曲も全てが、ただあざといだけのような気がしてしまう。それに今回ばかりは悪役を塚本自身が演じるべきではなかったとも思う。もはやカオスとは言えない世界に彼の居場所は無い。キャスティングがこれだけマズいのも初めてだろうな。
 『バレット・バレエ』『六月の蛇』『ヴィタール』と、「生の喜び」「死への恐怖」「存在の神秘」への探求を推し進めて来た塚本晋也。作家としての成熟に眼を見張らされていたここ数年の彼だけに、このつまづきが心底残念だ。シリーズ化などする必要はない。『悪夢探偵』は塚本作品のワーストである。
 


07.01.23

■そうだ、『インファナル・アフェア』見よう
 
『ディパーテッド』

 『ギャング・オブ・ニューヨーク』『アビエイター』と来てマーティン・スコセッシの新作はまたもやレオナルド・ディカプリオだ。3度も続けて組むとはロバート・デ・ニーロ以来のお気に入りということなのだろうか。初期の何作品かを除けば、ディカプリオを良い俳優だと思ってないし、スコセッシ作品との相性が良いなどとは全く思わない。
 『ディパーテッド』で最も良い味を出していたのは、そもそも『インファナル・アフェア』に無い役を演じたマーク・ウォルバーグである。頭の弱そうな猿顔のチンピラみたいだったウォルバーグは、年齢を重ねてどんどん味のある俳優になっている。ジェフ・ブリッジスのように。
 近頃はめっきり好々爺になってしまった感のあるジャック・ニコルソンが、面白いくらいに下品なセリフを連発してドギツい悪役を演じるのもうれしい。マーティン・シーンとの2ショットで見せる、『シャイニング』VS『デッドゾーン』という「スティーブン・キング対決」もなんとも感慨深い。
 太ってやたらと貫禄のついたアレック・ボールドウィンはまたもや「ガハハな」役だ。この人、今ハリウッドで「社長」をやらせたら右に出る者ナシだな。若い頃は半端な二枚目俳優だったこの人も、年取ってようやく道を見つけたということか。 

 お話の方はと言うと、見れば見るほど『インファナル・アフェア』の偉大さが思い出されるというイタさだったな。香港版オリジナルにあった、理想のボスや同僚を持ってしまったが故に、真綿で首を絞めるように自分の立場を追い込んで行く男たちがやがて抱くことになる、「自分は一体何者か?」という苦悩がこのハリウッド版で描かれることは無い。思えばジョン・ウーの『フェイス・オフ』がそうだったように、この手の設定をエモーショナルに見せる手腕は香港映画人ならではかも知れない。「いつバレるか?」というスリルもさることながら、潜入捜査官モノに欠かせないのは「信頼」と「裏切り」のドラマなのだ。
 マッチョでただただ血の気の多いディカプリオには、トニー・レオンが時に涙目で演じた繊細さは皆無だ。思えばジョン・ウーの『ハードボイルド』でもトニーは潜入捜査官役で素晴らしい演技を見せていた。トニーの存在感が亡霊のようにチラつくビリー・コスティガンの役は、エドワード・ノートンあたりが適役だったのではないか?
 タランティーノが登場するはるか前に、思わず唸る選曲で名DJっぷりを誇っていたスコセッシだが、『グッドフェロ−ズ』のようなかつての冴えは無い。『グッドフェローズ』ついでで言えば、あの作品で実践されていた「ギャングは顔が命」とでもいう哲学も、『ディパーテッド』には感じられない。そう、このところのスコセッシ作品はどれも「顔が弱い」のだ。
 容赦ないヴァイオレンスや銃撃描写(あのストップモーションは新しい)など、スコセッシがかつて冴えを見せた分野が復活したのを喜ばしく思うほどに、なんとも残念な仕上がりに思えてならない。
 


07.01.23

■娘の「地獄の黙示録」
 
『マリー・アントワネット』

 映画で食事シーンがあると見終わった後それを食べたくなることがある。
 アメリカ映画でよく食されているデリバリーの中華料理(あの四角い箱に入ってるやつ)にはとてもそそられるし、小津安二郎の作品を見ると鰻重やラーメンが美味そうだし、チャン・イーモウの映画を見た後は水餃子を食べたくなるし、『2001年宇宙の旅』の後ではあのペースト状の宇宙食でさえ口に入れてみたくなったものだ。


 『マリー・アントワネット』には、ゴテゴテと装飾のキツイ料理の数々(小鳥の丸焼きを串刺しにしたものをズラッと魚の背中にぶっ刺したやつがスゴかった)やマカロンで作られた塔やピンク色のケーキなどが次々と山のように登場して目を楽しませる・・・・いや・・・・なんかね、げんなりして気持ち悪くなってしまった。
 そんな前半のウンザリ感は、政略結婚で窮屈で空虚な宮廷生活を強いられることになるマリー・アントワネットへのシンクロを可能にするが、その後、彼女が健気に王妃としての務めを果たしたり、社交界の改革を実践したり(オペラでひとり拍手をするシーンは普通に感動モノ)することで、わかりやすいカタルシスを与えてくれたり、「歴史物語」がドラマチックに動き出すことは無い。
 父王の愛人や王族の女たちとの確執、世継ぎがなかなか誕生しない(セックスレス夫婦なので)プレッシャーからひとり涙するシーン、スウェーデンの軍人との浮気など、それなりに「女の物語」を展開してみせるが、アントワネットの心模様を掘り下げることも無ければ、それを大仰な見せ場にすることも無い。
 貧困と空腹に苦しむ民衆が宮殿に押しかけると、バルコニーに出て深々と頭を垂れるのだが、その際の心理状態もよくわからない。宮殿を追われるラストで、窓外の庭を見つめるアントワネットの心に去来するのは、王妃としての感慨や運命への不安ではなく、ひとりの女の子が旅行先で感じるような一抹の寂しさ、のようなものだろう。

 80年代英国ロック(なんという皮肉)にのせて展開する、ウンザリするほど贅沢で空虚な絵巻。
 これでいい。
 素晴らしいではないか。
 小生はこれを見たかったのだ。

 キャスティングが良かった。
 マリアンヌ・フェイスフルの凄味は言わずもがな、『地球に落ちて来た男』でデイヴィッド・ボウイと共演したリップ・トーン、『24アワー・パーティ・ピープル』でマンチェスターブームの立役者を演じたスティーヴ・クーガンという「ロック組」(なんだそりゃ)がなんとも良い味だ。
 『地獄の黙示録 特別完全版』でウィラード大尉とベッドを共にするフランス人女性を演じたオーロール・クレマンが父親つながりで出演、そしてなんとなんと、『ミュンヘン』の情報屋ルイ(この人の顔はすぐに判別出来る)までが1シーンだけだが出演するというハプニング(?)も。
 そしてそして、キルスティン・ダンストの色香よ。嫁入り時の国境越えの「生まれ変わり」で見せる、素っ裸に白いストッキングだけというバックショットに、小生(ロリコン宣言済み)はメロメロであった。もちろんファーストシーンでケーキのクリームを舐める時のカメラ目線も。
 「New Order」も 「The Cure」も「Adam & The Ants」も結構だが、どうせ80s使うんだったら「Cocteau Twins」の超美しいナンバー「Aikea-Guinea」あたりがあのヴィジュアルには最適だと思ったのだが。
 それにしてもエンドロールの「Catering」には笑った。ロケ弁当なんか食わずにケーキを食え!
 


07.01.23

■新文芸坐、ジョニー・トー2本立て
 
『柔道龍虎房』
『ブレイキング・ニュース』

 かつては柔道の使い手だったが現在は夜の世界に生きる男たちが再び技を競うべく集まって・・・・というなにやら『少林サッカー』を思わせなくもないストーリーの『柔道龍虎房』だが、以前『マッスルモンク』のあまりの怪作っぷりに開いた口が塞がらなかった悪夢が甦るほどの、「なんじゃこりゃ」な作品だった。
 香港ノワールの担い手と言われるジョニー・トーの作品はこの2本しか見てなかった。つまりノワール作家としてのトーを知らなかったのだが、今回『ブレイキング・ニュース』を見て完全にやられた。

 冒頭、高層マンションを捉えたカメラがある路地へと降りて行き、建物の中にいる強盗団と、外を固める私服・変装刑事たちを交互にナメて緊迫感を煽り、逃亡しようと路地に出て来た強盗団を偶然通りかかった制服警官が職務質問。これを引き金に凄まじい銃撃戦へとなだれ込み、最後は強盗団が逃げおおせるまでの6分間以上のシーンをなんと1カットで撮っている。銃弾の雨あられ。火花と銃撃音。自動車のドアやボンネットへのリアルな被弾。魔法のような撮影だ。
 強盗団のリーダーを演じるリッチー・レンという俳優が素晴らしい。岸谷五朗と永瀬正敏と宮沢和史を足しちゃったような、一見冴えない顔だがパリッとしていてなんとも味のある顔。この涼しげな相貌の悪者と対峙するのはケリー・チャン。不思議な美貌で香港ノワールの金字塔『インファナル・アフェア』(3部作)に華を添えていた彼女だが、ここではTV視聴者に向けて「演出」されるこの逮捕劇の責任者として、勝気で嫌味なキャラを堂々と演じている。この人、時々物凄く面白い顔になるんだよね。そして、上からの命令に背いてまで犯人一味を追い詰めようとする刑事にニック・チョンとかいう俳優。いかにも他人の言うことを聞かない顔をしたコイツが、終始イライラしエネルギッシュに動き回る様子が前述の2人と好対照で楽しい。コイツの見せるガッツが最大限に生かされるのが、クライマックスのバスとバイクのチェイス1カット撮影である。もう笑うしかない。
 リッチー・レンが立て籠もるアパート(この巨大アパートがスペクタキュラーだ)の1室に突如転がり込んだ殺し屋の2人組。「腹が減っては戦は出来ぬ」とリッチーと殺し屋が料理の腕を振るう場面で見せる、アウトサイダー同士の心の交流がなんとも泣かせる。そして人質親子を交えて囲む束の間の温かな食卓。美味そうだ。香港映画はこうでなきゃ。
 1人生き残りケリー・チャンを人質に逃走するリッチー・レンは当然破滅へと向うことになるが、意外な変化球を見せて物語は着地する。これがまたイイ。そして香港警察は英雄を仕立て上げ、計画通りTVで事件解決をアピールする。幕切れがなんとも鮮やかだ。
 青のフィルターがキツい画面とアンビエントな音楽が、ソダーバーグの作品や傑作『NARC』に通じるヒンヤリ感をもたらし、その空気が特異なロケーションとあいまってある種シュールなムードを形成する。そこで展開する男たちのドラマ。こうなるともう面白い面白くないなんかじゃない。小生のツボにジャストなのである。
 昨年見逃していたことがつくづく悔やまれる。ベスト5入り確実だった。
 


07.01.06

年頭にあたって

 今年最初の映画は、3日の新文芸坐での2本立て、『トリスタンとイゾルデ』『ブラック・ダリア』であった。

 イゾルデ役のソフィア・マイルズという女優がなかなかキュートだ。「レイチェル・ワイズの妹」と言われたら信じてしまいそう。この人、『アンダーワールド』に出ていたのだな。そう言われるとあんなに可愛い子が出ていた気もする。『サンダーバード』でペネロープを演じたらしいが、こちらは未見。
 トリスタンを演じたのは『スパイダーマン』シリーズでスパイダーマンの親友&恋敵&父の仇をやってる男。華があるのか無いのかよくわからない奴だな。その分、彼が仕えるマーク王がかなり良い。この人怪作『ダーク・シティ』の主人公だった人だ。ギョロ目の渡辺謙みたいな、渡辺裕之みたいな感じ。どっちにしても渡辺だ。ナベちゃん。
 ローマ軍に荒らされたイギリスをアイルランド王が支配しようとする話なのだが、『麦の穂をゆらす風』の記憶もまだ新しい今、なんとも複雑な心境でこの映画を見てしまった。そんな時代もあったのだ。

 もう1本、再見した『ブラック・ダリア』はなんと最初に見た時の感想と変わらず。やっぱり脚本が相当悪いね、これ。わかりにくいにもほどがある。画的に面白い場面やいかにもデ・パルマなタッチが随所で楽しめるものの、作品としては非情にイビツだ。2度目でもヒラリー・スワンクのミスキャストっぷりがコメディにしか見えず、彼女をとりまく家族もなんだかぎこちない。レズビアンバーのステージで歌うK・D・ラングが大迫力だったり(『ブルーベルベット』でおかまを演じたディーン・ストックウェル以来のインパクト)、安っぽいオープンセットが逆にノワールの雰囲気満点だったりと、この作品を駄作・失敗作と片付けられない要素も多々ある。惜しいね。惜しい。

 さて、今年も見たい映画がいっぱい。
 塚本晋也の新作『悪夢探偵』、失敗作が続いたスコセッシの面目躍如となりそうな『ディパーテッド』、ダンスト好きにはたまらない『マリー・アントワネット』から始まって、『ブラック・ダリア』を降りたデイヴィッド・フィンチャーの『ゾディアック』、デイヴィッド・リンチ謎の新作『インランド・エンパイア』、それにポール・ヴァーホーヴェン8年ぶりの新作もある。
 あとは、かねてから噂のある『ブレードランナー』DVD−BOXのリリースをぜひとも25周年の今年にお願い!
 


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