Diary

■2009年1〜2月

09.02.14

■ロード・トゥ・パーディション
 
『レボリューショナリー・ロード』

 一見幸福な家庭に納まっている夫と妻が、退屈な日常と窮屈なサバービアから脱出するため、パリへ移住する計画を立てる。「ここではないどこか」がどうして「パリ」なんだろう。そのバカさ加減がいい塩梅にリアルだ。何の根拠も無くパリに住みたがる輩が多いのは日本人も同じだ。その辺からして「あちゃー」「イテテ」と頭を抱える人間が多いはず。そして、彼ら夫婦が向かうことになるのはパリじゃなく、「パーディション」(地獄)なのである。

 そこから先この映画には、どんな人間でもちょっとは「身に憶えがある」場面や、「身につまされる」局面や、「耳が痛くなる」セリフがこれでもかと登場する。レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレット演じる、浅はかを絵に描いたような夫婦に入ったヒビは面白いくらいに大きくなって行き、完全に此岸と彼岸の人となり、最後には取り返しのつかない結果を招く。

 このところのディカプリオはどうにもこうにも鼻持ちならなかったが、今回の彼はハマリ役だったと思う。主人公のあの「つまらない男っぷり」は演技なんかじゃ出せないものだ。小細工無しの堂々たるものだった。ケイト・ウィンスレットは『タイタニック』に続いてまたカーセックスしてたな。

 『アメリカン・ビューティ』、『ロード・トゥ・パーディション』の撮影はコンラッド・L・ホール(『ロード・トゥ〜』が遺作となった)、『ジャーヘッド』と今作の撮影はロジャー・ディーキンス(最近では『ジェシー・ジェイムズの暗殺』が良かった)、そして4作全ての音楽をトーマス・ニューマンが担当するという鉄壁の布陣が、サム・メンデスの下、素晴らしい仕事をして来た。あまりに完璧な映像にため息を吐き、的確過ぎる演出に何度も唸らせられた。サム・メンデスはとにかく巧い監督だ。今回のような類の作品では、その巧さは生理的嫌悪感をもよおすほどである。

 ここらでたまにはマトモなことを言ってみよう。
 この映画は「鏡」のようなものである。男、女、結婚している人、独身者、若者、中年、年寄りなどなど、それぞれの立場や世代によってこの映画の見方は異なる。そして今抱いている感想は、10年先、20年先に見直した時には別の感想に変わっているかも知れない。特に妊娠経験の有無でこの作品との向き合い方は大きく違って来るだろう。
 厄年のお祓いのように、人生の節目節目でこの映画を見るべきだと思う。その都度違う登場人物に自分を投影し、抱えている迷いに対する答えを映画に求めることだろう。しかしこの映画は人生相談でもないし、占い師でもない。
 鏡なのである。

09.02.14

■第一部ヴィスタ、第二部スタンダードでもよかったんじゃ・・・
 
『チェ 28歳の革命』
『チェ 39歳 別れの手紙』

 チェ・ゲバラを演じるのはベニチオ・デル・トロしかいない、というのはわかるとしても、スティーヴン・ソダーバーグが監督として相応しかったかどうかは疑問に思った。神格化されたヒーローでもなく自由のアイコンでもない、等身大の男、フツーの人間としてのチェ・ゲバラを描かねばならないという使命感は理解出来る。表現者としてそのやり方は正しいとも言える。しかし、「正しい描き方」と「映画としての面白さ」は別物である。いや、別物どころか、時には真逆である。

 シネマスコープで見せる第一部にまずは戸惑う。『トラフィック』で見せたようなソダーバーグ印の演出・撮影・編集と、シネスコという画面サイズが持つダイナミズム(映画的非現実感)に、どうにも違和感がある。スペクタキュラーな見せ場をあえて作らないのはいいが、あの横長のパノラマ画面を持て余しているように思えるのはいかがなものか。カメラが寄ってデル・トロのクロースアップを捉えることもほとんど無い。チェ・ゲバラという対象との間に距離を置いて見つめ、作品をコントロールしているのはわかるが、チェの人物像にあそこまで迫らないのは映画としてつらい。ベニチオ・デル・トロという現在トップクラスのセクシーな俳優を使っておきながら、彼の匂い立つような男臭さが希薄なのも寂しい。

 それでも第二部に比べれば第一部にはまだまだ映画的華やかさがあった。舞台をボリヴィアの山中に移し、飢えや疲労に苛まれながらの行軍や戦闘がダラダラと締まり無く続く第二部には、映画を楽しむという行為を超えてもはや義務感のようなものしか無い。画面をヴィスタに戻し、『ラン・ローラ・ラン』の女優やルー・ダイヤモンド・フィリップス(久し振りだな)、さらにマット・デイモンまで担ぎ出してソダーバーグお得意のアンサンブル・ドラマを見せてくれるのかと思えば、そんなものに結実することを頑なに避けている。ゲバラ逮捕に至る銃撃戦の緊張感の無さ、エモーションの無さは、チェを取り巻く隊員たちにカメラを向けキャラクターを掘り下げなかった結果である。革命の種火を持ち込んだにも関わらずそれが一向に炎へ発展しない焦燥感や、実は地元民から疎まれる始末だったという敗北感が物足りないのも当たり前だ。そういう演出なのだから。

 映画的なフィルターを通さずに、ありのままのチェ・ゲバラを再現する。映画という表現にうってつけのキャラクターとドラマを持っていたであろう、真に映画的とも言える現代史の巨人を、非映画・非スペクタクルとして完遂したスティーヴン・ソダーバーグの勇気は将来語り草になることだろう。そして何十年か先、チェ・ゲバラを映画化しようとする者が再び現れるはずだ。
 今度こそ冒険ヒーロー映画として。

09.02.14

■地球に落ちて来た男
 
『クローンは故郷をめざす』

 及川光博(以下ミッチー )がクローン人間を演じると聞いて、「うわ、ピッタリ」とか「ハマリ役」などと思ってしまった人は、クローン人間に対して多大な幻想や先入観を持っていると言わねばならない。人間へのクローン技術の応用がどんなものになるのかをSFでしか知らない者にとって、クローン人間とはつまり「コピー人間」だ。姿かたちは人間であるものの、子宮で育ったわけではないから人間性が希薄で、精神的に無垢で、どこか冷たい印象さえある・・・・僕にしたってクローン人間と聞いて浮かぶのはせいぜいそんなところだ。だから僕もミッチーがクローン人間を演じたこの映画に思わず飛び付いてしまったクチである。うん、やっぱりクローンやるならミッチーでなきゃ。

 前もってクローン再生プロジェクトに登録していたミッチーが宇宙ステーションでの作業中に事故で死亡。彼の妻の元へ帰還したのはクローン再生された夫だったが、幼い頃の記憶しか持たない1号は失敗。彼は双子の片割れを亡くした過去が眠る故郷の地へ何かに導かれるように旅立つ。そして、その後成功したクローン2号も1号を追って故郷へと向かう、というのがストーリー。

 クローン・プロジェクトの核となる博士が唱える、「クローン人間はオリジナルの霊魂と共鳴し合う」という理論がまず鳥肌モノ。この超クールなコンセプトがこの映画の土台である。亡くした孫娘を再生させるために研究を続けて来た博士の後から孫娘(の霊)が手を回すシーンは、もちろんタルコフスキーの『惑星ソラリス』から借用したものだ。
 蘇生、記憶、モラリティ、アイデンティティ・・・・クローン人間を扱うこの映画が、『惑星ソラリス』が既に描いたテーマへと帰結するのは必然のように思う。まるで開き直ったかのように、水、緑、霧、雨、廃屋といったタルコフスキー的なモチーフが登場するのだが、『ソラリス』には無かったものがこの映画にはあり、それこそがこの作品をオリジナルたらしめている。
 それがミッチーなのである。

 青白い顔と黒目ばかりの細い目でボーッとしているミッチー。もうそれだけで素敵なのだが、続いて頭に包帯をまいているミッチー(=綾波レイ)、銀色の宇宙服を背負って田舎のあぜ道を歩くミッチー(=『ロード・オブ・ザ・リング』)、安楽死注射で寿命を定められたミッチー(=『ブレードランナー』)などなど、ミッチーの姿に色々と重ねられるのも楽しい。
 ロケ地は栃木県だっただろうか、昭和の匂いがぷんぷんするド田舎にミッチーが降り立っただけで、異様な風景へと変貌する。これはまさにニコラス・ローグ作品『地球に落ちて来た男』のデヴィッド・ボウイである。あの名作でボウイが見せたストレンジャー感に共通するものがミッチーの美貌には備わっている。「ナチュラルボーン・ストレンジャー」としてのボウイがノーメイクで宇宙人像を作り出し得たことと、無表情でただそこにいるだけのミッチーをクローン人間だと思えるというコンセンサスは、同じものだと言えるのではないか。

 他にも『ガタカ』やソダーバーグ版『ソラリス』など、数々のSF映画へのオマージュが、これ見よがしでなく、オタクっぽくなく機能していて好感が持てるのだが、これが監督の力量なのか、ミッチー主演というキャスティングの勝利なのかは、この監督の2作目を見るまではわからない。
 それに、主演俳優としてミッチーがこの映画を超える作品に出会えるかどうかも。

09.01.28

■そうだ、大山崎行こう (1月21〜22日京都旅行記)
 
 2007年5月に伊藤若冲の「動植綵絵」全三十幅を京都の相国寺へ見に行った際、京都駅まで帰るのに使ったタクシーの運転手が「今度は是非冬にいらっしゃい。冬の京都はまた格別です。空いてますし」と言っていたことから、いつか行きたいものだ、何か特別に見たいイベントが冬にでも開催されれば、とずっと思っていたところ、山口晃が新作展をなんと(昨年)12月から3月まで京都でやるというので、これ幸いとばかりに21日・22日と1泊で行って来た。

場所は京都市街から電車で15分くらいだろうか、大山崎町というところにある「アサヒビール大山崎山荘美術館」。
ウェブで調べてはいたものの、行ってみると本当に山の中にある美術館だった。
駅から徒歩10分ということだが、勾配のきつい坂道、というか山道を結構な距離歩かされるという10分、いや体感的には20分。
京都へ到着早々、昼食に湯豆腐を食べに赴いただけの嵐山で、散々はしゃいで予想外に歩き回ったことを後悔することに。
どんよりと曇った空に、「いやー、これで雪でも降れば最高じゃん、京都」などと浮かれていたが、美術館までの道のりを見れば雪じゃなくて本当によかった。

この美術館はもともと、はるか昔に関西のナントカいう金持ちが建てた英国式建築の立派な山荘で、持ち主の手を離れた近年取り壊し計画の憂き目にあっていたのだが、付近住民の反対運動などもあってアサヒビールが買い上げ、修復および新館の建設を安藤忠雄に依頼して美術館としてオープンしたものだ。
だから、展覧会の内容とは関係なく、まず建物が素晴らしい。
目黒にある「庭園美術館」に似た趣きが堪能出来る。

翌日僕ら夫婦を筋肉痛責めに至らしめるこの山は「天王山」といい、本能寺で織田信長を殺した明智光秀がここで羽柴秀吉軍によって成敗され、それは「山崎の合戦」として名高いんだそうだ。
日本史に関心の薄い僕にとっては「ああ、そう」くらいだが。

今回の山口晃の新作展は、そんな大山崎に縁のある人物たち(千利休なども)を題材にしたものだ。
制作に先立ち山口はこの地で随分とフィールドワークも行なったらしい。

例によって緻密な筆さばきでディテールを極めた大山崎町の俯瞰図をはじめ、沈痛な面持ちの明智光秀を大小様々な大きさの臣下が囲む異様な「最後の晩餐」や、チェンバロなんか弾いちゃってる武者など、得意のドローイングは20点あるかどうかだが、相変わらずの「山口節」が期待を裏切らない炸裂っぷりだ。

中でも最高だったのは「大山崎山荘秘密基地」という作品。
山の中腹に建つ大山崎山荘美術館の精密模型があり、その地下部分の断面にぐるりと紙が貼られて、そこに「山崎ホーク1号」や「大山崎ロボ」や「秘密地下ビール工場」などが描き込まれている。
プレートのタイトル下には「紙、ペン」とだけ。
つまりこれ、もともとあった美術館模型に山口が落書きを加えただけのものなのだ。
山口晃はサンプリング&リミックスの手法でその作品世界を展開して来た、などとは言いたくないが、安藤忠雄の作品を使ったこの「悪ふざけ」に、山口の作品制作の原点を見た気がする。
というか、お腹がよじれるほど笑った。

新館の方の展示は、照明を落とした中、コンクリートの壁面に四角い光がいくつも当たっており、そこにタイトルプレートが。
四角い光はつまりカンバスで、その中にうっすらと浮かぶコンクリートの濃淡を「睡蓮」(大山崎山荘美術館はモネの「睡蓮」を所蔵している)や「父子」や「蟹」などに「見立て」てるという、なんとも人を食ったような「作品」。
これはもちろん千利休のパロディであり、先述の「大山崎秘密基地」での安藤忠雄に続く利休とのコラボレーションとも言える。

とは言うものの、これ、もしかして思うように作品数を上げられなかった山口による苦肉の策だったのではあるまいか。
以前、上野での展示「アートで候」のギャラリートークで、まだ輪郭のみで彩色されていない部分の多かった「渡海文殊」を指して、「これはこれで完成品」とのたまっていた山口であったが、後日再び見に行ったら彩色部分が増えていたことがあった。
山口晃のそういう部分もまた愛すべきである。

ミヅマ・アートギャラリーでの個展に行くと、展示中の作品に手を入れている山口に出くわすことがある。
締め切りに間に合わなかった、のである。
今回の大山崎でも、開催初期にはそんな光景が見れたらしい。
制作中の作家を見る機会などなかなか無いから、それはそれでありがたいことではあるが、ひとつ問題がある。
展覧会図録を買えない。
練馬区立美術館での「今度は武者絵だ!」の時は代金だけ先に払って、現物は1〜2ヶ月後に郵送されて来た。
今回も代金は払ったものの、発送は1ヵ月後だそうだ。
記念になるものを、と思い、展覧会ポスターを購入する、無謀にも。
以後、京都市内どこへ行くにも筒状に丸めたポスターをずっと持ち歩くはめに。

宿泊は、八坂神社から清水寺への途中にある「石塀小路」という細い路地にある、元料亭を改装した旅館。
あのような古い日本家屋はもはやインスタレーションに近い。
素晴らしい体験だった。

今回も美味いものをあちこちで色々と食べたが、何と言っても京鴨料理の専門店が良かった。
鴨のレバーやらハツやらの刺身から始まって、串焼き、ステーキ、ロース煮(ゲロ旨)と来て、最後はなんと「京鴨と九条葱のピザ」。
鴨肉が乗ったピザなんか美味いはずないじゃん、という先入観は秒殺された。

京都、やっぱり最高〜。

09.01.17

■ブロークバック砂漠
 
『アラビアのロレンス 完全版』

 海外旅行がまだまだ一般人の手に届かなかった頃、映画には「擬似旅行のための装置」という側面があった。西洋人にとっての秘境、ジャングルやサバンナや砂漠の映像をスクリーンに投影して、観客をその地へ誘う。やがて、ただ風景や現地人や動物を見せるだけでは飽き足らなくなり、そこで俳優たちを使って物語を作るようになる。異国の地で展開するドラマやスペクタクルを高解像度の映像で見せたくなりもする。「シネラマ」や「70mm」といった、巨大劇場向けの上映方式やフィルムで作られたハリウッド超大作が華やかだった、そんな60年代初頭という時代が『アラビアのロレンス』という映画の背景と言える。

 僕はこの映画を小学生か中学生の時にTVで見たが、オートバイ事故でロレンスが死ぬシーンで始まるスタイルを異様に感じたことを憶えている。ちなみに2週に分けて前後編で放送。ネットで調べたら、1978年に「水曜ロードショー」で放映しており、この時のピーター・オトゥールの吹き替えはなんと岸田森。僕が見たのはこの時のものだろう。

 と言うわけで、今回『アラビアのロレンス』をスクリーンで初めて見た。カイロの英国軍基地でロレンスがマッチの火を吹き消した次の瞬間、スクリーンは黒い砂漠と赤い空とに2分割され、その境界線から徐々に太陽が滲み出るという日の出のシークェンスを経て、観客は完全に砂漠へと放り込まれることになる。あまりにもクールなこのジャンプカットは、当然ながら『2001年宇宙の旅』での「猿人の投げた骨→人工衛星」という編集を思い出させる(『ロレンス』の方が先だが)。

 地平線に揺れる陽炎の中に何かがうごめき、それがゆっくりと形を成しながらやがて人の乗った駱駝だとわかる、というオマー・シャリフの登場シーンや、仲間を助けに行ったロレンスの帰還を駱駝の上でじっと待つ少年を地平線とともに真横から捉えたショット、気の遠くなるような超ロングショットの風景の中にポツリと並ぶ隊列など、シネマスコープの大スクリーンに投影することを想定したうえでの場面はどれもため息が出るほど美しい。茫漠たる砂の海をどう切り取ればいいのか、そしてそれをどんな編集で見せればあそこに流れる時間を追体験させられるか、を理解する美意識の結晶である。
 第2班の撮影を務めたのはなんとニコラス・ローグである。その体験は後の監督作『美しき冒険旅行』へと活かされたことだろう。ローグはリーンの次回作『ドクトル・ジバゴ』では撮影監督に抜擢されたが、撮影方法をめぐってリーンと対立、途中降板することになる。

 砂漠に街を築いての撮影やエキストラ・馬・駱駝を大量投入しての大戦闘シーン、列車脱線転覆など、この作品に展開するスペクタクルは特撮を一切使わない「本物」である。その迫力と贅沢さ加減は、目眩を幾度も幾度も誘う。重い70mmカメラを携えて何百人というスタッフ・キャストを引き連れ、本来映画を作ることなど許されないような土地に敢行された一大ロケーション撮影。このような映画製作は21世紀になった今、資金面から言っても映画文法から言っても、もう2度と実現することはない。

 思えば70年代にはまだ「デイヴィッド・リーン的」な映画が残っていた。フランシス・フォード・コッポラもヴェルナー・ヘルツォークもリーンの子供たちだ。そんなリーン的大作映画の最後の火はベルナルド・ベルトルッチの『ラスト・エンペラー』だっただろう(もちろん大分後で作られる『ラストサムライ』などは『ロレンス』を意識し過ぎるほど意識した作品だったが、残念ながらCG多用のせいでリーン的とは言い難い)。
 清の皇帝=溥儀に付く英国人家庭教師役にピーター・オトゥールを起用したのは、『アラビアのロレンス』への最大級のリスペクトに他ならず、あの作品にはリーン的大作映画時代の終焉へのレクイエムとしての意味合いが濃厚であった。しかもベルトルッチはその後、『シェルタリング・スカイ』で自らも砂漠へと赴く。

 エキゾティズム、大掛かりなスペクタクル、そして英雄譚。単に異国の地での冒険を疑似体験する装置としてだけだったら、現在に至るまで映画史に輝き続ける地位は『アラビアのロレンス』に与えられなかっただろう。英国からやって来たアラビアの救世主は後半に入ると、異様な深みを覗かせるようになる。

 トルコ軍の将軍(ホセ・ファーラーが変態っぽくて実に良い)に逮捕・監禁されたロレンスは、裸に剥かれ、鞭打たれる。実際のT・E・ロレンスはこの時マゾヒズムに開眼したと述懐しているようだが、映画ではそれ以上に、レイプ、つまり男色の匂いを嗅ぐことが可能である。拷問の後解放されたロレンスに漂う妙な色気と、この世ならぬものを見ているような視線。厭世観に苛まれてどこか遠くへ行ってしまいそうに見えるロレンスを、必死に引き止めるアリ。2人の男の哀しい姿は、山岸涼子の漫画『日出処の天子』の後半で、若き聖徳太子と蘇我毛子がたどった道行きを嫌でも思い起こさせる。ちなみにこの映画には、ほぼ全くと言っていいほど女性が登場しない。

 T・E・ロレンスというミステリアスな人物の内面が白日の下に晒されることは、この映画において結局はない。実在の人物を題材にした映画はどれもそんなものだ。しかし、ロレンスに控え目ながらも男色というパースペクティヴを与えたデイヴィッド・リーンの慧眼には恐れ入る。砂漠と男色。ベクトルは両方ともタナトスにある。そしてご丁寧にもロレンスはオートバイで命を落とす。どこまでもホモセクシュアルの要素に彩られているのである。

 だから、『アラビアのロレンス』はハリウッド史上に燦然と輝く「やおい映画」と言うことが出来る。『ブロークバック・マウンテン』より40年も早い。以前とは違ってしまったロレンスを嘆き悲しむアリの姿が痛烈に胸を打つ。
 この時、僕の中には腐女子がいるのだと知った。

09.01.17

■アメリカって凄い
 
『WALL・E』

 その見事な出来栄えに、拍手喝采を通り越して僕はヘコんだ。
 映像美、音響、物語、情感、フェティシズム、娯楽性、啓蒙、どれもが上手く計算、配分され、怖ろしく調和がとれている。エコロジーを扱いながらも宮崎駿作品のように偉そうに見えない。汗も体臭も暑苦しさも感じさせずに、サラリとメッセージを提示してみせる。『2001年宇宙の旅』や『サイレント・ランニング』や『エイリアン』といった名作への目配せも、オタク臭くなり過ぎず嫌味が無い。利口で洒落ていて巧い・・・・つまり「smart」という言葉1つで評価が可能だ。

 PIXARというスタジオには世界中から超優秀な人材が集まっていることだろう。アメリカで、ハリウッドで、そしてルーカス・フィルムやPIXARでその才能を活かしたいと夢見る人間はごまんといるはずだ。中でもPIXARが採用するようなクリエイターの能力はハンパなく高度に違いない。世界でトップレベルの才能を持つ者が、西洋人だろうが東洋人だろうが分け隔てなく机を並べ、その能力を出し合い、競い合い、1つの作品を作り上げる。もちろん、彼らの才能に支払われる報酬は安いはずがない。おまけに、末端のスタッフに至るまで作品のエンドロールに名前を刻むことが出来る。報酬もさることながら、自分が『トイストーリー』を作った、『モンスターズ・インク』を作った、という達成感・満足感はクリエイターにとってこの上ない糧となることだろう。

 そんなPIXARの自信が『WALL・E』のエンドクレジットに現れている。2体のロボットと人類のその後を語るシークェンスで、アルタミラあたりの洞窟画から始まり、エジプトの壁画、ルネッサンス、印象派など、絵画スタイルの変遷を再現して見せるのだ。人類が絵を描くことをおぼえた原初から脈々と続くアートの長い歴史において、PIXARがやっていることはその最新形態に他ならない、という自負。自信たっぷりではあるが、思い上がりは感じられず、どこか謙虚ささえ漂う。

 だからこそ僕はヘコんだ。
 作品の出来だけではない、この作品の存在そのこと自体が完璧だ。アニメであるかどうかなど、もはやどうでもいい。PIXARというスタジオは、いや、アメリカという国はこんな映画を作ってしまう国なのである。
 かつて第二次大戦中、シンガポールの戦地で『風と共に去りぬ』を見た小津安二郎は「これほどの映画を作る国と戦って勝てるわけがない」ともらしたと言われる。そんなエピソードを思い起こさせるほど、『WALL・E』という作品は凄かった。