THE EXORCIST
『エクソシスト』(1974年)

1974. US Heavy Stock Paper. 30X40inch. Rolled.

■かつてオカルトブームがあった

 『ジョーズ』が初めての映画(館)体験であったわけだから当然この作品をリアルタイムで見てはいない。だが『ジョーズ』に始まる「動物パニックもの」ブームと平行して、『エクソシスト』から火がついた「オカルト」なるものがブームとなっているのは知っていた。妊婦が悪魔に憑かれるバッタもん『デアボリカ』から女性器が喋るポルノ『プッシートーク』という珍品まで現れ、「オカルト」という曖昧なキーワードの下ホラー映画が量産されていた時期だった。

■『エクソシスト』はニューシネマだ

 小生は『エクソシスト』をテレビで初めて見た。怖かった。だが少女リーガンの悪魔メイクが怖かったのではない。リーガンという「病人」を抱えて疲労困憊していく家族や、病院で繰り返される拷問のような精密検査(造影レントゲン検査であろうか)。いたいけな少女を拷問にかける最先端医療は、現代の魔女裁判と化し、無力感と絶望感を煽る。『エクソシスト』の恐ろしさはそこにあると思う。
 やがて救いの手となる神父も、1人は悪魔祓いの経験があるものの心臓を患った高齢な男。もう1人は病気の母親も救えず信仰そのものに疑問を抱くくたびれた若い男。コッポラの『カンバセーション・・・盗聴・・・』にも似た疲労感・閉塞感・孤独感を全篇に漂わせ、絶望の淵に立たされた者たちの最後の戦いを描く『エクソシスト』が色褪せないのは、コケ脅しのショック描写に頼ることなく、リーガンのベッドで起こることよりもその周囲に立つ者たちを丁寧に描いたからに他ならない。
 『エクソシスト』は、ホラー・ジャンルにおけるアメリカン・ニューシネマなのである。

■映画館は大爆笑

 初めて『エクソシスト』を劇場で見たのは東京ファンタスティック映画祭で公開された「デジタル・リマスター版」である。インタビュー映像や削除されファンの間では伝説となっていた「スパイダーウォーク」を含むドキュメンタリーも併映され、会場は沸いていた。リンダ・ブレアーからはビデオレターが届き、当時御執心だったエコロジー活動と『エクソシスト』を無理矢理結びつけ、場内は爆笑。俳優の高嶋政宏も来ていた。

■「ディレクターズカット」版

 その後公開された「ディレクターズ・カット」は興醒めのショック描写やCG合成が追加されていて、なんとも複雑な心境であった。
 それでもこのヴァージョンを見るのをやめられないのは、病院でのリーガンのシークェンスが長いこと(おかげで医者が匙を投げた時の絶望感が増した)、悪魔祓いの途中で階段に座る2人の神父の会話、ラストのダイアー神父とキンダーマン警部の会話など、削除されたシーンがどれも素晴らしいからである。
 原作者ウィリアム・ピーター・ブラッティと監督ウィリアム・フリードキンの『エクソシスト』をめぐる20年以上に渡る対立は、マーク・カーモード著『バトル・オブ・エクソシスト』に詳しい。それにしてもブラッティって『エクソシスト』シリーズの他に何か書いてんだろうか(笑)。

■岸田森による吹き替え

 テレビ初放映の際、カラス神父の吹き替えをやったのはなんと俳優の岸田森であった。かつて「日本のドラキュラと言えばこの人」と言われ、怪奇映画役者のレッテルが貼られた過去を持つことからのキャスティングと思われるが、彼の声で喋るカラス神父はとにかく最高であった。「ママ・・・」という泣き声なんか絶品。マザコンのイタリア移民という設定への理解力がなせる技。
 この岸田森、もう1つ名吹き替えがある。『狼たちの午後』のジョン・カザールだ。カザールも岸田も随分と早く逝ってしまった。残念なことだ。

■マグリットの『光の帝国』

 『ジョーズ』のポスター同様、あまりにも有名な『エクソシスト』のデザイン。メリン神父がリーガンの家に到着する、この作品中最も印象深いカット。このシーンのためにフリードキンが参考にしたのは、なんとベルギーのシュルレアリスム画家ルネ・マグリットの『光の帝国』という絵画である。

 クレジット部分にある俳優たちの名前・・・・エレン・バースティン(70年代前半彼女は素晴らしい仕事が続いた)、マックス・フォン・シドウ(実は老けメイク。当時なんと44歳であった!)、リー・J・コッブ(いぶし銀。『12人の怒れる男』が有名だが小生は『ラスベガス強奪作戦』が好き)、ジェイソン・ミラー(なんとこれがデビュー作だった)。
 名作のヴィンテージ・ポスターを購入するとうれしいのは、絵柄よりも結局こういうところになってしまうな。