FIGHT CLUB
『ファイトクラブ』(1999年)

1999. US 1Sheet. 27X40inch. Double-sided. Rolled.

■世紀末恋愛奇譚

 血まみれの説教を描いた『セブン』の後、『ゲーム』では一切血の流れない説教で我々を驚かせたフィンチャー。後に「『セブン』はコメディだった」などと嘯く彼の悪意はチャック・パラニュークの衝撃的ベストセラー小説を得て、新しいミレニアムの前夜に猛烈な毒の華を咲かせた。

 石井聰互作品『爆烈都市』のコピーを拝借して「これはテロの映画ではない。映画のテロだ」とでも言いたくなるほどの正真正銘の問題作。レストランのスープ鍋に小便をしたり、ファミリー向け映画にポルノを紛れ込ませたり、美容外科から盗んだ皮下脂肪で石鹸を作って販売したりなどの「些細ないたずら」が最終的にはクレジット会社のビル爆破という大掛かりなテロに成長する・・・・当初互いを殴り合い痛みを共有することで単純に生を実感していた「ファイトクラブ」のメンバー達は、やがて高度に組織化されたテロリストへと姿を変えていくことになるのだ。

 「宗教的基盤」も「政治的信条」も持たないテロリズム・・・・ただ資本主義世界にカオスをもたらし人間の野性へと立返ろうとする彼らの極端なマッチョ志向が、見る者をかつて味わったことのない覚醒へと導く。
 強烈なカリスマ性でリーダーシップを執るブラッド・ピットも良いが、そのパートナーを演じるエドワード・ノートンが最高だ。消費社会にどっぷり浸かったヤッピーが狂気を帯びつつ人間性を取り戻していく様はノートンのたたずまいでしか表現し得なかったはずである。
 そしてスピーディで風変わりな語り口とCGによる擬似マクロ映像に眩暈を覚える。猛烈な速度でノートンの体内を移動するオープニングの『ミクロの決死圏』的映像で味わえる「内臓感覚」は、映画の最後まで持続し、振動するピットのクローズアップで外れるフィルム・リールやサブリミナル的に挿入される男根のイメージは、映画表現そのものに対して剥いた牙だ。

 この作品が20世紀FOXで作られたことがいまだに信じ難いが、まずは2001年9月11日以前に公開されたことを喜ぶべきだろう。単にテロという要素だけでこの素晴しい「世紀末恋愛奇譚」がオクラ入りしたのでは堪らない。個人的好み(『セブン』)を除外すれば、『ファイトクラブ』は現時点でフィンチャー作品の最高傑作である。