GOODFELLAS
『グッドフェローズ』(1990年)

1990. US 1sheet. 27X40inch. Double-sided. Rolled.

■スコセッシ

 実は、『タクシードライバー』に衝撃を受けたにも関わらず、マーティン・スコセッシのその後に関心は無かった。「スコセッシの代表作」とも「80年代最高の1本」とも言われる『レイジング・ブル』を、小生が劇場まで見に行くことは無かった。『キング・オブ・コメディ』も『アフター・アワーズ』も存在すら知らず、前作も見てなければトム・クルーズにも興味の無い『ハスラー2』など見に行く理由は皆無だった。デヴィッド・ボウイが出演した『最後の誘惑』には多少興味があったものの、映画館までは遠かった。

 そんな80年代は、小生にとって、映画よりもむしろ音楽への情熱の方が勝っていたと言える。ハリウッドのメジャー作品への関心は極めて薄く、映画熱が再燃する89年あたりまでに見た作品はと言えば、ごく一部のSFやホラー、実験映画のクラシック、ヌーヴェルヴァーグ、そしてアート系フィルム(フランス映画社配給の)といった偏り具合。89年から90年にかけて仕事の都合で東京生活を余儀なくされた時期、音楽創作の場を失い、唯一の娯楽として映画を沢山見たことが現在へと至る映画熱のスタートであるが、その波に乗って小生は実に13年ぶりにスコセッシの作品を映画館に見に行くことになったのである。

■ソール・バス

 右から左へ走りぬけ、フレームアウトした途端に再び現れるクレジット。一目でソール・バスの仕事と判るこのタイトル・デザインは彼(妻エレインとの共同作業)の晩年におけるベスト・ワークの1つであり、この後『ケープ・フィアー』『エイジ・オブ・イノセンス』そしてバスの遺作となる『カジノ』と、タイトル・デザイナー人生の末期をスコセッシとの蜜月で飾るスタートとなった作品だ。ちなみに、スコセッシは『タクシードライバー』で映画音楽の大家バーナード・ハーマンの遺作も手に入れている。
 走り抜けるクレジットと呼応するかのように、映画は深夜のドライヴで幕を開ける。
 1970年、ニューヨーク。主役3人、ロバート・デ・ニーロ、レイ・リオッタ、ジョー・ペシの乗った車はやがて人里離れた道路脇で停まる。トランクには血まみれで息も絶え絶えになっている男。『サイコ』よろしく執拗に包丁を突き立てるペシ。トドメとばかりに拳銃の弾を何発も打ち込むデ・ニーロ。トランクを閉めるリオッタのモノローグ「子供のころからギャングになりたかった」・・・・絶妙のタイミングで50年代のスウィング・ジャズの華やかな音色が立ち上がり、今度は3度(3人の物語だからか)続けて走り抜けてから赤い文字で浮かび上がるタイトル「GOODFELLAS」。後に、この殺人が3人にとって大きな枷となることが判明するのだが、このシークェンスを冒頭に持って来たところにスコセッシの美学を感じる。そして時代は一気に1955年まで遡り、レイ・リオッタ演じるヘンリー・ヒルの少年時代から、この「立身出世物語」は滑り出す。
 「Rise and fall of a gangster」・・・・・この物語は実話である。

■ジョー・ペシ

 マフィアの使いっぱしりからスタートしたヘンリーは、ギャング界の大物ジミー(デ・ニーロ)を紹介され、同年代のトミー(ペシ)と組んで「仕事」をするようになる。泥棒と強盗を重ね、裏社会での名声とコネクションを築き上げて行く3人。意外にも殺しは無いが、それでもトミーの凶暴性が思いがけず牙を剥く場面で肝を冷やすことになる。
 ギャング仲間の宴会の最中に武勇伝をスタンダップ・コメディアンよろしく披露し、周囲の爆笑をとるトミー。「まったくお前は面白いやつだ」とヘンリー。「どう面白いってんだ?おれは道化だって言うのか?」と突っかかるトミー。しどろもどろになるヘンリーと「どう面白いか言ってみろ」と食い下がるトミーのやりとりに、ヘンリーはもちろん、2人を囲む年上のギャングたちの顔までもが恐怖に引きつり、さっきまでの愉快なムードがみるみる凍り付いて行く。一触即発の空気の中、「なーんて嘘だよ」と言うトミーに、糸が切れたように爆笑が渦巻く。和やかなムードに戻ったところへ請求書を手に割って入った支配人に、今度は本当にブチ切れ酒瓶で殴るトミー。怖ろしいキャラクターだ。ジョーペシはこの映画でアカデミー助演男優賞を獲得、彼の体験を元に創作されたこのシーンは伝説化した。
 ポーカー賭博でのトミーのヴァイオレンスも凄まじい。飲み物係のスパイダーなる若造に向かってでたらめに拳銃を撃つが、1発が足先を吹っ飛ばすことに。数日後、包帯で巻かれた足を引き摺る彼に「Fuck」と言われ、「あんなこと言われて黙ってる気か?」とジミーらに囃し立てられたトミーはスパイダーを蜂の巣にする。囃し立てておきながら「殺すやつがあるか」と今度はキレるジミー。ギャングの世界の不条理と理不尽な暴力に言葉を失う。
 ちなみに、小さい役ながらも印象的なスパイダーを演じたマイケル・インペリオリは、後にTVシリーズ「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」に重要な役どころで出演。このドラマには、他にもヘンリーの妻カレンを演じたロレイン・ブラッコや、3人に殺されるビリー・バッツを演じたフランク・ヴィンセントを含め、『グッドフェローズ』から何人もの俳優がキャスティングされている。

■コパカバーナ

 ジョー・ペシばかりが語り草ではない。ナイトクラブ「コパカバーナ」の4分に渡る1ショット撮影は、何度見てもため息の出るシークェンスだ。
 まだ結婚前、ヘンリーがカレンをエスコートしてコパカバーナに乗り付けるのだが、行列の並ぶエントランスではなく裏口から入り、ボディガードやウェイターにチップを握らせながら廊下を進み、ごった返した迷路のような厨房を抜け、満員のフロアに出ると支配人から歓待を受け、ステージの真ん前にテーブルを用意されて席に着くとコメディアン=ヘンリー・ヤングマンのショーが始まる、というもの。ステディカムを駆使したこのうっとりするような撮影は、最後の最後に登場するヘンリー・ヤングマンのNG(!)を含めて8回に及んだという。
 コパカバーナでのシーンはどれも素晴らしい。ステージで歌うボビー・ヴィントンからヘンリーとカレンのテーブルにシャンパンが届くのだが、このシーンでボビーを演じているのは実子のロビー・ヴィントンである。
 そして、ジェリー・ヴェールが朗々と歌を披露する中、行儀良く、まるで子供のようにうっとりと聴き惚れてしまうギャングたち・女たちを、彼らの顔をゆっくりパンしながら撮影する見事なショット。これらコパカバーナでの華やかな場面は、ヘンリーのギャング人生における黄金時代を演出しているだけでなく、裏切りと流血のドラマへとなだれ込む後半への皮肉な序章である。

■ドノヴァン

 ビリー・バッツの出所祝いシーンも出色だ。映画の冒頭で殺されるこの男は、トミーとは旧知の仲らしく、彼が靴磨きをやってた頃を知っており、それをネタにからかう。からかわれてイラつくものの、ビリーの方が格上のため押さえ込むトミー。一旦は謝るが次の瞬間「靴磨きの用意をしな!」と罵声を浴びせるビリーにとうとうブチ切れるトミー。
 フランク・ヴィンセントとジョー・ペシのかけ合いの呼吸が素晴らしいのは、なんと2人が過去に数年間漫才コンビを組んでたからだ。取っ組み合いになる2人をヘンリーもジミーも止めるが、バッツが1人っきりになるやトミーと3人で袋叩きにしてしまう。凄い形相で蹴りを入れ続けるデ・ニーロ。みるみる血まみれになるビリー・バッツ。なぜかドノヴァンの「Atlantis」が高らかに鳴り響き、このヴァイオレンス・シーンに不思議な高揚感をもたらす。

■タランティーノ

 『ドアをノックするのは誰?』などの初期作品から、スコセッシは既成の楽曲で映画を彩る術に長けていたが、ジャズ、オールディーズ、ロックに渡る「サウンド・モンタージュ」とでも言うべきこの『グッドフェローズ』は、彼のDJ能力の到達点だろう。
 1955年から30年間に渡るヘンリー・ヒルのギャング人生を50s・60s・70sと単純に区分けし、その時代時代のヒット曲を単純にBGMとして流すようなマネはしない(オリヴァー・ストーンとは違う)。先に述べたドノヴァンのように、時にミスマッチとも言える意表を突く選曲で映像に屈折と奥行きを与えるスコセッシの音楽センスは、なんと脚本の段階ですでに使用する曲名が書き込まれているという徹底ぶりだ。
 ジミーが残虐な方法で仲間たちを次々と粛清して行くシーンで流れるのはデレク&ザ・ドミノスの「Layla」(あの有名なギター部分ではなく、終盤のピアノ部分)だが、実はここでの撮影・編集は曲の方にタイミングを合わせたものである。
 コカインの売買に手を染め、自ら中毒になってしまったヘンリーが麻薬捜査班に逮捕される日を朝から追うシークェンスでは、鳥肌の立つようなタイミングでニルソンの「Jump into the Fire」がかかる。ノリの良いリズムに少々パラノイアックな歌声が絡むこの曲は、分刻みで行動するヘンリーの焦燥感と頭上に飛ぶヘリコプターへの恐怖感にあまりにもシンクロしている。
 ちなみに、この曲によく似たメロディとムードを持つ「Coconut」という、やはりニルソンの曲をエンドロールで流したのが、クェンティン・タランティーノの『レザボアドッグズ』である。90年代を代表する2本のギャング映画、その両方にニルソンが使用されたのは偶然だろうか。
 最後にはギャングをやめ、仲間たちを売り、FBIの証人保護プログラムの世話になって隠遁するヘンリー。ラストショットで映し出されるのは、ファミリーの手で処刑されたトミーの亡霊がカメラ(つまり観客)に向けて発砲する、というものだ。1903年の古典映画『大列車強盗』のラストの鮮やかな引用。シド・ヴィシャス歌う「My Way」の心地良い疾走感とは裏腹に、ヘンリーはこれから囚人のような人生を送ることになる。まったくなんという選曲だ。

■カルト

 残念ながらこの映画はアカデミー、ゴールデングローブともに、ジョー・ペシの助演男優賞以外の賞を獲得することは無かった。2007年、頼まれ仕事『ディパーテッド』なんぞでオスカーを獲得してしまったマーティン・スコセッシの胸中はさぞ複雑だったはずだ。なぜ『レイジング・ブル』に、なぜ『グッドフェローズ』に与えてくれなかったのか、と。
 とは言え、ニューヨークおよびロサンゼルス映画批評家協会賞では作品賞・監督賞他を受賞。大ヒットすることはなかったものの、後にカルト化し、特に業界では神格化された。上手く練られた脚本、魔法のような撮影、極上の音楽、映画史に刻まれる俳優の起用・・・・どれをとっても若い監督たちにとっての憧れであり、指標である。
 『グッドフェローズ』は、スコセッシのフィルモグラフィ中最も重要な作品の1つであるばかりか、90年代最高の作品の1つである。そして、『ゴッドファーザー』と肩を並べることの出来る唯一のギャング映画である。

 ポスターのデザインははっきり言って平凡だ。しかし、主演の3人、そしてスコセッシの名前が刻まれているという、ただそれだけで充分だ。