HANA-BI
『HANA−BI』(1997年)

1997. French. 46X62inch. Folded.

■たけしの顔を可愛くしていたのは右半分だった

 事故後、映画作家であることに自覚的になり始めた最初の作品『キッズ・リターン』は、瑞々しい存在感を見せる主役2人が久石譲のスピード感あるテーマ曲に駆り立てられて、つんのめるようにして展開する青春残酷物語だった。
 作家であろうとすることから生まれた不器用なあざとさが見え隠れはするものの、それらを払拭して余りある主役2人の魅力と彼らを捉えたうっとりするような美しいショットの数々が、『キッズ・リターン』を「たけしが出てない北野映画」の最高傑作にした。復帰後初の作品にたけしは出なかった。それで良かったのだ。
 思えば、たけしの顔は右半分(向かって左半分)がとても可愛かった。軍人、刑事、やくざ・・・・どんなに不条理で凶暴な男を演じていても、いつもそこには半分だけは確実に可愛い顔があった。澄ましていると少年のような、笑うと幼児のような美しいその半分は、「たけしをたけしたらしめている」重要な要素であった。その右半分をたけしは永久に失ってしまったのだ。

■『ソナチネ』を無視した恨み

 ヴェネチア映画祭でのグランプリ受賞のニュースに、今まで映画監督=北野武を相手にして来なかった日本のマスコミも大衆もその才能と存在価値を認めざるを得なくなった。だが、監督デビュー作から彼の才能を見続けて来た者にとっては、溜飲が下がるどころかどこかウソ臭いお祭り騒ぎに映った。
 恐らく『3−4X10月』も『ソナチネ』も見なかった連中。ファンだけではない。2004年、東京FILMEXでのシンポジウムでオフィス北野の森社長から出た「北野武作品は海外の映画祭とともにあった」などの発言の数々の裏には、『ソナチネ』を、北野の才能を無視した日本映画興行界への恨みがいまだに燻っているのが見てとれた。

■北野武は才能があるのか?

 『HANA−BI』は簡単に言えば、美しい日本の風景をバックに描く、死を決意した夫婦の逃避行を描くロードムービーだ。「ジャパネスク」とも言える映像に内省的なストーリー・・・・ヨーロッパの批評家や観客にウケた理由がよく判るが、小生には恐ろしく居心地の悪い作品だった。
 前作『キッズ・リターン』から気になりだした「演出してる感」がここに来て一気にあふれ出し、見ていて凍りつくことたびたび。省略や長回しも過剰過ぎて面白味を逸している。「可愛い右半分」を失ったたけしは、最早ギャグをやっても寒いし、ヴァイオレントなシーンでの存在感にも奥行きが乏しい。自作の絵画を多用したのも変な助平心としか映らない。久石譲のスコア(『もののけ姫』と区別がつかない)も大仰で鼻につき、白けさせるばかりだ。
 強いて言えば、唯一良かったのは、中古車をパトカーに塗装して銀行に乗り付け、警察官の振りをして堂々と強盗をやってのける場面だった。このシーンには従来の「たけし印」とも言える乾いた笑いがきちんと息づいていた。

 作家としての自覚、いや「勘違い」が生んだ失敗作としか思えないこの作品。ヨーロッパでの評価や日本での評判とは逆行して、小生にとっては北野武の才能を疑問視する決定打となった。初期の作品群が、お笑い芸人でTVタレントが周囲におだてられて撮った映画ではなかったことは事実だ。「映画」という表現に対して無自覚であるが故にもたらされた、従来の映画には無かったリズムとクールネスと笑い。子供が大人へと成長し知識と引き換えにイノセンスを失ってしまったということなのか。あのバイク事故が北野武を大人にしてしまったのか。それには「可愛い右半分の顔」を奪うという儀式が必要だったのか。

 北野武の映画は、もうアウトサイダー・アートではない。画廊お抱えの画家が描いたフツーの絵画だ。

 それでも縁起物としてこのポスターを購入。
 縁起物・・・・ただそれだけだな。もうこの作品を見直すことは無いだろう。