A HISTORY OF VIOLENCE
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005年)

2005. British Quad. 30X40inch. Rolled.

■クローネンバーグVSアメリカ

 ある日突然田舎町のダイナーで起きた強盗事件から、家族思いのナイスガイな店主の血塗られた過去が露呈する。
 「もうひとつの現実」が立ち現れるのにクローネンバーグが今回使った‘小道具’は「暴力」だ。
 手持ちカメラによる躍動感もスローモーションも使わない、ハリウッド式のアクション感に乏しい格闘シーンに、クローネンバーグが得意として来た肉体破壊演出が加わり、暴力描写は独特のリアリティを獲得した。これ見よがしの派手さや大量殺戮というスペクタクルとは無縁の、ある種淡々とした殺人行為からのみ見えて来る主人公の過去。回想シーンや時制の入れ替えなどという愚行を天才クローネンバーグが犯すはずもない。
 そうやって出現した今回の「もうひとつの現実」は今までクローネンバーグが描いて来た世界とはその地平と距離感が大きく違う。あからさまに地続きであまりにも至近距離だ。「理性を抹殺する」必要も無く突然引きずり込まれるアナザー・ワールド・・・・クローネンバーグがかつてこれほどまでに「アメリカ」と、そして「家族」と向き合ったことがあっただろうか。

■王の帰還

 正直こんなにも判り易いクローネンバーグ作品に最初は戸惑った。
 いつものように美しく印象的なオープニング・タイトルではなく、さりげない普通のタイトル出しからも、今回の作品がいかに外に向かって開かれているかが窺える。ファースト・シーンが主人公ではなく後ほど絡むことになる強盗2人組のエピソードである、というのも面白い構成だ。
 美術もクローネンバーグ色は無く、妙に風通しの良い撮影も前作『スパイダー』とは大違いだ。これらがいつものクローネンバーグ組勢揃いの仕事であるところが凄い。
 『ロード・オブ・ザ・リング』のファンへの嫌がらせかと思わせるほどハワード・ショアの音楽も牧歌的なメロディを聞かせるし、ヴィゴ・モーテンセンとマリア・ベロが見せる夫婦の営みなど、卑近過ぎて気持ち悪いくらいだ(ある意味このシーンが一番ヴァイオレント)。
 自分の夫=父がギャングだったという事実を受け入れられない家族それぞれの苦悩も、エキセントリックなワザを使わずにストレートに描いているし、最初のコスプレセックスと対を成すように後半で突発的に始まる「階段プレイ」にしても「変態感」は薄い。
 それでも『ヒストリー・オブ・バイオレンス』は紛れも無いクローネンバーグの映画だ。それは最後になってやっと実感出来る。一仕事終えた主人公が朝になってトボトボと池の畔まで歩いて来るシーンは、『ヴィデオドローム』の主人公が黒幕を殺して港に遺棄された船までやって来るシーンを彷彿とさせる。そして我が家へと帰還した主人公が、娘のそして息子の無言の導きで食卓へと就くラストシーン。その凍りつくようなハッピーエンドは『裸のランチ』や『クラッシュ』のラストと全く同じものだ。もう引き返せない・・・・この家族も、アメリカも。そして妻を見つめる主人公の姿を最後にブラックアウトする画面。またしても見事な幕切れだった。

■『アルタード・ステーツ』と『アビス』

 キャスティングの天才クローネンバーグはまたしても脇役にセンスを見せる。それはウィリアム・ハートとエド・ハリスだ。
 『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』という80年代随一の怪作SFに主演したW・ハートと、80年代最後の傑作SF『アビス』に主演したE・ハリス。片目を白濁させたハリスはショットガンで撃たれて内臓をぶちまけ、ハートは頭を撃ち抜かれてタールのような血液をドロリと流す。
 かつて『プリズナーNO.6』のパトリック・マッグーハンを、『エイリアン』からトム・スケリットとイアン・ホルムを、『ジョーズ』からロイ・シャイダーをサルベージした才能は、今回も小生のツボを突きまくった。

 「ナチュラル・ボーン・般若(はんにゃ)」=ヴィゴ・モーテンセンの顔のクローズアップが怖いUK版ポスター。笑っているのに怖い。この表情の読めなさ加減がこの作品の主人公の肝である。サングラスのエド・ハリスもクール。
 それにしても今回のパブリシティ、クローネンバーグの名前を前面に出していないものが多いが、それでいてアメリカでは『ザ・フライ』以来の大ヒットというのが何とも寂しい。