JAWS
『ジョーズ』(1975年)

1975. US Heavy Stock Paper. 40X60inch. Rolled.


■初めて映画館というところに行った

 1975年という年は洋画の興行収入が邦画のそれを初めて抜いた年であったらしい。今では信じ難いが、1974年までは(低迷を続けながらも)邦画の方がメジャーであったのだ。洋低邦高→洋高邦低への逆転劇にどの程度の功績があったのかは判らないが、いずれにせよ1975年の12月に公開された『ジョーズ』はそれまでの興行収入記録を塗り変える空前のヒットだった。

 当時10歳だった小生は、巨大なサメが人間を喰う「怪物映画」という側面に心惹かれ、初めて映画館というところへ行く気になったんだと思う。一旦興味を持つといろいろと気になる。雑誌やら劇画化本(非常に出来の悪いものだった)で予習し放題予習して準備万端整えて(?)から、父親に連れられて隣町である栃木県足利市の満員の映画館でこの作品を見た。
 田舎の映画館とは言えそのスクリーンは子供の眼にとてつもなく大きく映った。今まで体験したことの無い恐怖と戦慄に震え上がり、ストーリーをほぼ完全に知っていたにも関わらずおしっこをチビりそうになったり、途中で帰りたくなったりしていた。
 そんな怖ろしい思いをした2時間4分の後、映画館を出た小学4年生の子供はこの映画にとりつかれていた。マンガ本やアニメや特撮TVとは比べ物にならない興奮を与えてくれた「映画」というものにイチコロであったのだ。

■革命的な作品

 そうやって踏み入れた映画の世界。中学生、高校生と成長するに従ってスタンリー・キューブリック、リドリー・スコット、ジャン・リュック・ゴダールなど人生を左右するほどの感銘を受ける作品と出会うことになり、「どんなにバカな大人でも知っているほど有名」な『ジョーズ』をフェイヴァリット・フィルムとして上げることに恥ずかしさを覚える時期もあった。
 だが一通りの映画体験を済ませた20代中ごろになり、かつて自分に映画の楽しみを植え付けた『ジョーズ』を「初めての映画体験」という枠を取っ払った上で再評価してみたいという欲求が芽生えることになる。

 そしてVHSやレーザーディスクで繰り返し見るうちに浮かび上がったのは、ブームという手垢にまみれた時代遅れの大衆映画ではなかった。優れた俳優たちの競演、過去の作品への造詣の深さに28歳という若いエネルギーを併せ持った監督、新しい撮影技術とSFX、そして革新的な音楽・・・・『ジョーズ』はあのスタッフとキャストのみが成し得た革命的作品であり、その後のアメリカ映画における1つの道を切り開いたパイオニアであり、映画という芸術のランドマークとして屹立するモニュメントである。言い過ぎか?

■ヴェトナムから遠くはなれて

 単なるショッキングな描写の羅列であれば『ジョーズ』はとっくに風化していた。
 舞台となる「アミティ島」の風景や人々の生活の描写から始まって、ニューヨーク市から異動して来た警察署長が島での最初の夏を迎えててんてこ舞いしながらサメ騒動の中で孤立していく様子を軸に、ニューヨークでの生活が忘れられない彼の妻、彼の要請でやって来たヒッピーのような海洋学者、彼が雇うことになる変わり者のサメ漁師、島の利益を最優先させる悪者としての市長などなど、登場人物1人1人を丁寧に特徴豊かに映し出すことで、恐怖の背景となる日常をリアルに構築していく巧みさ。
 70年代アメリカの匂いを振り撒きながらも、隔絶された島が舞台であるせいか、テクニカラーの色合いのせいなのか、どこか古風なムードが漂うのも面白い。
 ヴェトナム戦争の倦怠感などとは無縁に思える平和な町。そう、ニューシネマ以降のアメリカ映画が大なり小なり描いて来たアメリカの抱える病巣を切って捨てたところに『ジョーズ』の特異性がある。ブロディ署長がヴェトナム帰還兵として描かれることも、大金持ちの海洋学者フーパーが懲兵忌避者として描かれることもなかったのだ。
 かつてテレビ初放映の際、解説者の水野晴郎センセは「ここに登場する巨大なサメはアメリカの抱える不安の象徴」というようなことを言った。評論家がどう捉えようがスピルバーグはそのように陳腐な社会性や政治性を持ち込む気はさらさらなかっただろう。そのような事柄と無縁な地平で展開しているからこそ『ジョーズ』には普遍的な力強さがあるのだ。

■ヒッチコックイズム

 そして恐怖映画『ジョーズ』には実に数多くの「笑い」が存在する。恐怖の前後に笑いを置くことで生まれる絶妙なリズム。恐怖が笑いを生み、笑いが恐怖へと変わる。
 恐怖と背中合わせの笑い・・・・サスペンスの盛り上げが『鳥』を想起させたり、砂浜で監視しているブロディ(ロイ・シャイダー)へのズーミングが『めまい』へのオマージュであることを挙げるまでもなく、同時期のブライアン・デ・パルマ同様、『ジョーズ』はスピルバーグの「ヒッチコック・イズム」で彩られている。

■ジョン・ミリアスが書いたシーン

 『ジョーズ』には洒落た会話がいくつかある。
 
海洋調査船オーロラ号をフーパー個人の所有物と知りブロディは尋ねる。
 「どのくらい金持ちなんだ?」
 「僕個人で?それともファミリーで?」
 「もういいよ・・・」

 サメ退治に出発するブロディを見送る不安を隠せない夫人。
 「子供たちには何と言えばいいの?」
 「釣りに行ったと言え」

 クライマックス近く、夕食後にクイントが「軍艦インディアナポリス」での恐怖体験(実際にあった事件)を語り出すシーンはなんとジョン・ミリアスが書いたものだという。それをクイント役のロバート・ショウが脚色してああなったんだそうだ。3人の友情が深まる素晴らしい場面だった。ついでに言えばあのシーンの前後には夜空をかける流れ星や、樽につけられた発信器が発する光が海面に反射する様子が、なんと「アニメーション」で描き込まれている。非常に美しくそこだけファンタスティックな印象さえあるのだが、何故そんなところにこだわったのだろうか。

■アンチ『白鯨』

 最初の脚本には、クイントが町の映画館で『白鯨』(グレゴリー・ペック主演の1956年度作品)を見ながら笑い飛ばすシーンが用意されていたという。原作でのクイントの最期は『白鯨』のエイハブ船長の最期に似ていたりもする。映画『ジョーズ』は「アンチ『白鯨』作品」と言うことが出来るだろう。『白鯨』・・・・『ジョーズ』を見た後では小生はもう見る気にならない。巨大鯨モビーディックとエイハブ船長の対決のほとんどがミニチュアも多用した室内セットでの撮影だったからだ。

 『ジョーズ』は前半のサスペンス&パニックに対して、3人の男たちがサメ狩りに出る後半では怪獣スペクタクル&冒険活劇へと様相を変える。もし『白鯨』のようにセット撮影で済ませていたら、『ジョーズ』に今の地位は無かったと断言出来る。天候の変わり易い沖合いの海上で、フルスケールの機械仕掛けのサメを相手に格闘する場面を撮影するという過酷で困難な「ロケ」は、まさに挑戦であったに違いない。だが、あくまでもそれを断行した結果生まれた臨場感とダイナミズムは、30年経った今でも全く遜色無いどころか、CGでお手軽に画を作れるようになった現在において「本物の持つ贅沢さ」を見せ付ける至宝になったのだ。

 数年前、ジョージ・ルーカスが『スターウォーズ』旧3部作をデジタル修復していた頃、スピルバーグもやはり『ジョーズ』を、しかもサメをCGで描き直すプランがあるという噂が立ったことがある。怖ろしい噂だった。そんなこと絶対にやってはならないことだ。『2001年宇宙の旅』のディスカバリー号をCGに置き換えたものを誰が見たがるだろうか。同じことだ。

■主演俳優は3人

 『ジョーズ』を味わい深いものにしているのは、やはり3人の俳優たちである。

 『フレンチコネクション』でポパイ刑事のパートナーを演じていたロイ・シャイダー。ハンサムでもなくヒーロー然ともしていない彼が演じるマーティン・ブロディは、この作品における「日常性」の体現者だ。後半、海の上でこの「おまわりさん」は2人のサメのプロに挟まれて役立たずと化す。そんな彼が最後に笑うところにカタルシスの大きな要因がある。
 『アメリカン・グラフィティ』の主演だったリチャード・ドレイファスが演じるマット・フーパーという人物は、政治にも社会にも関心が無くひたすらサメの研究に没頭する金持ちのぼんぼんで、世間知らずのまるで子供のようなキャラクターだ。後に「スピルバーグの分身」とまで言われるほどスピルバーグの(80年代までの)フィルモグラフィに大きな位置を占めることになる。
 そしてロバート・ショウ。ボンド映画の悪役などで注目された彼は、『スティング』『サブウェイパニック』に続いてこの話題作に起用された(当初キャスティングされていたのはリー・マーヴィンやスターリング・ヘイドンだったという)。小説家・脚本家としての側面も持つ彼のおかげで、『ジョーズ』の脚本は現場で大分助かったらしい。若造のスピルバーグよりも発言力を持っていたはずである。
 このトリオの紡ぎ出す絶妙なアンサンブル、男臭さみなぎるロマンの香りが、後半で展開する「命がけの魚釣り」に血と肉を与えているのだ。

 ちなみにロバート・ショウは1978年、アイルランド(出身はイギリスだが彼はアイリッシュ)で心臓発作のため他界している。9人も子供がいたそうだ。小生は『ジョーズ』を見て彼が大好きになり、その後の『ザ・ディープ』も『ナバロンの嵐』も見に行った。1977年、『ブラックサンデー』が上映中止となり悔しい思いをしたが後年ビデオで鑑賞。思っていたとおり、ロバート・ショウの男臭い魅力が炸裂する作品であった。もし劇場で見ていればあの年のベストにしていただろう。
 ちなみに初放映時にクイントの吹き替えを担当したのは俳優の北村和夫だった。声質もさることながらアドリブもまじえた巧みなセリフ回しで見事ロバート・ショウになりきっていた。是非もう1度見たいものだ。

■文字こそ命

 『ジョーズ』のポスターと言えば誰もが知っているこのデザインである。この絵柄自体がもう70年代のイコンの1つだった。このイラストを描いたのはペーパーバックの表紙や、後に『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』のポスターなども手掛けるRoger Kastel。あまりにも有名なデザインゆえに、実は長い間全く買う気が無かった。「今さら何も・・・・」という気持ちだった。
 しかし、『ジョーズ』30周年を迎えた2005年、祝いの意味も込めてこのポスターを購入した。ありふれた大きさのUS1シートじゃつまらない。そこへ運良くebayに現れた40X60インチ(約1X1.5m)の大判厚紙ポスターを落札。コンディションは使用された形跡がバンバンではっきり言ってよろしくないが、それでもこの大きさは激レアである。恐らく折り目の無い『ジョーズ』のポスターでは最大であろう。部屋に広げるとかなりの迫力だ。印刷も良い。

 このポスターで本当に見なければならないのは下部クレジットに並ぶ3人の俳優たちの名前である。この部分に折り目やキズが無い分まだいい。ロバート・ショウの名前が一段高いのはロイ・シャイダー、リチャード・ドレイファスのネーム・ヴァリューとのバランスを考慮してのことだろう(『タワーリング・インフェルノ』におけるスティーヴ・マックイーンとポール・ニューマンのクレジット問題と同じ)。実際本編ではこの形のまま3人いっぺんにクレジットが映し出されるので、つまりこの作品には「主演が3人いる」ことになる。
 さらにあらためて見ると、「JAWS」というロゴのバランスが素晴らしい。4つの文字が隣同士くっ付きそうなくらいに並んでいる。「J」の湾曲したボトムが極わずか下がっているのもポイント。非常に力強いタイトル文字である。

 30年前アメリカの映画館に飾られていたポスターが今我が家に・・・・これぞポスター収集の醍醐味。