1972. Japanese. B2 (51 x 73 cm). Rolled.

撮影当時ジャン=ルイ・トランティニャンは40歳。もはや「孤独な青年」などとは言えぬ年齢だ。
クロード・ルルーシュ監督『男と女』やコスタ=ガヴラス監督『Z』などで既に国際的なスターだった。
それにしても『暗殺の森』とは、なんと素晴らしい邦題なのだろう。
1967年に製作されたドキュメンタリー『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』
のもじりではないか、などと考えるのはくだらないことだと断言しておく。
たとえそれが事実だとしても。

■ベルト「リ」ッチ問題

 1972年9月に『暗殺の森』は日本で初公開された。ベルトルッチ作品が日本で正式に上映されたのは、これが最初であった。ゆえに配給側「CIC」にも混乱があったものと思われる。名前の表記に間違いがあるのだ。
 ジャン・ルイ・トランチニャンやピエール・クレマンチーなど、「ティ」を「チ」と表記したのは許容範囲内だが、ベルナルド・ベルト「リ」ッチ、ビットリオ・ストラー「ド」はいかがなものか。当時のパンフレットを開くと、プロフィール紹介や執筆者不明の寄稿では一部「ベルトルッチ」と正しく書かれているものの、解説ページなど大部分で「ベルトリッチ」と表記されている無統一感に呆れてしまう。
 後年『ラストエンペラー』がヒットしてもなお現在に至るまで、日本で「ベルトリッチ」と発音・表記する人が後を絶たないのは、金持ちを表す「リッチ」やダチョウの皮製品「オーストリッチ」など「○○リッチ」という言葉が日本人の脳に浸透しているせいだとの推測が可能だが、映画ファンが間違えた場合は、そこにロバート・アルドリッチの存在が見える気もする。もちろん『暗殺の森』初公開時に「ベルトリッチ」と紹介されてしまったミスも小さくないはずではあるが。
 名前表記のミス以外にも、パンフには、「異様なムードのきびしいドラマ」という理解不能な評価もあり、ベルトルッチ以前に作家モラヴィアへの無理解と戸惑いさえ窺える。ちなみに、この映画に込められたゴダールへの記号を指摘する説明は、この初公開版パンフには一切無い。ベルトルッチが研究に足る作家として認知される前夜のことである。

 ちなみに僕がこの映画を初めて見たのは、1987年秋、新宿東映パラスでだったと記憶している。その年の夏に六本木シネ・ヴィヴァンでリヴァイヴァル上映された後、リリアナ・カヴァーニの『愛の嵐』(もちろん修正されまくりのプリント)と併映されると聞いて、年明けに公開となる『ラストエンペラー』の予習とばかりに東映パラスに駆けつけた。初見時の印象は「撮影がかっこいい」と「音楽がいい」程度だったと思う。

 「輝かしい栄光が青年を裏切る」・・・・原作のタイトルが「孤独な青年」であるから仕方ないが(原作のマルチェッロは30歳)、ジャン=ルイ・トランティニャンはこの時もう既に40歳の立派なおっさんである。87年公開版のポスターからは「青年」という言葉は消え、代わりに「男」という表現になっている。

『暗殺のオペラ』で「光の帝国」を参考にしたストラーロの頭には今回もルネ・マグリットがあった。
「記憶」(左)と「白紙委任状」(右)を脳内合成すれば、教授夫人殺害シーンになる。





1998. Japanese Re-release. B2 (51 x 73 cm). Rolled.

完全復元版は1998年にユーロスペースで公開された。
トランティニャン要素をバッサリと切り捨て、サンダとサンドレッリのダンス・ショットで押し切った大胆さ。
窓枠の上部に描かれた壁絵まであえて入れて見せたことは素晴らしい。
他国版に引けを取らない見事なデザインである。