1971. US 1 sheet Style A and B. 69 x 104 cm.


「ニューヨーク・タイムズ」他、主に東海岸のメディアによるレヴューをこれでもかと並べたアメリカ版ポスター2種。
この手のレイアウトはアート系作品のポスターにありがちだが、2色刷りなのがまず残念だ。
サンドレッリとサンダのダンス・シーンをメインにしたヴィジュアルは結構だが、トランティニャンの扱いが実に気の毒である。
ヴェンティミリアの支部で拳銃を構えてみせる彼の姿はいかにも勇ましく映るものの、ポスター上ではこの描かれぶり。
しかもトランティニャンを抜き出して立たせたこの場所は何なのだろう?
壁から血が滴っているような演出も謎だ。あまりセンスの感じられないデザインである。

アメリカでの配給はパラマウントで、当時パラマウントのプロデューサーだったロバート・エヴァンズの自伝ドキュメンタリー
『くたばれ!ハリウッド』(2002年)ではエヴァンスの功績として『暗殺の森』のポスターも紹介されていた。
ちなみに『暗殺の森』と同年にマーズ・フィルム=パラマウントが製作した作品には『ボルサリーノ』などがある。




■オマージュ

『暗殺の森』の映像から強く影響を受けた作品がいくつかある。

 フランシス・フォード・コッポラはこの作品に心酔し、自宅の映写室でいつでも見れるよう、まるまる1本分のプリントを所有した。その成果は『ゴッドファーザー PARTU』(1974年)に表われている。マンガニェロを演じたガストーネ・モスキンを招聘し、若きヴィト・コルレオーネ(ロバート・デ・ニーロ)に暗殺されるリトル・イタリーの顔役=ファヌッチ役にキャスティングしたのだ。さらに終盤、マイケルが兄のフレドを粛清する場面では、邸宅の庭の枯葉が舞う様子をカメラが地面を這うように捉えたショットを挿入してみせた。

 ポール・シュレイダーは『アメリカン・ジゴロ』(1980年)の撮影に入る前、撮影監督のジョン・ベイリーとともに『暗殺の森』を繰り返し見て、ブラインドから光線が射す中マルチェッロとジュリアが抱き合うシーンの照明技術を自分たちの作品に取り入れた。リチャード・ギアとローレン・ハットンのラヴ・シーンを含む室内シークエンスで射し込む縞模様の光線は、まさしくベルトルッチ+ストラーロへのオマージュだ。
 さらにシュレイダーとベイリーは『MISHIMA: A Life In Four Chapters』(1985年)でも沢田研二と烏丸せつこのラヴ・シーンに同じ手法を使ったほか、「金閣寺」のパートでは風に吹かれて落ち葉が舞うショットを採用。しかし何よりも『暗殺の森』からの影響はその構成にある。『MISHIMA』という作品は、三島由紀夫(緒形拳)が「盾の会」メンバーと共に自宅を出発する朝で幕を開け、市ヶ谷駐屯地へとひた走る車中を軸に、少年時代から現在に至る半生が次々とフラッシュバックし、三島が書いた3つの小説のエッセンスと絡み合いながら展開、そして演説・籠城・割腹という行動で幕を閉じるという、『暗殺の森』に酷似した構成を持つ精神分析的映画なのである。

 1982年にはリドリー・スコットが『ブレードランナー』で、やはりブラインドから射す光線を官能的に使ったラヴ・シーンを撮り、『暗殺の森』へのリスペクトを明言している。

 日本では森田芳光監督作『ときめきに死す』(1984年)と黒沢清監督作『蜘蛛の瞳』(1998年)、それぞれ森の中の場面が『暗殺の森』の暗殺シーンを想起させる。

 他にもまだまだあるはずだ。





2014. Re-release. US 1 sheet. 69 x 98 cm.


初公開版ポスターに比して、トランティニャンを思い切ってシルエットだけにしたこちらのデザインははるかにイイ。
このリヴァイヴァル版ポスターで特筆すべきは、上部にフィーチャーされた「ビル・アケム橋」である。
映画の冒頭でマルチェッロとマンガニェロの乗った自動車が橋の上を行く電車と並走するショットは、
ほんの1秒ほどしか映らないにも関わらず、鮮烈な印象を残す。
パリで有名な観光地の1つであり、数々の映画の撮影に使われたビル・アケム橋ではあるが、
ベルトルッチ作品のファンならずとも記憶に刻まれているのは、『ラストタンゴ・イン・パリ』のファースト・シーンだろう。