DERNIER CAPRICE
(AUTUMN FOR THE KOHAYAGAWA FAMILY)
『小早川家の秋』(1961年)

2003(?). French. 47X63inch. Folded.

■エキゾティカと死

 何ともセンスの良いポスターだ。フランス語のタイトル「DERNIER CAPRICE」は、「最後の気まぐれ」といった意味。
 小早川家の道楽者のあるじを演じる中村鴈治郎をドーンと大きく据え、周囲には彼に翻弄される家族たちを並べている。ネオンの美しい夜景をバックにしたつもりだろうが、圧倒的に広い面積を占める暗闇が、シックを通り越して何やら不穏な印象さえ与える。鴈治郎の嬉しげな笑みの背後に広がる漆黒の空間。この対比が素晴らしい。いや、この作品の最後で突如漂い始める「死の空気」と「無常感」を知る者にとって、このデザインは妙に納得させるものがあるのだ。

 松竹の小津安二郎が東宝に出向いて監督した『小早川家の秋』は、彼のフィルモグラフィにあっていささか珍品の印象を受ける。森繁久弥・小林圭樹・新珠三千代・団令子などのいかにも東宝然とした顔ぶれの濃さが、まず小津の映画を見ているのだという感覚を狂わせ、かと言って小津作品常連の原節子・司葉子が従来通りの存在感を見せるので正気に戻りもする。はたまた老舗の造り酒屋である小早川家の主人=鴈治郎のスチャラカぶりが大映とも東宝ともつかぬ匂いを放ち、自宅と愛人のいる別宅を行き来する老人の下世話なコメディにも関わらず、黛敏郎による格調高いバロック風スコアが映画に妙な気品を与えるのも不思議なバランスだ。

 京都に舞台を移す場面では、夏の暑さと竹を多用したインテリアとで醸し出される小津らしからぬエキゾティズムが全開だ。ポックリ死んだ主人の葬式でこの映画は終局を迎えるが、最後、取って付けたように登場する笠智衆やカラスが過剰に不吉な雰囲気を充満させて混乱させる。テンポの良い喜劇を見せておきながら最後の最後、人の生き死にを達観したような視点で締めくくって見る者を突き放すのだ。

 夏の大阪・京都のエキゾティックな風情と、カオス状況を呈する人間ドラマ。フランスの映画監督ジャック・タチに小津安二郎が最も近づいた気がする『小早川家の秋』は、異色であるが故に小生のフェイヴァリットである。