ULTIMO TANGO A PARIGI (LAST TANGO IN PARIS)
『ラストタンゴ・イン・パリ』(1973年)


1972. Italian. 39X55inch. Folded.


1980. Italian. 39X55 inch. Folded.

Armando Testaによるイラストを採用した80年再公開版ポスター。
各国版にあるあの華やかなタイトルとは異なる硬いロゴを使用している。
恍惚としたブランドの横顔を捉えた官能的なイラストとクールなロゴの対比が素晴らしい。

■フランシス・ベーコンの絵が全て

 ジャズ・ミュージシャン、ガトー・バルビエリによるアンニュイな音楽に導かれて現れたフランシス・ベーコンの絵画。突き上げるようなウッド・ベース、サックスの退廃的なメロディ、野性的なパーカッションの響き。ベーコン描く「男」と「女」2枚の絵画を並べた後で映画は本編に突入するが、実はこの時点で全てを語ってしまっている。これから起こることを。

 公開当時のセンセーショナルな扱いは凄かったようである。何しろ「ゴッドファーザーがポルノに出演!?」である。お互いの名前も知らぬ中年男と若い娘が、様々なセックスに耽る姿を赤裸々に描く、である。
 確かにセクシュアルなメロドラマだ。パリで安宿を経営するアメリカ人の中年男が客と浮気していた妻に自殺され、ショックで街中を彷徨っているところを若い娘と本能的に結ばれ、お互いを秘密にして匿名のまま肉体関係を続けるが、娘には結婚の予定があったため清算を切り出すと中年男はただの野獣に成り下がり、最後は娘の住居に押し入ったところを父親の拳銃で娘に射殺されるという、まあそれだけの話である。
 しかし、ベルトルッチはたったそれだけの話をこれ以上は無いというくらいの濃密な空気で満たしたのだ。

■官能の帝国

 マーロン・ブランドの怪物的存在感とマリア・シュナイダーの馬鹿みたいな子供っぷりを、オレンジを基調とした色彩設計でヴィットリオ・ストラーロカメラが切り取り、ガトー・バルビエリの気だるく退廃臭を放つ音楽が包み込んだ。
 彼らがダラダラと重ねる情事の舞台となるアパートは、大島渚の『愛のコリーダ』の海外版タイトルを強く想起させる。「官能の帝国」だ。
 皮膚が擦れ合う匂いすら漂って来そうな距離感と温度、窓から差し込む暖かい日差し、互いの名前や境遇や過去を一切知らぬままその時々の純粋な肉欲に従って営まれるセックス。
 言葉さえ必要ない。ここは未開のジャングルだ。外は真冬のパリ。
 寒々しいホテル、妻が自殺した血まみれのバスタブ、自分と同じ寝巻きを着る妻の愛人、暗い部屋で花に埋もれた妻の遺体・・・・ブランド演じるポールを取り巻くパリは凍てついた世界であり、悪夢の迷宮であり、異邦人である彼の孤独感・疎外感が画面の隅々まで支配する。
 M・シュナイダーの婚約者である若い映画監督にジャン=ピエール・レオーをキャスティングすることで、『暗殺の森』(ゴダール暗殺映画)に続くヌーヴェル・ヴァーグへの意地悪はトリュフォーにまで及ぶことになった。




1972. US 1 Sheet. 27X41inch. Rolled.

物思いに耽るマーロン・ブランドを横から捉えた
美しい写真による初公開版ポスター。
イギリス版もこれを採用した他、
サントラ盤ジャケットにもカラー写真で使われた。
「Marlon Brando」→「Last Tango in Paris」という文字と
ブランドの横顔のバランスが見事。



1982. US 1 Sheet.27X41inch. Rolled.

この作品のパブリック・イメージはこちらである。
いわゆるインターナショナル・デザインで、フランス、ドイツ、
そして日本もこれを採用している。
アメリカはリヴァイヴァル時にこのデザインを採用した。


■おれ、マーロン・ブランド

 1960年代のマーロン・ブランドは俳優生命が危ぶまれるほどの失敗作続きだった(『キャンディ』などという珍品もあった)。おかげで1971年の『ゴッドファーザー』にキャスティングされる際も、パラマウントは「ブランドが出るとその映画はコケる」というジンクスや、「あいつは気難しい」という理由などを盾になかなかGOサインを出さなかったという。
 しかし映画は大ヒット。マーロン・ブランドは完全復活したどころか、映画史に燦然と輝く名作中の名作にその姿を刻んだのだ。この時マーロン・ブランドは47歳。ディック・スミスによる天才的な特殊メイクの力を借り、完璧な演技アプローチですっかり老成したドン・コルレオーネを作り上げたマーロン・ブランドは、なんとこの時まだ47歳だったのである!

 だから『ゴッドファーザー』の直後に出演した『ラストタンゴ・イン・パリ』で見せる、中年とは言えまだまだ若々しい姿が本来のブランドなのだ。
 彫刻のように美しい顔とたくましい体躯にアンバランスな「爬虫類声」。まるで若い頃の三国連太郎の声をジョン・レノンが吹き替えてるような異様さだ。ブランドのかもし出すエキセントリックな威圧感は、あの爬虫類声によるところが大きいだろう。その後出演する『地獄の黙示録』で見せるカリスマ性など、ほとんどあの声によるあの語りが形作ったものだった。
 そんなマーロン・ブランドの内省的な野性味は、『ブレードランナー』でのルトガー・ハウアーに受け継がれることになる。

 『ラストエンペラー』のヒットに乗じてリヴァイヴァル公開された1988年に、小生は初めてこの作品を見ている。初公開時と全く同じ修正仕様のプリントであり、「ボカシ」「トリミング」はもちろん「合成処理」まで行なって必死に局部を隠し通したおかげで、コメディに成り果てたようなシロモノに困惑した記憶がある。
 だからこの作品へのきちんとした評価はロンドンの名画座で見た無修正版、その後にリリースされるボカシ処理のみに留めたビデオ版によってである。今となってはあの初公開版をもう1度見てみたい気もするが。



1972. Mexican Lobby Card.

70年代の日本の映画ポスターにも通ずるコラージュ魂が炸裂したメキシコ版ロビー・カード。