PAPRIKA
『パプリカ』(2006年)

2007. US 1 sheet. 27X40inch.
Double-sided. Rolled.



2007. French. 40X53cm. Folded.

■彼女は脳の海にダイヴする

 『パーフェクトブルー』『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』と一作毎にクオリティが確実に上がって行くことに驚嘆させられっ放しだった監督、今 敏。アニメならではのアプローチで「現実と非現実」を描き続けた彼が、筒井康隆の小説「パプリカ」を映画化すると聞いてすかさず思い出したのは、クローネンバーグがバロウズの「裸のランチ」を映画化したことだった。映像化不可能と言われた小説の、才能溢れる監督による幸福なアダプテーション。「パプリカ」をやれるのは今 敏しかいなかった。

 素晴らしい作品に仕上がる確信はあったが、まさかこれほどの完成度とは思っていなかった。あふれ出るイメージ群の狂気・乱舞は原作者のイマジネーション(何せあの筒井康隆なのである)と互角に戦えているし、今 敏自身「アニメっぽくした」と言っているように、リアリティに縛られない自由な表現やアニメの特権である可愛さに溢れている。

 主人公千葉敦子の美しさ(ヌードもあり)はハリウッド女優なんか目ではなく、もう1人の主人公パプリカのキューティーっぷりは完全にオヤジ(オイラのことね)のハートをワシ掴み。そう言えば、中年男の若い娘へのムフフな視線というのも原作の重要な要素であった。林原めぐみの吹き替えもナイスキャスティングな千葉敦子のクールビューティーっぷりは、『攻殻機動隊』の草薙素子以来だ。

 デジタルアニメがスタンダードとなった現在、3-Dではなくあえてセル画時代の絵柄&動きに統一されたルックは、かつてアニメだけが持ち得た躍動感や解放感へと回帰する。「視ること」の快感と悦楽を再認識させられ、長らく忘れていた興奮を随所で呼び覚まされた。特に、メインタイトルおよび中盤で見ることの出来る、物理や常識を断ち切ったパプリカの魔法のような移動&飛行シーンには、カタルシスとともに懐かしささえ覚えてしまった。動画とは本来こうあるべきなのだ。

 百貫デブの天才科学者=時田に寄せる敦子の恋心で恋愛における不条理なロマンティシズムを、足の不自由な研究所理事長と若い研究員男性との肉体関係(ホモ)で「若さ」「健康」「力」「美」への執着や欲望を、そして学生時代に憧れた映画監督への道を断念した刑事の抱えるトラウマで人生における選択肢が強いる後悔と葛藤と再生を描き、さらには人間存在の奇跡と神秘までをも射程に入れてみせるこの作品は、今 敏監督が今までの3作品で展開して来た哲学の集大成である。

 ちなみに刑事が学生時代に制作した8mm映画の元ネタは、恐らく石井聰亙監督作品『シャッフル』である。原作は大友克洋のコミック。彼なりのリスペクトだが、なかなか上手く機能していた。

 ラスト、あまりにも鮮やかな幕切れの直後に流れ出す平沢進の曲「百虎野の娘」。不思議で懐かしいメロディを持つ平沢の歌声が力強く鳴り響く中、小生は落涙をこらえるのに必死だった。長いことファンだったP−MODELの平沢進と現在世界最高のアニメ監督とのコラボレーションがもたらすパースペクティヴにこみ上げる感激が止まらなかった。優れた声優たち(俳優ではない)の才能とともに、『パプリカ』を強力にバックアップしたのは「音」であったことをエンドロールの間中痛感させられた。

 日本のアニメーションを真の意味で背負って立つのは、コミックアーティストとしての才能を忘れつつある大友克洋でも、画よりも語りにウェイトを置く押井守でも、いまだ立地点の定まらない庵野秀明でもなく、ましてやブランド化し腐った宮崎駿などであろうはずがない。
 それは今 敏だろう。そう言いたくなるほどの仕事を、彼は『パプリカ』でやってのけたのだ。

 (以上2006年12月8日の日記を改稿)