Paris Match 25 Mar. 1961. 27 x 35 cm.

フランスの写真週刊誌「パリ・マッチ」1961年3月25日号。
表紙の見出しは「ヌーヴェル・ヴァーグの花嫁」。

山田宏一著「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」によると、
「アン・カリン」という名前でモデル活動をしていたデンマーク娘は
ココ・シャネルの命名により「アンナ・カリーナ」と名乗ることになる。
『勝手にしやがれ』の端役をカリーナに断られた後、ゴダールは長編第2作『小さな兵隊』で彼女を起用。
このパリ・マッチの記事はその後に書かれたものである。
仲睦まじく寄り添う2人には「このサングラスのストレンジャーは映画で世界を征服する」
というキャプションが付けられ、ゴダールがいかに時代の寵児だったかを物語っている。

アンナ・カリーナは1967年に離婚するまで8作品でゴダールと映画をともにした。
『気狂いピエロ』はカリーナの美と神秘を絶望の眼差しで焼き付けた黄昏のフィルムである。