POINT BREAK
『ハートブルー』(1991年)

1991. British Quad. 30X40inch. Rolled.

■男はバカである

 連続銀行強盗団の正体はサーファーに違いないとにらんだFBIは、新入り捜査官ジョニー・ユタを新米サーファーに仕立て潜入捜査を開始する。やがてユタはカリスマ的な男ボーディと出会い、自由に生きるスリル・ジャンキーである彼と友情を深めて行くが、強盗団のリーダーがボーディだと判明した時、ユタがとった行動とは!?

 まったくもって驚嘆すべきバカな話である。「ミイラとりがミイラになる」という潜入捜査物の王道には違いないものの、なにせカリフォルニアの青い空の下でサーフィンである。サマースポーツとクライムアクションのあまりにも強引な融合。荒唐無稽も甚だしい。
 当然画的にもバカっぽくなる。歴代大統領のマスクを被った強盗団。仕事机の上でサーフィン・スタイルを真似てはしゃぐユタたち。おまけに、ユタを演じるのが大ブレイク前のキアヌ・リーヴス、ボーディには『ゴースト』でブレイク直後のパトリック・スウェイジ、ユタの上司に『ビッグウェンズデー』のゲイリー・ビジー(実にわかり易いリスペクトだ)という、いかにも頭の悪そうな顔ぶれだ。

 しかし小生はこのバカ映画を愛してやまない。バカゆえに熱く、バカゆえに気高く、バカゆえに美しい。パトリック・スウェイジのワイルドな佇まいは惚れ惚れするほどキマってるし、初々しいキアヌと脳天気なゲイリー・ビジーのバディっぷりも実に微笑ましい。そもそもメイン・タイトルの流麗なサーフィン映像にマーク・アイシャムによる哀愁あふれるスコアがからむオープニングからガッチリ掴まれた時点でもうイチコロだった。

 しかし、あれだけ「そんな馬鹿な」というプロットを持ちながら、シークェンスとシークェンス、アクションとアクションの連ね方には意外なほど破綻が無い。これでもかと詰め込まれた見せ場も巧妙などんでん返しも無理なく機能している。サーフィン、銃撃戦、乱闘、カーチェイス、スカイダイビング・・・・どの見せ場もアクション映画、スポーツ映画として一流だ。
 師と弟子、追う者と追われる者、男たちの熱い魂の絆をこれほどまでにスケール感豊かに描く・・・・こんな映画を作ったのは、なんと、女性監督である。

■キャスリン・ビグローという女

 キャスリン・ビグローは元々画家であり、英国の前衛芸術家グループのメンバーであり、その美貌と長身を活かしてモデルの経験も持つという才女だ。

 コロンビア大学で映画を学んだ彼女の出世作は異色ホラー『ニア・ダーク』だった。グランジ・ファッションで人目を避けて生きる吸血鬼たちが、日光を浴びて燃え上がる映像はかなり斬新で、哀愁を帯びた彼らの姿とともに独特の美学に貫かれた作品だった。続く『ブルー・スチール』では女警察官を主人公に硬質なアクションスタイルを打ち出し、その翌年40歳という遅咲きながら『ハートブル−』を物にする。

 この時期のビグローのパートナーはジェームズ・キャメロンだった。キャメロンは『ハートブルー』のプロデューサーの1人であり、『ニア・ダーク』にはランス・ヘンリクセン、ビル・パクストン、ジャネット・ゴールドスタイン(『エイリアン2』のヴァスケス)といったキャメロン組の俳優が出演し、『ブルー・スチール』の音楽を担当したのは『ターミネーター』のブラッド・フィーデルである。さらには、離婚したにも関わらずビグローの次回作『ストレンジ・デイズ』でも製作・脚本を担当している。2人の関係があと5年保っていたら、ハリウッドのアクション映画地図が書き換えられていたかも知れない。

 ビグローの作品を見るたびに、映画化された『マークスの山』などで有名な小説家の高村薫を思い出す。この骨太な物語は本当に女性が作ったものなのか。あれほど凄絶なガンアクションをなぜ女性が演出可能なのか。男同士の友情を、男の哀愁をどうして女性があそこまで理解出来るのか。しかも、あれほどの美人が、である(高村じゃなくビグローのこと)。
 ボーディ一味がユタをスカイダイビングに連れ出すシークェンスは何度見ても陶然とする。「ナショナル・ジオグラフィック」の表紙になりそうなこの世ならぬワイルドスケープへと降下して行くボーディたち。マーク・アイシャムのリリカルなスコアと相まって作品の白眉と言えるこのシーンで、小生は常に感動にうち震え、落涙を止めることが出来なくなってしまう。

 キアヌとスウェイジの顔、岩に砕ける波に、大統領マスクの一味が拳銃を手に立つUS版ポスターはマヌケ過ぎて買う気になれなかった。
 空の上で、そして波間で手を取り合う2人のスチルを配したUK版にこそ、この映画の魂がある。