THE SILENCE OF THE LAMBS
『羊たちの沈黙』(1991年)

1991. British Quad. 30X40inch. Double-sided. Rolled.

■ジーン・ハックマン?ミッシェル・ファイファー?

 御存知、1992年のアカデミー賞主要5部門を独占し、ご存知「人食いレクター」ことハンニバル・レクターをスターダムに押し上げた「モダン・ホラー」「サイコ・スリラー」の王者である。

 クラシックと呼ばれる作品に様々な裏話や紆余曲折のドラマはつきものだが、『羊たちの沈黙』もまたキャストやスタッフによって多くの逸話が語られ、DVDの映像特典で見ることが出来る。
 トマス・ハリスの原作小説が発売されるや、それを読んだジョディ・フォスターは映画化&主演を熱望するものの、映画化権はすでにある人物が買っていた。その人とはジーン・ハックマンである。
 彼は自信の初監督作品として小説「羊たちの沈黙」を選び、しかもレクター役を演じる予定だったのだ。しかし上がって来た脚本を読んだハックマンは、そのダークでネガティヴな内容に恐れをなし(一体どんな風に原作を読んでたんだ?)権利を放棄。
 新たに映画化権の所有者となった「ORION Pictures」は監督にジョナサン・デミを抜擢。それを知ったジョディの予想通り、デミは前作『愛されちゃってマフィア』で組んだミッシェル・ファイファーをクラリス役に決めてしまい、ジョディの望みはついえたかに見えた。しかし脚本を読んだファイファーはハックマン同様恐れをなし降板。そしてジョディはデミへの直接交渉でもってついにクラリス役を勝ち取ったのだった。
 レクター役には当初ロバート・デ・ニーロ(『タクシードライバー』を想起させてしまうこの共演は有り得ない)、ダスティン・ホフマン、ショーン・コネリー(正式に断られたらしい)などの名前が上がっていたが、ジョナサン・デミは『エレファント・マン』を見て印象深かった英国紳士アンソニー・ホプキンスを指名。脚本を手に渡英したデミは、ロンドンで舞台公演中だったホプキンスに面会し快諾を得たという。
 クラリスの上司ジャック・クロフォード役に起用されたのはマッチョな役柄の多かったスコット・グレン。このあたりの意外なキャスティングも良いセンスだ(グレンにとって物静かなインテリの役はこれだけだ)。

■リアル

 しかし会社側はスター不在のこの映画に関心が無く(ジョディ・フォスターが『告発の行方』でオスカーを獲った後にも関わらず)、実は驚くほどの低予算で撮影された。
 ジョナサン・デミ作品の特徴に「無名の脇役キャラのインパクト」があるが、低予算ゆえの苦肉の策とも言える。保安官、検死医、カメラマン、スミソニアンの学芸員、犠牲者の家族と友達、SWATの隊員などなど、クラリスが捜査の途上で出会う人物がどれもみな独特の顔つき・表情・たたずまいで、忘れ難い存在感を残していく。その中にはチャールズ・ネピアをはじめとするデミ組大部屋俳優の他、歌手のクリス・アイザック、デミの師匠にあたるロジャー・コーマン、『ゾンビ』の監督ジョージ・A・ロメロなどの顔がある。そのようなキャスティング・センスがもたらすのが、他に例を見ないほどのリアリティであり、そこに大きく貢献しているのはデミ作品の常連、日本人撮影監督タク(タカシ)・フジモトの才能である。

 クロフォードの部屋に貼られた現場写真をはじめとして、リアルな死体描写(どれもブクブクに太った女性が皮膚を剥がれたもの)がなんとも陰惨な空気で作品を満たす。これほど暗く気味の悪い作品がアカデミー作品賞を獲ったことがいまだに信じられない。アカデミー脚色賞を獲得したテッド・タリーの脚本は、原作を巧みにシェイプアップしていて見事だ。
 さらに原作には無い、映画ならではのアプローチもある。レクターが脱走する際、腹を裂かれて磔にされる警官のヴィジュアルはフランシス・ベーコンの絵画をモチーフにして新たに創作されたものだし(この殺害方法を原作者本人が模倣したのが続編『ハンニバル』)、連続殺人犯バッファロー・ビルの部屋の散らかり様はエド・ゲインの部屋が参考になっており、ビルがクラリスと対面し、彼女の正体を察知した途端にニタニタ笑うというシーンは、ビルを演じたテッド・レヴィンのアイディアだ。
 そしてヴァージニア州クァンティコにあるFBIアカデミーでのロケを含め、この映画はFBIの全面協力を受けて撮影された。これは女性訓練生の応募にこの映画が一役買ってくれると思われたからである。これほど怖ろしい映画が完成した後で応募が増えたかどうかはわからないが。

■サイコ・スリラー界のザ・ビートルズ

 スプラッター・ホラーの喧騒の後、90年代の恐怖は「サイコ・スリラー」「サイコ・ホラー」というジャンルへとシフトした。陳腐な言い回しだが、「人間の心の闇」が90年代ホラーのプレイ・フィールドになったということだ。デイヴィッド・リンチのドラマ『ツイン・ピークス』の大ヒットと『羊たちの沈黙』の誕生は地続きのところで起こったのである。

 「サイコ・スリラー界のザ・ビートルズ」とでも言いたくなる地位を名実ともに獲得した『羊たちの沈黙』だが、一方で「サイコ・スリラー界のザ・ローリング・ストーンズ」と言わねばならない作品も存在する。4年後に現れることになるその映画は、その不良性・悪魔性からか『羊たちの沈黙』ほどの評価を受けてはいない。

 クラリスとレクター両方の顔をこうしてフルで収められたのは横型のイギリス版ならではである。しかも紅白だ。これはめでたいね。