SONATINE
『ソナチネ』(1993年) |

1998. US 1sheet. 27X40inch. Double-sided. Rolled. |
■沖縄ピエロ
3作目『あの夏、いちばん静かな海』では前作と打って変わり、ヴァイオレンスを用いずに死生観を語ることで作家としてのさらなる可能性を示し、国内での様々な賞を獲得するなどして映画監督=北野武の名は完全に認知されたかに見えた。
しかし、各方面で褒められたたけちゃんは恐らく大いに照れてしまい、’天邪鬼’な性格も手伝って、『あの夏〜』との振り幅最大位置にある作品を作らざるを得なくなってしまったのだと思う。
そして彼は向かった。暴力の花が咲き、死の誘惑が渦巻く南の楽園へ。
第4作(縁起悪いな)『ソナチネ』は、作品全体の完成度こそ『3−4X10月』には敵わないものの、場面場面の美しさ・毒気・濃密さにおいて突出しており、亜熱帯に棲む「魔」に操られて撮ったかのような研ぎ澄まされた映像表現が、テーマである「死」を驚くべき解像度で定着させることに成功した北野武の記念碑的作品である。
1993年のカンヌ映画祭に出品されるや大きな話題となり、たけちゃんは「東洋のゴダール」と呼ばれ、映画監督TAKESHI KITANOの名を轟かせた(コンペに出せばグランプリを狙えたのではとも上映会場はガラガラだったとも言われるが本当はどうだったのだろう)。
更に翌年、イギリスのBBCが映画生誕100年を記念して選出した「世界の映画100」に黒澤明作品とともに名を連ね、ロンドン映画祭ではそれまでの全作品の特集上映が組まれるなど、ヨーロッパでの名声を完全に獲得。『HANA−BI』の栄冠獲得への下地はこの時に出来上がったと言える。
だが、日本での興行成果は惨憺たるもので、松竹映画史に残るほどの不入りだったと聞く。プロデューサーの奥山和由は解雇され、北野とのコンビはこれが最後になる。もともと『その男、凶暴につき』の続編を想定して企画されたこの作品、当初のタイトルは『沖縄ピエロ』であった。
ベネチアでの『HANA−BI』効果でMIRAMAX配給のもと急遽アメリカ公開された際のポスター。すぐわかるが、『その男、凶暴につき』の写真を無理矢理持って来てしまった。それでもかなりクールなデザイン。
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1995. French. 46X62inch. Folded. |
■夏休み
たけし演じるヤクザの幹部=村川は、組長から沖縄で抗争中にある兄弟分の組への助太刀に行くよう命じられるが、全ては村川の組を抹殺するための策略であった。開巻早々、ヤクザを続けることに嫌気が差したとこぼす村川には既に死の匂いが漂っている。その言動には一貫して生への執着が欠如している。いつからか、またどんな理由からなのかについての説明は無い。
とにかくこの村川という男が疲れていて死にたがっており、他の登場人物も彼の運命に巻き込まれて行くであろうことは、始まって5分も経たぬうちに判ってしまう。まるで『3−4X10月』の幻視ショットのように。
問題は誰が、いつ、どこで死ぬかなのだが、このサスペンスは沖縄上陸後、骨抜きにされることになる。
勿論、到着して直ぐ突発的に発生する北野流ヴァイオレンスは緊迫感を与えてくれる。しかし隠れ家である海辺の古い民家に舞台を移した途端、映画は「パライソ」へとシフトする。敵の襲撃を逃れた彼らヤクザは、夏休み中の子供よろしく無邪気に遊び始めてしまうのだ。アロハシャツに着替えて。
「ウィリアム・テルごっこ」「ロシアン・ルーレット」「紙相撲」「釣り」「琉球舞踊」「落とし穴」「花火」「フリスビー」・・・・暇を持て余したヤクザ達が酒と睡眠の間にやることと言ったら、とにかく緩くて微笑ましい遊びのオンパレードだ。中でも白眉は浜辺でのロケット花火の撃ち合いだ。本来ならクライマックスで披露するはずの派手な見せ場を、北野は花火による疑似銃撃戦として早々と披露してしまう。
ヤクザ映画の最北端が『網走番外地』であるなら、『ソナチネ』は最南端であろう。しかし、そんな能天気な遊びの最中にあっても村川に貼り付いた「死」は剥がれない。いや、それどころか深化し際立っていく。照り付ける陽光、青い海、白いシャツ・・・・彼は既に死人のようだ。
■死のメロディ
「死のメロディ」なる副題が付いたフランス版ポスター。この作品のポスターにはやはりこの場面がふさわしい。PHAIDON社刊の『THE MOVIE BOOK』(監督や俳優など世界中の映画関係者から重要と思われる人間をセレクトし、1人ずつ1ページ毎にアルファベット順で並べた映画事典で、それぞれの代表作の印象的なカットを美しい印刷で掲載した分厚い本)の「Kitano」の項にはこの写真が使用されている。ロンドンの書店で偶然見かけたこの超重たい本を、嬉しさのあまり帰りの荷物のことも考えず購入。
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2000. Italian. 40X55inch. Folded. |
■笑いながら死ぬ男
美しい笑顔である。上記のフランス版と同じ場面であるが、こちらは思いっきり笑っている。子供のような屈託の無い笑顔。しかしこの瞬間、彼は自分の頭に弾丸を撃ち込んでいるのだ。貫通して飛び散る血飛沫。笑いながら死ぬ男。この作品を最も象徴する写真を使用したイタリア版をもってベストポスターとしたい。
■メイキング・オブ・ソナチネ
3作目にして大役を貰った寺島進と、これ以降北野作品で重要な位置を占めることになる初登場の大杉漣がたけしの弟分に扮し、その強面を生かしたコミカルなやりとりで素晴らしい存在感を見せる。
レーザーディスクのボックスセットに付属するメイキング映像(NHK制作のドキュメンタリー番組)を見ると、とにかく楽しそうな撮影現場の雰囲気が伝わって来る。そこには俳優たちに厳しく演技指導をしたり、スタッフを怒鳴りつけたりする独裁的な監督の姿は無い。監督がスタッフや役者を信じ、彼らもまた監督を信頼し尊敬することで生まれるごくごく自然な絆。二手に分かれて花火を打ち合うシーンでは撮影であることを忘れたかのように楽しみ、肝心のラストシーンのアイデアを記録係の女性に委ねてしまうなど、監督らしい威厳は終始希薄だ。
その場その場で臨機応変に変更されたり新しく加えられたりするシーン。本編では削除されたショットの撮影風景を含むこのLD特典ディスクは貴重だ。北野武の感覚が最も研ぎ澄まされていた、彼の監督術の頂点を見ることが出来るのである。
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1995. Spanish. 27X40inch. Folded. |
■エレベーター内の90秒
『ソナチネ』にはゾッとするほど美しい場面や、偶然とも計算ともつかない上手過ぎる場面が多い。中でも後半、たけし側3人と対する兄弟分が雇った殺し屋1人が狭いエレベーター内で繰り広げる銃撃戦には舌を巻く。うつむく男たちと重苦しい長い沈黙。フェリーニの『8
1/2』に登場するエレベーター・シークェンスを、あろうことか北野武はヴァイオレンスの舞台で再現して見せる。
やっとのことでたけしが口を開いたのを合図に、双方の拳銃がたたみ掛けるように火を吹く。極々至近距離で撃ち合えば当然巻き添えで死ぬ者まで出る(『その男、凶暴につき』でも見せた北野作品の巻き添え描写は凄まじい。しかもこの時はなんとあろうことか銀座の松竹直営館の前であった)。
たけしは1発も食らわない(この辺が良い。つまり彼は疫病神なのだ)が、大杉漣がまず倒れ、渡辺哲(たけしの仲間を演じる)などは恐ろしい呻き声を上げながらヒットマンに向かって歩み寄り、手のひらを吹き飛ばされる。当然ながら『タクシードライバー』や『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』を想起させるショット。
わずか90秒にしてこの作品中最高度のテンションを強いるこのシークェンスは、その後で自分をハメた幹部連中をたけしが皆殺しにする場面を観客の期待をよそにかなりあっさりと見せてしまう(明滅する銃火が窓から漏れるショットが印象的)ため、実質上のクライマックスになっていると言えるだろう。またその直前、海辺の崖の上で裏切り者である兄弟分の高橋を自動車もろとも爆破・炎上させる場面では、ゴダールの『気狂いピエロ』に充満していた乾いた残酷さを想起せざるを得ない。
というわけで、ゴダールやスコセッシの名前でこの『ソナチネ』を形容したいところだが、なんとスペイン版ポスターでは「日本のクリント・イーストウッド」と来たもんだ(そもそも『その男、凶暴につき』がこのように評されたようだ)。
日本公開時のオリジナルのタイトル・ロゴを採用したのはうれしいが、非常に粗いデジタル製版によるギザが安っぽい印象にしてしまったのがなんとも残念。
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US Video. 27X40inch. Rolled. |
■ハッピー・エンド
音楽に関しては、久石譲によるミニマルなスコアがかなりの部分この作品をコントロールしていると言っていいだろう。マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」ともジョン・カーペンター作曲の『ハロウィン』のテーマ曲とも似ているメロディが、主人公=たけしのクールだがヒリヒリするようなパッションや死への衝動をストレートに表現していて美しい。
スタジオ=プロデューサーの監視から完全に逃れて作られたと思しきこの作品。北野武の作家性が最も色濃く出たと言えるだろう。
(バイク事故前に)長年持ち続けていた死生観から生まれた劇中のセリフ、「あんまり死ぬのを怖がってると死にたくなっちゃうんだよ」が、最後になって効いて来る。自分を抹殺しようとした連中を皆殺しにし、若い恋人のもとへ車を走らせる主人公。その後に待っているはずの逃避行は確実に危険なものであり、束の間の幸福と死への恐怖はセットだ。つまり幸せであればあるほど死にたくない、死ぬのが怖い、つまり死にたいのだ。まるで『3−4X10月』の柳ユーレイのように未来を幻視し、そこに現れた幸福のヴィジョンから死への恐怖を増幅させ、恋人のもとにたどり着く前に自ら頭を吹き飛ばしてしまう主人公の行動は、あまりにも理にかなっている。
これをハッピー・エンドと言ってしまうのは乱暴過ぎるだろうか?
アメリカではビデオ・リリースの際、「タランティーノ・プレゼンツ」と謳われた。1993年、『ソナチネ』をベスト映画に、次点に『レザボア・ドッグス』を選んだ小生としては妙な感慨を覚えるが。
そして『ソナチネ』公開から約1年後、あのバイク事故のニュースで、小生の目の前は真っ暗になった。
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