ZODIAC
『ゾディアック』(2007年)

2007. British Quad. 30X40inch. Double-sided. Rolled.

■ハーディー・ガーディー・マンがやって来た

 1969年、独立記念日で花火が打ち上げられ、お祭りムードに包まれた街の夜景でこの映画は幕を開ける。とある郊外の駐車場に車を停めるカップル。近づくもう1台の車。女の方は不安そうだ。カーラジオからはドノヴァンの曲「Hurdy Gurdy Man」(1968年)が流れている。

 ♪ハーディー・ガーディー・マンが愛の唄を歌いながらやって来た・・・・

 やって来たのはハーディー・ガーディー・マンではない。拳銃を手にした大柄の男だ。そしてあっという間に銃弾を撃ち込まれる2人。ゾディアック事件のスタートだ(実はこれ以前の犯行もあり)。しかしこのシーンに『セブン』の猟奇性を期待すると肩透かしを食うことになる。ジョン・ドゥのような芸術的な殺人趣味はゾディアックには無かった。彼が楽しんだのは犯行後にメディアを騒がせることだった。

 デヴィッド・フィンチャー監督は、顔の見えないゾディアックを登場シーン別に3人の俳優に演じさせている。この初登場シーンでゾディアックを演じたのは、どうやらリッチモンド・アークェットらしい。ロザンナ、パトリシア、デヴィッドらアークェット兄弟の1人で、彼は『セブン』でトレイシーの首が入った箱を届ける宅配業者を、『ファイトクラブ』では精神科医を演じている、フィンチャー作品の常連と言っていい俳優だ。

■ダウニー、ギレンホール、ラファロ

 映画はゾディアックの正体をつきとめようとする4人の男たちを追う。新聞記者、同新聞の風刺漫画化、そして刑事2人組。
 記者を演じるのはロバート・ダウニーJr.。野心家でイイ線まで行くものの、やがて酒とドラッグに溺れてリタイアするという破滅型キャラは、ダウニー以外には考えられない。『レス・ザン・ゼロ』か・・・この人、小生と同い年なのだな。年齢も修羅場も重ねて、どんどん良い顔になっている。どこかデニス・ホッパーを思わせる存在だ。
 彼が一線から退くのと入れ替わるように、ゾディアック事件に埋没し始める漫画家にジェイク・ギレンホール。『ブロークバック・マウンテン』に続き、「家庭外のこと」に夢中になるあまりに身を滅ぼす男を再び演じるが、時代的にも『ゾディアック』と重なる。
 デニス・ホッパーの名前が出たついでに言えば、1991年にホッパーとエド・ハリスが共演した『パリス・トラウト』は、ジェイクの父、スティーブン・ギレンホールの監督作品である。しかも同年、スティーブンは「ツインピークス」の1エピソードを監督したこともあり。ちなみに、ジェイクの名付け親は女優のジェミー・リー・カーティス。そしてジェイク自身もある子供の名付け親になったことがある。それはヒース・レジャーとミッシェル・ウィリアムズ(つまり『ブロークバック〜』での2人。07年に離婚)の娘だ。
 刑事の1人を演じるのはマーク・ラファロ。メインキャラの中でこの人が最も60〜70年代の風味を醸し出していた。彼の風貌・ファッションはそのまま「チャーリーズ・エンジェル」や「刑事スタスキー&ハッチ」など往年のTVシリーズに溶け込めるほどだ。ラファロと言えば『エターナル・サンシャイン』で劇中キルスティン・ダンストとイイ仲になってた男である。ダンストはジェイク・ギレンホールの元恋人だ。

■『大統領の陰謀』

 デヴィッド・フィンチャーは『セブン』によって貼られた「シリアルキラー物監督」というレッテルをとことん嫌悪しているようだ。以前インタビューで「『セブン』はコメディだった」などとうそぶいたこともある。だから『ゾディアック』のルックは『セブン』とは完全に異なっている。
 彼が参考にしたのはゾディアック事件と同時代の新聞社を舞台にした名作『大統領の陰謀』(1976年)だ。社内を完璧に再現した美術は見事。撮影は、『セブン』では撮影助手を、『ゲーム』では撮影監督を務めたハリス・サヴィデス。フィンチャーと組むのは3度目ということになるが、撮影監督をコロコロ変えるフィンチャーにとってサヴィデスの起用は、ガス・ヴァン・サント作品『エレファント』での仕事を見てではあるまいか。ナチュラルなルックを必要としたに違いない(撮影はフィルムではなくデジタル)。
 とは言っても『ゾディアック』にはCGによって作り込まれた映像も登場する。冒頭の花火の空撮から始まって、ロングショットの映像はほとんどCGだ。さらにゾディアックによる最後の犯行であるタクシー運転手殺人事件で、走るイエローキャブを真上からロック・オンした映像がなんとも異様だ。もちろんこれもCGだが、ルックを極端に変えたこのシーンはそれだけでもう既に不穏である。

 不穏と言えば、不協和音を多用したピアノの旋律で憂鬱と不穏さを煽るスコアはデイヴィッド・シャイアによるもの。シャイアは前述の映画『大統領の陰謀』でも音楽を担当しているが、フィンチャーが欲しがったのはむしろ『カンバセーション・・・盗聴・・・』(1974年)で聴けたスコアの方だっただろう。この作品も『大統領の陰謀』も、「ウォーター・ゲート事件」でつながっている。

■『殺人の追憶』と『ブラック・ダリア』

 もうひとつ不穏と言えば、夜間赤ん坊を乗せてドライヴしている途中、ゾディアック(かどうかはわからないのだが)に殺されそうになる女性を演じていた女優は、イギリス生まれのアイオン・スカイ。なんと、彼女は前述のミュ−ジシャン、ドノヴァンの実娘である。

 そして、このシークェンスに漂う不吉な空気で思い起こすのはポン・ジュノ作品『殺人の追憶』だ。『ゾディアック』はこの作品によく似ている。捜査陣をあざ笑うように連続殺人を重ねる犯人を逮捕出来ず苦悩する刑事たちの姿を描いたこの韓国産スリラーには、『セブン』にそっくりなセリフまで存在する。そしてフィンチャーもまた『殺人の追憶』を見たに違いない。刑事たちが事件にとり憑かれ、オブセッションに陥って行く姿に洋の東西は関係ない、ということだ。

 オブセッションと言えば、フィンチャーが降板してなんとも残念だったのが『ブラック・ダリア』だ。あれだけオブセッションというテーマに執着して来たブライアン・デ・パルマが、ジェイムズ・エルロイの書いた「デ・パルマ的オブセッション」の映像化にどういうわけか失敗した。となると、『ゾディアック』後半のまるでストーカーのように事件担当者につきまとうジェイク・ギレンホールの姿に、虚ろな目ですさんだ生活を送っているロバート・ダウニーJr.に、やはり『ブラック・ダリア』はフィンチャーが適任だったのでは、と考えたくもなってしまう。
 『殺人の追憶』、『ブラック・ダリア』、そして『ゾディアック』・・・・迷宮入り殺人とは、いつの時代もどこの国でも、関わった人間の人生をとことん狂わせるもの。

■レクター博士etc.

 キャストについてもう少し触れねばなるまい。
 TV番組でゾディアックと会話を交わす弁護士にブライアン・コックス。王立シェイクスピア劇団出身の彼は、アンソニー・ホプキンス以前に「レクター博士」を演じた俳優だ。
 バレーホ警察の部長を演じるのはイライアス・コティーズ。デイヴィッド・クローネンバーグ90年代の最高傑作『クラッシュ』での印象が強烈だった。
 彼の部下(ラストシーンで再登場する)を演じるのは『ハートブルー』でサーフィン強盗団のメンバーだったジェームス・ルグロス。
 最重要容疑者リー・アレンにはジョン・キャロル・リンチ。『狂っちゃいないぜ』で仕事のミスがトラウマになり出勤出来なくなってしまった航空交通管制官を演じていたのは彼だ。ちなみに『狂っちゃいないぜ』のクールなメインタイトルはカイル・クーパーによるものだった。

■「Hurdy Gurdy Man」秘話

 ラストシーン、冒頭で恋人をゾディアックに殺された男の22年後の姿が描かれる。「もう昔のことだから」と記憶に自信の無さ気な彼が、「この中にあなたを撃った男がいますか」と捜査官から差し出された写真を見て、劇中、最重要容疑者として描かれた男を迷うこと無く指差す。絶妙なタイミングで流れ出すのは、あの晩カーラジオから聞こえていた曲だ。
 アルバムのライナーノーツ(解説・訳詩 渚十吾)によれば、ドノヴァンはザ・ビートルズ、ミア・ファーローらと共にインドへ旅した折りにこの曲を作った。「ハーディー・ガーディー」とは中世の楽器で、手回しの自動ヴァイオリンのようなもの。出来た曲を早速ジョージ・ハリスンに聴かせたところ、彼は以下の歌詞を付け加えたが、結局はレコーディングの際に割愛されてしまったという。

 真実がゆがめられ
 遠い眠りにほうむり去られても
 めぐりめぐる時に
 真実は明らかになる

 「Hurdy Gurdy Man」という曲に隠されたこの歌詞のことを、デヴィッド・フィンチャーは知った上で映画に使ったのだろうか。

■そしてデイヴィッド・リンチがやって来た

 2007年1月、ドノヴァンはロサンゼルスでライヴを行なった。これを主催したのは瞑想仲間のデイヴィッド・リンチであり、「デイヴィッド・リンチ基金」の収益を目的としたものだった。クライマックスで演奏された「Hurdy Gurdy Man」の中で、ドノヴァンはサビの部分の歌詞をこう変えて歌った。

 David Lynch is Hurdy Gurdy Man.

 ただでさえ『ゾディアック』を見た後ではもう冷静に「Hurdy Gurdy Man」を聴くことが出来ないというのに、なんという怖ろしいことをしてくれたのだろう。

 偶然なのか計算なのか、作品を超えたところでいくつものメタデータが渦巻いている。それらが放つにぶい光に照射されて、『ゾディアック』は忘れ難い1本となった。