STRATEGIA DEL RAGNO
(THE SPIDER'S STRATAGEM)
『暗殺のオペラ』(1970年)



1976. Belgian. 33X52.5cm. Rolled.

ベルギーでの公開名はフランスと同じ「La strategie de l'araignee」(その上はイタリア語、下はドイツ語)。
スティルからグラフィカルに起こされたアトス・マニャーニ(父)の肖像と華やかなタイトル文字。
映画の時代設定とは無関係に、なぜかアール・ヌーヴォー様式を取り入れたポスターである。
70年代にはヨーロッパのロック・バンドがLPジャケットをこんな風に飾る趣向もあった。
デザインしたのは、ベルギーのグラフィック・デザイナーJean-Christophe Geluck。
ゲリュックは「ル・シャ(Le Chat)」で有名なBDアーティストPhilippe Geluckの兄である。

■名コンビ、誕生

 ムッソリーニ暗殺を画策するもファシストに暗殺され、戦後は町の英雄として祭られているアトス・マニャーニ。当時アトスの愛人だった女性ドライファに召喚され、父の死に秘められた謎を探る息子アトス(同名)。息子は、かつて父と一緒にレジスタンス活動を展開していた同志たちを訪ね歩くうちに、父が英雄などではなく、ファシストに情報をもらした裏切り者であった事実に行き当たる。父を殺したのはファシスト党員ではなく、3人の同志たちであり、しかもその殺害計画自体を他ならぬ父が企てたというのだ。ファシズムへの抵抗の証として。

 パゾリーニの企画=『殺し』(1962年)、ゴダール病の産物的怪作=『パートナー(a.k.a.『ベルトルッチの分身』)』(1968年)といった通過儀礼的試行錯誤を経て、この長編5作目に至り、脚本・撮影・美術・音楽など、ベルトルッチの映画的才気の全てが一度に開花したと言える。『革命前夜』(1964年)ではカメラ・オペレーターを務めていたに過ぎなかったヴィットリオ・ストラーロが、撮影監督としてベルトルッチ作品に初めて参加した記念碑的フィルムにして、彼らがこの後20年にわたって築くことになる黄金時代の幕開けにふさわしい堂々たる一作。ベルトルッチは、ついに彼にふさわしい「ルック」を手に入れたのだ。

 そもそもがイタリアの国営放送「RAI」(イタリア放送協会)の出資によって製作されたテレビ用映画であり(諸外国では劇場公開された)、ゆえに画面サイズはスタンダードであるものの、むしろ縦のダイナミズムと奥行きが強調されたフレーミングの中で、ストラーロの特異な撮影技法はスペクタキュラーな運動を見せることになった。

 ちなみに撮影監督にはもうひとり、フランコ・ディ・ジャコモ(『サン・ロレンツォの夜』、『イル・ポスティーノ』)の名前もクレジットされているが、ベルトルッチがこの作品におけるジャコモの仕事について語ったインタビューを目にしたことはない。

■ポプラ並木

 ホルヘ・ルイス・ボルヘス作「伝奇集」に収められたほんの7ページほど(岩波文庫)の短編「裏切り者と英雄のテーマ」をヒントにして、ベルトルッチは、父親の故郷である田舎町を彷徨い、町の奇妙な住人たちに振り回され、父の虚像と対峙することになる若者の悪夢的な里帰りを、シュールに、甘美に描く。

 舞台となる父親の故郷「タラ」は架空の町であるが、その命名はアイルランドにあるケルト民族の遺跡によるものであろう。原案となったボルヘスの短編が、アイルランドを舞台に書かれたものだからだ。撮影が行われたのは、ベルトルッチが生まれ育ったパルマである。『革命前夜』、『暗殺のオペラ』、『1900年』そして『滑稽な男の悲劇』・・・・ベルトルッチ作品に登場する町並みや田園風景に既視感を覚えるのは、すべてパルマで撮影されたことによる。
 どの作品でも際立って壮麗に映るのは、ポプラ並木である。天を衝くように伸びたポプラの樹が画面奥までずらりと並んだ風景は、ただもうそれだけで強力な磁場を形成し、「緑の城壁」によって物語の舞台が外界から遮蔽されている印象を抱かせる。そして「『暗殺のオペラ』の舞台であるタラは、その真昼のシーンにおいて、ポプラ並木に限らず、スタンダード画面の情報量を植物群が圧倒するショットが非常に多い。石造りの町並みも、そこに暮らす住人も、自然と共生していると言うよりも、むしろ緑に侵食されているかのように見える。

■キャスティング

 タラに到着した息子=アトスが宿を取った後でまず向かうのは、自分を呼び寄せた父の愛人の邸宅だ。壁面を蔦が覆い、藤の花房が無数に垂れ下がる緑の魔宮。ドライファは自分が愛した男=アトスに生き写しの息子を、不敵な微笑を湛え、ハグでも握手でもなく、なぜか背中で迎え入れる。情熱的なのかクールなのか、ドライファのエキセントリックな振る舞いが(アトスの前で気絶するドライファを捉えるカメラ移動が凄い)、一刻も早く町を去ろうとするアトスを絡め取る。演じるアリダ・ヴァリの、齢を重ねてますますキツくなった美貌が、ドライファの謎めいたキャラクターを増幅させてなんとも魅力的だ。『第三の男』など映画史にその名を刻む作品に出演し続けた名女優アリダ・ヴァリは、この後『1900年』と『ルナ』にも出演し、ステファニア・サンドレッリと並んで「ベルトルッチ組女優」と言っていい功績を果たすことになる。

 父子ふたりのアトスを演じるジュリオ・ブロージなる俳優は、甘く神経質そうなマスクの二枚目だ。他作品を見ていないので役者としての技量は未知だが、少なくとも『暗殺のオペラ』においては、その迷宮的な世界観と拮抗する相貌を持つ男である。つまり、ハンサムではあるが何を考えているのかわからない顔、なのである。ジャン=ルイ・トランティニャン、マーロン・ブランド、ロバート・デ・ニーロ、ジョン・ローン・・・・ベルトルッチ作品の主人公はほとんどがこのタイプだ。世界に翻弄され、周囲を翻弄する男たち、というのがベルトルッチが創出する映画宇宙のヒーローなのだ。

 冒頭、タラの駅でアトスと一緒に降りる水兵は、クロース・アップ・ショットこそ無いものの、『革命前夜』で主人公に死をもって影響を及ぼす友人を、『1900年』では少年殺しの濡れ衣を被る浮浪者を演じた俳優、アレン・ミジェットである。彼は俳優の傍ら、アンディ・ウォーホルのそっくりさんとして知られていて、ウォーホル本人からの承認を得ているほどの有名人だ。

 時が止まってしまったような町には年寄りばかりが住んでおり、行く先々で「お父さんにそっくりだ」と驚かれる。思わず、つげ義春の漫画「ゲンセンカン主人」を想起してしまうシチュエーションではある。亡き父の友人にしてレジスタンスの同志のひとりであるガイバッツィとアトス(息子)の対面シーンが印象深い。天井から吊るしたハムに竹串を刺し入れて匂いを嗅ぎ、製造の蘊蓄をアトスに説くガイバッツィを、いちいち暗転でカットを割りながら必要以上に長尺で見せる、というベルトルッチ演出の不可解な面白み。ガイバッツィを演じるピッポ・カンパニーニは、ベルトルッチの古くからの知り合いで、実際にパルマでハム職人を営む非俳優だ。そのユーモラスな存在感を買われてか、彼はその後『1900年』(神父役)と『ルナ』(ハム職人役)にも出演する。

■リガブーエ、キリコ、マグリット

 タイトル・バックに映画本編を表象する絵画を好んで使用するベルトルッチだが、『暗殺のオペラ』のメイン・タイトルに使われたのは、奇想の画家、アントニオ・リガブーエ(この映画の5年前に没)が描いたトラ、ライオン、馬、蛇、鶏などの動物画である。主人公の父アトスの衣装がサファリ・ルックであることと、タイトルバックの猛獣の絵や、サーカスのライオンが脱走するエピソードは共鳴し合っている。
 複雑な出自や戦争体験など、数奇な運命をたどったリガブーエは、ポー川流域を転々としながら画業に勤しんだ。彼は印象派の流れを汲みながらも、そのワイルドなモチーフ、幼稚とも言える力強いタッチからも察せるように、明らかに精神を病んでいた画家、つまり、アウトサイダー・アートの人であった。1977年にRAIが製作したドキュメンタリーは、カンバスを前に泣きながら身悶えする姿や、飲食店の女性に絵を描いて見せてしつこく口説き、キスまで迫る、という狂ったリガブーエを克明に記録していて面白い。
 ポー川を望む空き地で、歌を歌い、遺棄されたバスを棍棒で叩く3人の年寄りたち、という意味不明のシーンが本編に登場するが、これはリガブーエの日常となっていた奇行を再現しているものではあるまいか。

 ベルトルッチは撮入前、リガブーエや、ルネ・マグリット、ジョルジョ・デ・キリコなどの絵画をストラーロに見せて映画のルックのベクトルを示したという。完成した作品を見れば、その全てが映像に活かされていることは一目瞭然である。
 回廊を有する建物は、キリコお得意のイメージそのものであるし、とりわけ、マグリットの「光の帝国」を参考にしたという、夕暮れ時を狙って撮影された夜間シーンの深い青味は、陽光降り注ぐ日中場面のむせ返るような緑や、建造物のくすんだたたずまいとの間にある、シュルレアリスティックな温度差を可視化する。そればかりか、クライマックス近くでは、町を逃げ出そうとするアトスが駅へ向かうシークェンス中で、「光の帝国」が描いた「青空の下に広がる夜の世界」、という構図が忠実に再現されているのを確認することも出来る。