APOCALYPSE NOW
『地獄の黙示録』(1979年)


1979. US Advance 1sheet.
27X41inch. Rolled.


1979. US Heavy Stock Paper.
30X40inch. Rolled.

■狂気の偉業

 スクリーンにまだ何も映らぬうちからヘリコプターの羽音だけが旋回し始める。そして、配給会社やスタジオ、監督や俳優のクレジットも無く唐突に投影されるジャングルの光景。砂塵を巻き上げて横切るヘリコプター。ザ・ドアーズの曲『ジ・エンド』の歌い出しに合わせて吹き上がる爆炎。「これで終わりだ。美しき友よ。これで終わりだ。たった1人の友よ」。
 ヘリコプターの爆音と銃撃のオペラ、サイケデリックなリバー・クルーズ、エキゾティックな冥府巡り、CG一切無しのR.P.G.・・・・『地獄の黙示録』は映画史上最も美しい戦争映画であり、映画という表現形態が辿り着いたひとつの到達点であり、そして1人の映画監督が成し得た狂気の偉業として永久に語り継がれるべき作品である。

■ボブ・ピークによる一幅の画

  ポスター界のトップ・アーチストの1人、ボブ・ピークの名アートをフィーチャーしたアドヴァンス(左)。
 ポスターのみならずレコード・ビデオ〜CD・DVDのジャケットにと繰り返し使われすっかりお馴染みであろう。巨大な夕陽を背に飛ぶ渡り鳥のようなヘリコプター群、血のように赤く染まるジャングルと河、『Apocalypse Now(現代の黙示録)』というタイトル文字・・・・「終末」のヴィジョンを静かに、しかしスケール感豊かに描き、この作品の「事件(=イベント)性」を決定付けた名ポスターである。
 製作に3年をかけ、巨額の資金を投じ、様々な困難を乗り越えて映画はようやく完成。そして遂に貼り出されたこの前宣伝用ポスターに期待しなかった者など果たしていたのか。

 この作品を初公開当時に見た小生は14歳。「判る」も「判らない」もなかった。とにかく「狂ったもの」「美しいもの」を叩きつけられたという印象のみだった。ロック、アート、カウンターカルチャーの世界に足を踏み入れようとしていた多感な少年期、その大きなターニング・ポイントで遭遇した「モノリス」のような作品。

■コッポラの黄金期の末尾を飾る作品

 US版レギュラー1シートと同デザインの厚紙ポスター(右)。こちらのイラストもVHSやDVDのジャケットでお馴染みのもの。もちろんボブ・ピーク作。
 この「R.P.G.」の最後に登場する大ボス=カーツ大佐(マーロン・ブランド)と彼を暗殺せんとする本作の主人公ウィラード大尉(マーティン・シーン。ただしクレジットの順番はM・ブランド、ロバート・デュヴァルに次いで3番目)を大きくフィーチャー。下半分には劇後半の大きな見せ場「陥落するド・ラン橋」とウィラード一行が乗り組む哨戒艇が描き込まれ、上部にはアドヴァンス版同様のヘリコプター群のシルエットが浮かぶ。
 ポスター・デザインとしてはいくぶん凡庸ではあるが、何せ作品の内容が「あれ」である。ボブ・ピークとしては最大公約数としてのヴィジュアル・イメージを作り上げたに違いない。
 大きなサイズで見るとなかなか迫力あるイラストではあるが、それよりもコッポラやマーロン・ブランドの名前をはじめとする豪華なクレジットがポイントであろう。『ゴッドファーザー』に始まるフランシス・フォード・コッポラの黄金期である70年代。その末尾を飾る作品に相応しいスタッフとキャストが名を連ねる下部クレジットにこそ、このポスターの価値がある気がしてならない。

■冨田勲そしてマーティン・デニー

 ベルナルド・ベルトルッチ作品の常連カメラマン、ヴィットリオ・ストラーロ(これがアメリカでの最初の仕事)による色彩や照明の設計をも含めた撮影テクニックが、何度も恍惚へと導く。監督の父親カーマイン・コッポラ作曲のシンセサイザー音楽も、エキゾティックで混沌としたムードに素晴らしくマッチしている。
 当初監督の頭にあったのは、シンセサイザー音楽のパイオニア=冨田勲のアルバム『惑星』だったらしく(リドリー・スコットも『エイリアン』撮影中にこれを現場で流していた)、カーマインのスコアにかなりの影響を与えているどころか、曲によってはそっくりである。
 撮影中、冨田はコッポラの招待でフィリピンのロケ現場を訪れ、その時にサントラの作曲を依頼されている。結局実現には至らなかったが、もし実現していれば、その当時冨田と交流のあったミッキー吉野のバンド「ゴダイゴ」との共同作業で担当する構想が冨田にはあったという。

 そして、『地獄の黙示録』のサントラを語る時にどうしても名前を挙げたくなる作曲家がもう1人いる。エキゾティック音楽の大家、マーティン・デニーである。彼の代表曲の1つ「Quiet Village」を初期のムーグ(モーグ)・シンセサイザーで演奏したヴァージョンがあるのだが、この曲が持つメロディとムードは、まるでカーマインのスコア全曲を凝縮したかのように聞こえる。
 「植民地主義」というキーワードで『地獄の黙示録』という映画を語る時、マーティン・デニーの引用は恐ろしく据わりが良いはず。