1979. German Style C. 23X33inch. Rolled.

■ヴェトナム戦争版『2001年宇宙の旅』

 フィリピンのロケ現場に到着したマーロン・ブランドにコッポラは頭を抱えたという。元グリーンベレー隊員にはとても見えぬ体躯。ブランドは激太りしていたのだ。
 そこで撮影監督ストラーロの考えた苦肉の策を採用する。宮殿内でウィラード大尉と初めて顔を合わせる大事なシーン、カーツ大佐は闇の中に沈みこみ、語りながらもぞもぞと動き頭や顔面の一部、手などをチラリチラリと炎の明かりで浮かび上がらせる。アザラシのような巨体を晒すことなく、あの爬虫類声による語りとスキンヘッドだけで、長い旅路の果てにようやく出会えた怪物の第一印象を決定付ける方法は成功であった。
 実際、「アジアのジャングルで発狂したアメリカ人」をブランドがあのようなルックスと方法で演じたものを見せられた後では、あれ以上に効果的なものなど思い浮かばないくらいだ。あの、まるで狂った詩人のような語りはブランドの即興であり、長回しで撮影したものを上手く編集したらしい。
 それまでさほど判りにくいこともなかったストーリー展開が、急に哲学的で難解な様相を帯びて来るのはこの辺りからだが、公開当時この作品を見た日本のマスコミは「ヴェトナム戦争版『2001年宇宙の旅』」というレッテルを貼った。難解な大作映画に対する評価として『2001年』は便利な免罪符だったのだ。
 しかしこの苦し過ぎるフレーズを逆手に採ってみれば、人類がまだ月に降り立つ前に製作された『2001年』が実際の宇宙探査など必要ないほど正確に宇宙を描き倒したように、『地獄の黙示録』はベトナム戦争の本質を誰も真似出来ないレベルで映画化し得たと言えるだろう。
 カンヌ映画祭でこの作品を見たジャン・リュック・ゴダールは「コッポラはベトナム戦争の前にこの映画を作ってヴェトナム戦争の代わりにすればよかったのだ」とコメントしたらしい。

■マーロン・ブランドの遺影

 「Are you an assassin?(お前は暗殺者か?)」というカーツ大佐のセリフが聞こえて来るようだ。US版2点に加えボブ・ピークはもう1ヴァージョンのイラストを描いたが、何故かドイツだけがそれを採用した。このドイツ版は『地獄の黙示録』のポスター中、下記の石岡瑛子デザインのものと並ぶ高価なポスターである。Rolledはもちろん激レア。
 以前、ebayで「80年代のリヴァイヴァル版だ」と言われて贋物を掴まされたことがある。それなりに上手く作られていたがいかんせん精度が甘く、しかもドイツのディーラーに問い合わせたらこのデザインを使用したのは初公開時だけだったとのこと。大きさから言っても贋作の作り易いポスターではあるが。

 『地獄の黙示録』以後は作品に恵まれることはなく2004年7月に死去。映画史に残る怪物、マーロン・ブランドが見せた最後の勇姿を描いたこのポスターを以って「遺影」としたい。




1979. British Quad. 30X40 inch. Rolled.

■UK版ポスターもまた良し

 ボブ・ピークによるお馴染みのイラストも横型になるとこうも印象が違う。US版と色合いも異なり、血のような赤ではなく燃えるようなオレンジだ。上に伸びた光の筋が多いのも特色だが、何と言っても右半分の「闇」(モチーフとなったコンラッドの小説のタイトルはもちろん、クライマックスに至ってようやく画面を支配することになる闇こそが、この作品の主役に違いない)の部分に浮かぶクレジットが魅力だ。タイトル文字も大きくてナイス。イギリスではアドヴァンス版は制作されなかったようだが、79年当時はまだそのような慣例は無かったのかも知れない。ドイツでは3ヴァージョンも制作されたと言うのに。

 密林と炎、爆撃とサーフィン、ガソリンの匂いが立ち込めるビーチ、ワーグナーとローリング・ストーンズ、野生の虎とプレイメイト、弓矢と発炎筒、白塗りの原住民とヒッピー・・・・戦場という非現実的なフィールドにおいてアジアの原始と西洋文明が強引に同居するという「巨大な矛盾」をまんまぶち込んで、それまで見たことのないカオスをフィルムに定着させたコッポラ。2本の『ゴッドファーザー』で得た巨額の資産を全て注ぎ込んで完成させたこの作品以降、フィルモグラフィにはあまりパッとしない作品ばかりが並ぶ。それは寂しいことかも知れないが、『地獄の黙示録』ほどの作品を残した功績を以ってコッポラの才能と叡智を讃えるべきであろう。