GRINDHOUSE
『グラインドハウス U.S.A.バージョン』(2007年)


2007. US 1 sheet. 27X40inch. Double-sided. Rolled.
■オレのグラインドハウス体験

 「グラインドハウス」とは、70年代あたりまでアメリカに存在した、「エクスプロイテーション映画」を中心にプログラムを組んでいた場末の映画館の俗称で、スクリーンに映される映画に負けず劣らず、集まる観客もいかがわしく胡散臭い連中だったんだそうだ。必ずしも映画鑑賞が目的ではなく、実際には時期はずれのメジャー作品なんかも上映していたという意味では郊外の「ドライブイン・シアター」も同類ととらえて差し支えないだろう。そして双方とも「シネコン」に駆逐され、絶滅することになる。

 初めて東京で入った映画館は銀座にあった「テアトル東京」だった。絨毯が敷かれ、シャンデリア(が下がっていたと思う)に照らされた明るくゴージャスなロビー、作りの良い座席、目もくらむ巨大なシネラマ・スクリーン・・・・「日本一の映画館」での体験はその日見た映画(なんと『世界が燃えつきる日』である)の、劇場に不釣合いなB級感とともに、思い出に深く残っている。
 小生が普段通っていた田舎の映画館は、テアトル東京などと比較するのもおこがましいようなところだった。
 出前の丼物をほおばりながら切符をもぎる小汚いオバさん。もちろん売店もこのオバさんだ。廊下に粗末なソファを置いただけの薄暗いロビー。清潔とは程遠いトイレ。スクリーンは大して大きくなく、音響はモノラル。座席もガタガタ。ピントも甘けりゃフィルム切れも当たり前。菓子袋やジュースのビンはもちろん、なんとタバコの吸い殻までが場内に散らかってる始末。帰り客の車を狭い駐車場から出すため、邪魔になってる車のナンバーを呼び出すアナウンスが上映中にも関わらず場内に鳴り響くことも多かった。ポルノ映画の上映館を併設しているところもあったし、ヘタすると今いる映画館の次回上映がポルノなんてこともあり、猥雑で毒々しいポスターを視界に入れていいのかいけないのか、小学校高学年の子供には複雑であった。しかも、映画館の周囲はスナックだったりキャバレーだったりする。

 つまり、映画館とは、実に「いかがわしい」場所だったのである。

 そんな映画館(どの小屋もそんな感じだった)で見たのは、東京から2週間遅れでやって来た新作映画や、1本は新作でもう1本は前年に公開された準新作もしくは旧作、といった2本立て。『グリズリー』と『地底王国』、『エアポート77』と『テンタクルズ』といった「底抜け超大作」(by 映画秘宝)にはヘンな満腹感をおぼえ、『パニック・イン・スタジアム』と『合衆国最後の日』のカップリングは子供に背伸びと虚脱感を強いた。理解不可能な2本立てもあった。『十戒』と『タクシードライバー』には首を傾げ、『エクソシスト2』と『新・青い体験』に親は顔をしかめた。

 暗く、小便臭い、いかがわしい小屋で、遠い世界に思いを馳せる儀式。それが小生にとってのグラインドハウスだった。

 さらに、当時はTVの映画劇場もまた刺激的だった。キズだらけでコマ飛びもあるひどい状態のフィルムを平気で流す東京12チャンネル(現テレビ東京)は、お茶の間を一瞬にしてグラインドハウスに変えた。ホラー映画や犯罪映画はもちろんのこと、マックィーンも、イーストウッドも、ペキンパーも、『タクシードライバー』も、12チャンネルで流したが最後、「そういう映画」にしか見えなかった。番組枠に合わせて30分以上も適当にカットし、ストーリーもラストも変わり果てた『地球に落ちて来た男』や『惑星ソラリス』は、もともとアート系フィルム寄りの作品であるはずなのに、安いB級SF映画と化していた。いや、むしろ多くのアート・フィルムが湛える気だるく不条理なムードは、グラインドハウス的なものと地続きにすら思える。後年、アントニオーニ作品『さすらいの二人』を渋谷の小ギレイな映画館で見た時、「12チャンネルで見たかったよ、これ」と後悔したことがある。

 厳密な意味では、ストリップ小屋→ポルノ映画館→B級映画専門館という歴史をたどったグラインドハウスではあるが、そのスピリットは遠く離れた日本でも、いや、世界中どこでも、映画のあるところには必ずグラインドハウスがあった、と言っていいのではないか。シネコン時代以前に映画を体験して来た者、どこの誰が作ったかもわからないような映画をTVでダラダラと見て来た者たちは、みなそれぞれがグラインドハウスを1つずつ持っているはずなのだ。



TOYメーカー「NECA」から発売されたポスター。


コミコン用に制作されたミニ・ポスター。


こちらもコミコン用に制作されたミニ・ポスター2種(上)。裏側はいずれもDVDの広告(下)。