PLANET TERROR
『プラネット・テラー』(2007年)

■まずはロドリゲスから

 タランティーノとロドリゲスによる2本立て映画『グラインドハウス』は、本国での大コケにより、国際的には分割公開されることになってしまった。オリジナルヴァージョンが限定公開された日本は幸福である。
 2本の映画それぞれの前に流れる、存在しない映画の予告編合計4本と、「OUR FEATURE PRESENTATION」や「PREVIEWS OF COMING ATTRACTIONS」と言った文字が躍るサイケなタグ・フィルム(タランティーノは『キル・ビル』でもこれを使った)、実在するのかしないのかわからないメキシコ料理店のCMなどが、主役である本編を食わんばかりの重要なファクターとしてグラインドハウスという上映形式を完璧なものにしている。フィルムの劣化に伴うサウンドトラックの歪みや、「ブツッ」とか「チリチリ」というノイズ類も妥協無く再現されている。

 ロバート・ロドリゲスによる『プラネット・テラー』は、70年代末から80年代中期にかけて量産されブームとなったホラー映画やスプラッター映画へのオマージュだが、最もテイスト的に似ているのは『要塞警察』や『ハロウィン』『ザ・フォッグ』といった、一連のジョン・カーペンター作品であろう。
 大した予算もかけず、スターが出ているわけでもなく、脚本も良く練られていると言うよりはアイデア勝負だが、ムードだけはギンギンの映画。実際当時、カーペンター作品はグラインドハウス・ムービーとして最適なプログラムだったのではないだろうか。アナログ・シンセサイザーを多用した監督本人による安っぽいスコアが、カーペンター作品の肝でもあるが、ロドリゲスはこれを再現するのにグレアム・レヴェルの手を借りている。レヴェルは、かつてオーストラリアで結成されカルト的人気を誇ったインダストリアル&テクノ・バンド「SPK」のメンバーである。

 ストリップ・バーで踊るローズ・マッゴーワンで幕を開け、カーペンター・テイストをベースにしながらも、数々のゾンビ映画からネタを拾い、『ターミネーター』にそっくりな展開を見せる『プラネット・テラー』。オープニングで流れるテーマ曲の終わりでむせび泣くサックスの音色に呼応するかのように、なぜか涙で顔を濡らしたマッゴーワンの真っ赤な唇に吸い寄せられるカメラは、思わずデイヴィッド・リンチを想起させる、というサービスまである。そう、この映画はサービスに溢れている。

 コンピューター技術でアナログを再現することの矛盾が生む快感。コマ飛びや退色はもちろん、過剰にキズついて荒れたフィルムは途中で止まった途端、電球の熱で溶けて燃え出し、しかもそれらアクシデントがストーリー展開に一役買っている、という芸の細かさ。これでもかと詰め込まれた見せ場と笑いどころ。『デスペラード』のセルフ・パロディさえ見せてくれる『プラネット・テラー』は、ロドリゲスならではのサービス精神が、かつてないほど花開いた作品であることに間違いはない。

 だが反面、グラインドハウス的ギミックや遊びに走り過ぎたため、単なるパロディに納まってしまった感があるのは否めない。ロドリゲス作品はいつだって、破天荒なようでいて実は映像のテクニックと計算されたケレンに裏打ちされた「商品」であった。だから、「グラインドハウス」という企画にカッチリはまる作品、「グラインドハウス」以上でも以下でもない完璧な商品を作ることがロドリゲスのモットーであり、同時に作家としての限界でもあるのだ。