Italian Fotobusta. 42X60cm.

US版ロビー・カード16枚組に比べて6枚組と枚数は少ないが、サイズが大きいのが素敵だ。
それにUS版に無い写真もある。特にアバナシーの足にいたずらするスタントマン・マイクが最高。

■スタントマン・マイク VS スタントガールズ

 「シップス・マスト」に興じている彼女たちに、ついにスタントマン・マイクが参戦する。今度の車はダッジ・チャージャーだが、シンボルのダックは変わらない。ダッジ・チャレンジャーVSダッジ・チャージャー。スタントウーマンVSスタントマン。シンプルだが、逆に力強いカー・チェイスのシークェンスがこれでもかと続く。
 『ダーティ・メリー クレイジー・ラリー』(1974年)にリスペクトどころか、酷似したショットも多い。前半では早漏のように楽しみを終えてしまったマイクだが、今回は後から横からとじっくり楽しむ。車体を激突させるたびに恐怖で泣き叫ぶ女たちが、彼を燃え立たせる。必死でボンネットにしがみつくゾーイによる生身のスタントは、肝心のアクションをフルCGにしてしまう昨今の映画に「チキン野郎!」と罵声を浴びせているかのようだ。

 「性的不能者によるレイプ」が終わり、「お前ら楽しかったぜ。じゃあな」とズボンをはくように車に乗り込もうとするスタントマン・マイクに女たちは反撃する。レイプされた女の復讐劇はグラインドハウス映画の定番プログラムのひとつだ。
 カークラッシュの衝撃や痛みには強いはずのマイクは、肩に1発銃弾を喰らっただけで子供のように泣き出すのだが、この不条理とも言える変わり身が想起させるのは、『マッドマックス』(1979年)の冒頭に登場する「ナイトライダー」だ。「オレ様はナイトライダーだ!」とハイテンションで暴走し、警察の追跡をことごとく振り切るこの悪漢は、マックスの乗ったパトカーが現れるやいなや、メソメソと泣き出してしまうのである。
 そもそも後半で繰り広げられるカーチェイスは、ローアングルでのショットや目を見開くカットの挿入など、かなりの部分『マッドマックス』を参考にしているのは確かで、「妻子を殺された男の復讐譚」という『マッドマックス』の骨子は、いかにもグラインドハウス的だ。エンドロールの「Thanks」の中にはジョージ・ミラーの名前さえある。

 『レザボア・ドッグス』『パルプ・フィクション』『ジャッキー・ブラウン』では、活劇の要素をごっそり抜いてクライム・ムービーを成立させてしまったタランティーノだが、『キル・ビル』では殺陣とカンフー、『デス・プルーフ』ではカーアクションという、日本・香港・アメリカの映画界において一時代を築いて来た王道ジャンルからサンプリングし、タランティーノ流のリミックス活劇を完遂した。そして今回の活劇は、ラス・メイヤー作品へのオマージュで幕を下ろす。


French Lobby Cards.

フランス語タイトルは「BOULEVARD DE LA MORT」(死の大通り)。
US版、イタリア版にも無い写真がある。
空港でゾーイを迎える3人が可愛い。メアリー・エリザベス・ウィンステッドがセクシー。

■インスタレーション

 タランティーノの創作の原動力は常に過去作へのオブセッションとオマージュだった。しかし、完成した作品がいつだってオマージュで終わらなかったのは、そもそもタランティーノの思い入れによってキャスティングされた俳優たちが、彼の思惑を超えるほどの芝居や存在感や他のキャストとのアンサンブルを見せることで、化学変化を引き起こしていたからだ。
 『デス・プルーフ』を傑作にしたのは、意表を突くカート・ラッセルのキャラクターであり、危険なアクションに体を張ったゾーイ・ベルである。彼らの起用によって発生した猛烈な化学反応は、過去のタランティーノ作品の比ではなく、その爆発力は「グラインドハウス」という枠組みをも軽々とブチ破った。
 クソみたいなB級・C級映画も何十本も見続ければ1本くらいは凄い作品に当たる。タランティーノが最初からそういう1本を作ろうとしたかどうかはわからないし、過去のB級映画の傑作だって作り手の意図を超えたところで偶然出来てしまったのかも知れない。映画というものはその時々の「ナマモノ」だ。傑作というものは作ろうとせずとも誕生してしまうものなのである。

 ヒット作の続編や古い映画のリメイクを、親会社や保険会社の顔色をうかがいながら当たり障りの無い企画に仕立て、誰もが知るスターを合成スクリーンの前にはべらせ、落ち着き無く動く画面と考えるスキを与えないほどの細切れな編集でごまかして、シネコンに向け量産される絶対安全な「商品」。タランティーノとロドリゲスは、映画だけが持ちえたはずの原初的な興奮をサルベージすべく、かつていかがわしい場所だった映画館と、かつてそんなところで流された映画をまるごと現代に復活させ、小ギレイなシネコンを場末の映画小屋へと変えた。

 『グラインドハウス』という映画は、3時間超に及ぶインスタレーション・アートだ。