ジット・マグリーニの衣装とスカルフィオッティの美術が見事な調和を見せる。まるで1938年当時に撮影された写真のようだ。
スイスの画家フェリックス・ヴァロットンの木版画を彷彿とさせる室内ショット。
ブラインド越しに射し込む光線とイタリアン・アール・デコの華麗な調和。この場面の光の使い方は多くのフォロワーを生んだ。
『アメリカン・ジゴロ』の撮入前、ポール・シュレーダーと撮影監督ジョン・ベイリーはこの映画を繰り返し見て、ポスターにもなったリチャード・ギアのあのシーンを演出し、その後リドリー・スコットも『ブレードランナー』にこのテクニックを取り入れた。
伯父のアメリカ土産だというレコードに合わせて踊るジュリア。1930年代にアメリカで流行したキューバン・ジャズをジョルジュ・ドルリューが再現したオリジナル曲で、サントラ盤収録のタイトルは「Fiacre」(馬車)。
フィンガー・ウェーヴのかかったモガな髪形とソリッドなパターンのワンピースに見る当時のプチブル子女の最先端モード。
ジュリアの母親の登場シーン。ここでもブラインドからの光の筋が部屋全体を彩り、ストラーロのカメラ移動がパースペクティヴを演出する。
1925年ギリシャ生まれのイヴォンヌ・サンソンは戦後のイタリア映画界で活躍した女優。1972年に引退したサンソンにとって『暗殺の森』は後期のフィルモグラフィ中最も有名な作品となった。
ムッソリーニ政権崩壊後のシークエンスではフォトフレームの中でしか登場しないので、ジュリアの母親は何らかの理由で死亡していると思われる。
サンソン自身は2003年ボローニャにて死去。
結婚を前に告解するマルチェッロ。少年時代、リーノに肉体関係を強要された男色のトラウマがここで明かされる。
「罪は悔いた。許しは社会から受けたい」
「やがて犯すことになる罪を懺悔しておく」
「血を拭うのは血だ」
「社会が求める代償は必ず支払う」
マルチェッロの告白はマーティン・スコセッシ作品のキャラクターのセリフを思わせてクールだ。
リーノ(パスクァリーノ・セミラマ)を演じるピエール・クレマンティは、パリ出身の俳優。ヴィスコンティに見い出され、『山猫』(1963年)に出演。ベルトルッチとは『パートナー』(日本正式公開名『ベルトルッチの分身』)で既に組んでいる。しかしクレマンティと言えばやはりルイス・ブニュエルの『昼顔』(1967年)だ。
ベニート・ムッソリーニの独裁政権を受け入れた当時のイタリア国民を象徴させる意味でベルトルッチが独自に創作した盲人たちのパーティのシークエンス。パラマウントから短縮するよう要請され初公開版からは削除された。イタロ・モンタナーリを演じたホセ・クァーリョは『1900年』にも出演した。
1990年代初め、テレシネ作業のためパラマウントに招聘されたヴィットリオ・ストラーロは、当時カットされたネガフィルムが無傷で現存していたことに驚き、完全な復元に成功する。
天井から下がってる様々な形や色の照明はチャイニーズ・ランタン。ベルトルッチの中国趣味は同時にゴダールへの嫌がらせとも映る。