1983. Japanese. B2. Rolled.

世界中の『気狂いピエロ』の全ポスター中最も素晴らしいこのデザインは、小笠原正勝氏によるもの。
ベルモンド、カリーナ、フラー、陽光、ダイナマイト、海、コミック、爆炎。
原色使いによるめくるめくイメージ群が一枚の紙の上で乱舞する。
小笠原氏はこの映画のイメージを劇画的に再現したかったという。
これこそが『気狂いピエロ』である。

■洗脳

 この作品について一体何を語ればいいのか。何を言っても無意味で興醒めな気がする。昔も今も。

 1983年4月2日、今は無き「有楽シネマ」でのリヴァイヴァル公開の初日、17歳だった小生は朝早くから並んでこの映画を見た。そして2時間弱の上映の後、茫然自失となっていた小生。アクション映画?恋愛映画?犯罪映画?政治映画?コメディ?ミュージカル?ロード・ムービー?・・・・たった今まで自分が見ていたものは一体どんな類の映画だったのか。いや、そもそもあれは本当に映画だったのか。
 頭の中を嵐となって吹き荒れ、多感な少年の感受性を引っ掻き回し、通り過ぎて行った、かつて味わったことのない体験。併映の『勝手にしやがれ』が霞んでしまい、ロクに印象に残らぬまま有楽シネマを後にした小生は、まだ日が高かったにも関わらずどこへも寄り道せず帰途に着いてしまった。
 何時間もボーっとしていた。世界が違って見えた。叫んだり、走ったりする衝動を抑えていた。近くに樹があれば昇り、拳銃があれば撃ち、海が広がっていれば跳び込んだはずだ。そして確信する。「映画だ。これが映画だ。『気狂いピエロ』が映画なのだ。いやゴダールそのものが映画だ」と。
 これを「洗脳」と言わずして何と言えばいいのか。

■YMOの曲名だった

 1982年、雑誌ぴあのフランソワ・トリュフォー作品の特集上映で、『突然炎のごとく』を見た時から「ヌーヴェル・ヴァーグ」に関心を抱き始め、いろいろと文献などを漁るうちにジャン=リュック・ゴダールの『小さな兵隊』の場面写真をいくつか発見。それらがムーンライダーズのアルバム「カメラ=万年筆」のジャケットの元ネタだと判明し、ゴダールへの興味は最高潮に(YMOの初期の楽曲には「東風」「中国女」「気狂いピエロ」などゴダール作品のタイトルを戴いたものがあったのは知っていた)。
 その時に植え付けられたヌーヴェル・ヴァーグに対するイメージ・・・・モノクローム、コンクリート、犯罪組織、拳銃、政治、サングラス、女、拷問・・・・今思うとヌーヴェル・ヴァーグと言うよりはアンジェイ・ワイダ作品『灰とダイヤモンド』やジャン=ピエール・メルヴィルの一連のフィルム・ノワールが持つキー・ワードのようだが、初期のゴダール作品がメルヴィルをリスペクトしていた事実を考えればハズレてはいないはずだ。
 『気狂いピエロ』はそんなヌーヴェル・ヴァーグの伝説の作品、名作として小生の知るところとなり、その一風変わったラヴ・ストーリー(最後主人公がダイナマイトで爆死するのも知っていた)に想像力が膨らんだものであった。

■自由の空気

 海と太陽、悲壮感ただよう音楽、南仏の眩しい自然、パリから逃れて来た男と女、溢れる原色、武器密輸組織、言葉の洪水、女の裏切り、ダイナマイト・・・・フランスNO.1のアクションスター、ジャン=ポール・ベルモンドが文学的・内省的なセリフ(どれも引用ばかり)を語り、歌い、叫び、軽やかなアクションを見せ、当時ゴダールとは離婚したばかりだったアンナ・カリーナが憂いのある美貌とエキセントリックな言動で蠱惑的なファム・ファタルを演じる。
 ゴダールとの名コンビ、ラウール・クタールの名撮影が捉えた、この映画に映り込んだすべてが、とにかく鮮烈と言うほかなく、ゴダールによるカラー作品の頂点を極める美しさである。そしてクタールの画を、お得意のメチャメチャな編集とブツ切りの音楽(作曲者アントワーヌ・デュアメルには気の毒だが)でもってコラージュするゴダールの映画文法。自然のもたらす開放感もあって画面上には「自由」の空気が溢れているが、映画の法則からも軽やかに跳躍するゴダールの作風こそが、この作品に「自由」を定着させたと言える。

■2度と来ない波

 あふれる言葉とスタイリッシュな映像で語られる2人の逃避行は、ギラギラしているが乾いていて、コメディのようでいて深刻で、愛に溢れていると見せかけて空虚で、破滅的で明るく、天国のようで地獄だ。
 恋人を撃ち殺した後自分も顔にダイナマイトを巻いて死ぬ主人公の悲劇的なラストは、ベルモンドのピエロ顔と面白い声によって滑稽さと可笑し味が漂い、導火線に点火したものの慌てて消そうとするが間に合わないバカバカしさのせいで、まったく悪い冗談のようだ(実際有楽シネマの場内は爆笑に包まれた)。そして、海と空が溶け合った時にベルモンドとカリーナの声で囁かれるのはランボーの詩「地獄の季節」の一節だ・・・・「見つかった」「何が?」「永遠が」「太陽が」「海にとけこむ」。
 ちなみに小生の最も好きなセリフはベルモンドの「僕は地中海水平線上の巨大な疑問符だ」(いずれも83年版字幕スーパー)である。

 1975年、『ジョーズ』に魅了されて足を踏み入れた映画の世界が足元から揺らぎ、自分の中で映画というフォーマットが一気に初期化された瞬間だった。前年の夏にあれだけ夢中になった『ブレードランナー』でさえ忘れ去られてしまった。以後しばらくの間は、それまで好きだったハリウッド大作を含むアメリカの娯楽映画への興味を一切失ってしまった期間が続く。とにかく凄まじい衝撃だったのだ。
 この作品を見たのが17歳の時で良かったと思う。その時点での小生にとって最大レベルで機能したのだから。そしてあの波はもう2度とやっては来ない。人生においてたった1度だけ訪れる映画体験、それが『気狂いピエロ』だった。

■小笠原デザイン

 83年リヴァイヴァルに際しフランス映画社が制作したポスターはとにかく素晴らしいデザインだった。
 トリコロールの明朝体で大きく縦に書かれたタイトルの両脇に並んだ場面写真の数々。原色が炸裂し、ストレンジな人物たちが入り乱れる「万華鏡」のようなこの作品にとって、これ以上の図案は考えられなかった。
 だから数年後にフランス版オリジナルポスターを初めて目にしても大した感動は覚えなかった(もちろん日本での初公開版ポスターにもである)。小笠原正勝氏によるリヴァイヴァル版デザインの方が圧倒的に「らしく」見えたのだ。つまり、これも洗脳だったと言える。

小笠原正勝氏へのインタビュー


チラシ裏面(左)と前売り券。
チラシ上部に配置されたタイトル・ロゴに小笠原氏ならではの遊び心がうかがえる。
前売り券のデザインは、ポスターのイメージをアレンジ・移植したものだという。
ちなみにパイオニアLDCからリリースされたレーザー・ディスクのジャケットは
小笠原デザインを真似ただけで、小笠原氏によるものではない。
この公開年に芳賀書店より刊行されたシネアルバム「ゴダールの全映画」
のカバーも小笠原デザインを意識した体裁になっている。