1983. British Quad. 30X40inch. Rolled.

サム・シェパードが似てない。バーバラ・ハーシーも似てない。アストロノーツたちの顔も描かれてない。
他にフランス、イタリア、スペインでもこのイラストが採用された。右下、よく見るとコンコルド社とのタイ・アップが。
イギリスではイェーガーが歩いている写真を採用したヴァージョン(ドイツ版と同じ)も制作された。

■アストロノーツ・ワイフ

 冒頭で「正しい資質」を持つ者を夫に持ってしまった女性の苦悩を見事に表現するパメラ・リード(ゴードンの妻役)も印象的だが、アストロノーツの妻たちの中で最も大きな見せ場を受け持つのは、ジョン・グレンの妻アニーを演じるメアリー・ジョー・デシャネルだ。吃音というハンデを持つアニーを何が何でも守り抜こうというジョン・グレンの正義感が、NASA上層部や副大統領の思惑を蹴散らすシークェンスが痛快であり、彼のスター性を裏で支えているのがこの地味な女性であることが何よりも興味深い。ちなみにアニーを演じるメアリー・ジョー・デシャネルは、この映画の撮影監督キャレブ(ケイレブ)・デシャネルの夫人、つまり女優のズーイー・デシャネルの母親にあたる。

■脇役たちの宴

 脇を固めるのは、この後『ザ・フライ』でブレイクするジェフ・ゴールドブラムや、『冷血』でロバート・ブレイクの相棒を演じたスコット・ウィルソン、後にアニメ「ザ・シンプソンズ」で隣人ネッドやスキナー校長の声優を務めるハリー・シアラー。前年に公開された『遊星からの物体X』からドナルド・モファットとデヴィッド・クレノンの2人がキャスティングされているのも、あの映画のファンにはうれしいところだ。
 クライマックス、ジョン・グレンの乗ったフレンドシップ7号がアクシデントに見舞われるシークェンスで、オーストラリアの原住民=アボリジニの超自然的パワーが活躍するのはご愛嬌だが、そこで登場するのは、世界一有名なアボリジニ、デヴィッド・ガルピリル。ニコラス・ローグの『美しき冒険旅行』やピーター・ウィアーの『ザ・ラスト・ウェーブ』の彼である。

 そして、チャック・イェーガーの頼りになる相棒(ガムの貸し借りのバディ感が最高だ)=ジャック・リドリーを演じただけでなく、この映画の最初と最後にあるナレーションを担当したのは、「ザ・バンド」のメンバーであるレヴォン・ヘルムだ。公開から20周年を記念して制作されたドキュメンタリーでもヘルムはナレーターを務めている。
 若き頃ロックにも手を染め、ボブ・ディランのツアーにも同行した経歴のあるサム・シェパードと、ザ・バンドのヘルムには、ロック・マニアならピンと来る人脈地図でもあるのだろうか。ちなみに二人とも担当楽器はドラムスである。
 シェパードがヘルムを連れて来た、と言い切ることなどは出来ないが、薄っすら口髭を生やしたマーチ看護婦を演じたジェーン・ドーナッカーは、間違いなくサム・シェパードが推したキャスティングだろう。彼女はもともとロック・シンガーで、シェパードが書いたジャズ・オペラに出演していた舞台女優だった。映画は『ライトスタッフ』の他には1本だけ。1986年、ラジオ番組の交通情報をレポートしている最中にヘリコプター事故で死亡している。38歳だった。

 記者会見場だけでなく、アストロノーツたちの妻が取材するため自宅にまで押し寄せる記者たちがコミカルだ。一団となって彼らを演じているのは「ボローニャ・ブラザーズ」というコメディ劇団である。他のキャストとは異なる喜劇役者ならではのオーバー・アクションが、NASAに翻弄されるマスコミの姿をカリカチュアライズしていて楽しい。この辺りにもフィリップ・カウフマンのキャスティング・センスが光る。



1983. Australian. 27X40inch. Folded.

7人の英雄をバッサリ切ってチャック・イェーガーと妻グレニスのみをフィーチャーしたオーストラリア版。
雲海とイェーガーのシルエットがイイ感じだ。

■ビル・コンティ

 誇り高き男たちのドラマを勇壮なスコアで盛り上げるのは『ロッキー』で有名になったビル・コンティ。ホルストの組曲「惑星」へのオマージュまで遠慮なく織り込んだ印象的な楽曲の数々で、コンティはオスカーを受賞している(そもそも暫定的に付けられたサウンドトラックには「惑星」があったのだ)。
 しかし、彼の仕事はかなりのハードスケジュールだった。通常は脚本段階から参加し、ラッシュ・フィルムを見て作曲を開始するものだが、なんとコンティは編集済みフィルムが完成してから召喚された。監督の意図を理解出来ずにいた作曲家が降板した果てのピンチヒッターだったのだが、この前任者とは、なんとジョン・バリーであった。
 『2001年宇宙の旅』、『フレンジー』、『チャイナタウン』・・・・映画史においてこのような選手交代劇が、どれだけの名サントラを生んだだろうか。

■3時間13分

 劇場公開版を見ていない小生は、つまり日本で上映された2時間40分の短縮ヴァージョンを見ていない。全長版しか知らない身としては、どこをどうカットしたのか理解し難い。せっかくランス・ヘンリクセンをキャスティングしておきながら彼の見せ場は無い、というアストロノーツたちの描き方に偏りのある3時間13分の全長版でさえ不満があると言うのに、だ。
 当初この作品は5時間あったという。長尺の映画をそのまま公開したり、前後篇に分けて公開したり、という慣例が罷り通っている現在なら、もっと長かった当初の『ライトスタッフ』を見ることが出来たかも知れない。ちなみにDVDに収録されている削除シーンとやらは、たったの10分あまりである。
 同じラッド・カンパニーが製作した『ブレードランナー』同様、『ライトスタッフ』もまたヒットしなかった。アメリカでの最初の公開館数は、なんとたったの7館だったという。ビデオ市場が拡大するにしたがって作品の真価が問われ、徐々にカルト化し、今では名作扱い、という点でもこの2作品は似ている。ただし、『ライトスタッフ』の方はオスカーを4部門も受賞しているが。



1983. Yugoslavian. 49X69cm. Folded.

負傷しながらも無事生還したチャック・イェーガー。このようなショットは本編には登場しない。
クロアチア語のタイトルは「宇宙への道」といった意味か。

■月の光

 この映画最大の悪役は、英国人俳優ドナルド・モファット演じるリンドン・ジョンソン副大統領だ。マーキュリー計画とその英雄たちを政治の道具、権力を誇示するためのアクセサリーとしか考えないジョンソン副大統領を、愚かな小悪党として、カウフマンは徹底的に揶揄する。
 彼の出身地テキサスへ時の英雄たちを夫妻で迎えての盛大な祭り。次期大統領の椅子を狙うジョンソンのあからさまなPR作戦だ。他にも、アストロノーツ景気のおこぼれにあずかろうとする田舎者を描く場面に、カウフマンのさらなる悪意が見えるが、この祭りシークェンスの最後を飾るのは、ドビュッシー作曲「月の光」に合わせて踊るサリー・ランドなるダンサーのステージだ。しかし登場するやいなや思わず目を疑う。国家の英雄たちをもてなそうとテキサスの人間たちが知恵を絞った最高のアトラクションが、バックから神々しく照明を当てているとは言え、なんとヌードの踊り子なのである。
 このシークェンスでテキサス人の悪趣味を背負わされてしまったサリー・ランドは、もともとは映画女優だったが(芸名の名付け親はセシル・B・デミル)、鳴かず飛ばずで、ダチョウの羽根で作った大きな扇を手に踊るストリッパーとして名を馳せることになった人物だ。

 ステージを映したショットに苦笑せざるを得ない観客を察知するかのように、やがてアストロノーツたちもステージから目を外し、7人それぞれがお互いを見つめ合い、自分たちがやり遂げて来た偉業を沈黙のうちに讃え合う。
 「月の光」の美しい調べと見事にシンクロしながら、巧みな編集によってインサートされるこのショット群にこの大作のクライマックスを委ねたカウフマンの詩情。「正しい資質」の裏側にある機微を、俳優たちの表情の一瞬でもってとらえるキャレブ・デシャネルの撮影。
 「月の光」をBGMに視線を上へと向ける彼らの姿にオーヴァーラップするのは、来るべき「アポロ計画」だ。



1983. German. 60X85cm. Folded.

クライマックスでのイェーガーの雄姿をフィーチャーしたドイツ版2種。ドイツでのタイトルは「英雄たちの資質」といった意味。
実際には無いNF−104の空中爆発や、墜落後の機体まで描き込んでいるイイ加減さが微笑ましい。

■正しい資質

 そしてこのクライマックス・シークェンスには、「正しい資質」を持つもう一方の英雄がとるエクストリームな行動の一部始終が、完璧に呼応して描かれる。最新鋭機NF−104のテスト飛行に無断で繰り出すチャック・イェーガーだ。
 大学を出ていないだけでなく、「あいつは気難しい」という理由で、いち早くマーキュリー計画の候補から外されたイェーガー。ミッションにしくじったガス・グリソムを擁護する洞察力と優しさを見せていたイェーガーだが、今まで表沙汰にすることのなかったルサンチマンを、あの涼しげなマスクから読み取らねばならないだろう。そして、本格的なスペース・エイジの到来を前に、引導を渡されてしまった者が叩きつける最後の誇りを。
 宇宙へ行って帰って来た男たちが場違いなファスティバルでもてあましているショットの合間に挟まれるのは、NF−104操縦席で限界に挑戦しようと目論むイェーガーの姿だ。音速の壁を破った最初の英雄が今目指しているのは、高度。
 だが、限界まで高みにのぼりつめ、大気圏の向こうに広がる星空を目前に、イェーガーの乗った機は、彼が宇宙の住人となることを許さない。失速した機はやがて錐もみに急降下を始め、制御不能に陥ったコクピットからイェーガーはイジェクトし、雲の中へと消えて行く。

 轟音とともに地表から立ち昇る黒煙。駆け付けた相棒ジャックの視界に、陽炎に揺れる地平の向こうから、黒こげになりながらもガムを噛み噛み現れるイェーガー。「正しい資質」の不滅と「フロンティア・スピリット」の不屈を高らかに謳うこのサム・シェパードのファイナル・ショットに、ビル・コンティの勇壮なスコアがエールを贈る。
 この後に続く、マーキュリー計画最後の宇宙飛行士=ゴードン・クーパーの打ち上げ、というラストシーンに、後日談的な軽さしか持たせていないのは、この作品の真の英雄がチャック・イェーガーだったことを刻印するためだ。

■初上映

 VHS、レーザーディスク、DVDという映像メディアの変遷を経て、2010年開催の「午前十時の映画祭」において、全長版の『ライトスタッフ』は、初公開から27年後、我が国のスクリーンで初めて上映されることになった。
 実際の記録フィルムに酷似したX−1機の実験シークェンス。マジック・アワーで撮影されたテスト・パイロットの葬儀場面で、頭上を行く空軍機の編隊。パイロットたちのたまり場「パンチョの店」のノスタルジックな風合い。本物の航空母艦「コーラル・シー」でのロケ撮影。ジョン・グレンの凱旋パレードのリアリティ。これら贅沢な名シーンの数々で、撮影のキャレブ・デシャネルのこだわり抜いたカメラワークが冴えわたる。ケレンを一切排した堅実な撮影美学が、メインキャストだけでなく、小さな脇役にまでピントを合わせ、3時間以上に及ぶ群像劇を高解像度で視覚化する。
 スクリーンに投影された映像・音・ドラマの三位一体が小生を公開年の1983年に、そして物語の舞台である1960年代へと運び、映画という芸術が持つ「正しい資質」が小生を幾度となく震わせた。

 1993年ごろ、当時ロック・バンドをやっていた小生はこの映画を愛するあまり、「大気の精霊」「重力の虹」という2曲を作って捧げたことがある。『ライトスタッフ』は、まだ若かった小生にとってそれほどの作品だった。