■デヴィッド・フィンチャーの逆襲
『羊たちの沈黙』でスリラー&ホラーの新しい方向性を見つけたハリウッドは、いわゆるサイコ・スリラー作品を量産する。しかしそれらの多くは、謎の連続殺人犯を追うシリアル・キラー物というよりも、主人公が1人の狂人に付け狙われるストーカー物だった。どの作品も精彩を欠いた凡作ばかりで、ポスト『羊沈』と呼べるような作品は不在のまま。その間小生の目は、当時彗星のごとく現れたクェンティン・タランティーノや、ベルギー映画『ありふれた事件』などのインデペンデント系ヴァイオレンス作品へと向けられてしまったものだ。
しかし『羊たちの沈黙』から4年以上が過ぎた90年代半ば、あれを超える作品などもう現れないかも知れないと、サイコ・スリラーというジャンルへの期待も希薄になっていた頃、1本の映画が意外な人物の名前とともに登場した。
92年、デヴィッド・フィンチャーは『エイリアン3』でデビューしたものの、結果は内容的にも興行的にも惨敗であった。
ジェームズ・キャメロンによる『エイリアン2』の後だけにプレッシャーも相当なものであったはずだし、SF作家ウィリアム・ギブスンが最初に書いた脚本は寄ってたかってリライトされ、面白味に欠けるストーリーに成り果てていた。小生はこの『3』を失敗作であるとは思ったものの、駄作と片付ける気にはならなかったが(現在でもそう思っている)、それでもこの監督はもう撮らせてもらえないかも知れないという諦めが強かったのを記憶している。だが忘れかけていた頃にフィンチャーはとんでもない作品を引っ提げて戻って来たのである。
キリスト教の「七つの大罪」を7人の死で完成させようと連続<説教>殺人を敢行する犯人。彼との頭脳戦を強いられる博学な老刑事と血の気の多い若者刑事のコンビ。趣向を凝らした殺人現場は芸術作品のごとき美を湛え、意外な方法で「七つの大罪」が完遂される絶望的なラストは、カイル・クーパーによる画期的なタイトル・シークェンスとともにモダン・ホラーの伝説となった。
『セブン』は、アート・フィルムと化すことで『羊たちの沈黙』とのバッティングを避けただけでなく、サイコ・スリラーの極北に行き着いた悪魔的作品である。
この怖ろしい作品を書いたのは脚本家アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー。売れる前にニューヨークのタワー・レコードで働いていたウォーカーは、都市に充満する腐敗や恐怖を怒りと憎悪でもって脚本にブチまけた。まるで『タクシードライバー』のトラヴィス・ビックルのように。
たまたまTVで見た『刑事グラハム 凍りついた欲望』(1986年)が少なからずヒントになったようだが、このマイケル・マン監督作品は原題を「Manhunter」と言い、原作はトマス・ハリスの小説「レッド・ドラゴン」、つまり「レクター博士」シリーズの1作目である。
ウォーカーは『セブン』の脚本を「ニューヨークへのラヴレターだ」と述懐し、完成した映画を絶賛している。ちなみにサマセットとミルズ両刑事が顔を会わせる冒頭の殺人現場で床に倒れている死体がウォーカー本人。さらにフィンチャーが後に撮ることになる『ファイトクラブ』には、この映画の脚本を無記名で手伝った彼に感謝を込めて、「アンドリュー」「ケヴィン」「ウォーカー」という3人の刑事が登場する。
降りしきる雨、不健康な空気・・・・リドリー・スコットがありがたみの無い薄っぺらな作品を量産するようになり、アラン・パーカーも『ミシシッピ・バーニング』を最後に勢いを失った90年代、その欠落を埋めるのにフィンチャーのヴィジュアリストぶりは充分であった。1カット1カットがあれほど画になってる映画も久しぶりだった。
撮影は『デリカテッセン』のジュネ&キャロ組のカメラマン、ダリウス・コンディ。フィンチャーは前作『エイリアン3』の撮影監督に『ブレードランナー』のジョーダン・クローネンウェスを起用したが、その遅々とした仕事ぶりから20世紀フォックスはクローネンウェスを降板させてしまう(その後念願かなって「コカコーラ」のCMでクローネンウェスと組むことに)。ヴィジュアリストとしての面目躍如とばかりに『セブン』で見せたコンディとのコラボレーションは、『ブレードランナー』のスコット&クローネンウェスのコンビに匹敵するクオリティである。しかも「銀残し(シルヴァー・リテンション)」と呼ばれる特殊な現像方法まで用いてダークな映像を作り上げるという完璧ぶりだ。「銀残し」とは、『おとうと』(1960年)をモノクロで撮りたかった市川
崑監督が、絶対にカラー作品でと望む大映側との折衷案として編み出した現像方法で、モノクロのように沈んだ色合いと強いコントラストを可能にする技術。『セブン』をきっかけにハリウッド映画(『プライベート・ライアン』など)で大流行した。
1960年代から『イージーライダー』『カッコーの巣の上で』など、数多くの名作でスティル写真のカメラマンを務めてきたピーター・ソレルによる写真7枚を、数字の「7」の形に配置したアドヴァンス版ポスター。宗教画にあるような文字を使った上部のコピーは「Let
he who is without sin try to survive」(罪なき者だけが助かる努力をせよ)。福音書にある、姦通罪により石打ちの刑を言い渡された女性をめぐってイエス・キリストが投げかけた言葉「罪なき者だけが石を投げよ」が元ネタである。かなり猟奇的な匂いのするデザインだが、これでも大人しい方だ。クライテリオン版LD−BOXには、もっと気味の悪い初期ポスター案が収録されている。ボツになったのが惜しまれる素晴らしいデザインが多数。
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