WALKABOUT
『美しき冒険旅行』(1971年)


1971. Australian. 27X40inch. Folded.

折り目に沿った劣化が全く見られない、ほぼ無垢な状態で手に入った。
US版に比して写真の精度は甘いが、紙質・インクのりに独特の風合いがある。
最下部に「NOT SUITABLE FOR CHILDREN」とあるのは豪州版だけ。
当コレクション中ベスト3に入るほど、このデザインを気に入っている。

■「あなたが見るどの映画ともまったく違う」

 イギリスの鬼才ニコラス・ローグ監督の長編デビュー作。
 タイトルの「Walkabout」とは、オーストラリアの先住民=アボリジニの間に伝わる通過儀礼。16歳になると荒野へ放り出され、ひとりで狩りをしながら生き延びねばならないこの「成人式」は、数か月にも及ぶという。

 熱狂的なファンを持つローグだが、中でもこの作品を最高傑作に挙げる声は多い。滅び行く自然や文明への警鐘を基本に据えながらも、決して説教臭い印象がないのは、ローグのエキセントリックな演出の妙、暴力的なまでに美しい映像、そして何よりも少女を演じるジェニー・アガターの瑞々しい「ロリータ性」が要因であろう。

 夜明けの空をバックに槍を持つアボリジニの少年(黄色い枠のせいでさながら「ナショナル・ジオグラフィック」の表紙のようだ)とオアシスで水浴するジェニー・アガター(この映画の白眉である)。このポスターのデザインに、かつて無いほどイマジネーションをかきたてられ、肝心の作品を見る前にポスターを購入してしまった。その後輸入版DVDで見ることになる。
 ジョン・バリーによるリリカルなスコアが、時に残酷な映像(カンガルーを捕獲・解体するシーンなど)をも映し出すこの作品を全編に渡って美しく支配し、セリフが少なく説明も一切無いこの物語にとって重要なガイドとなっている。エドワード・ボンドによるこの映画の脚本は、なんとたったの14ページしか無かったという。



1971. US 1sheet. Style B. 27X41inch. Folded.

絵柄もタイトル・ロゴも全く違うアプローチのUS版ポスターのスタイルB。
それぞれバラバラのシーンから抜き出された「炎上するワーゲン」「姉弟」「アボリジニ」が一同に会する。
ジェニー・アガターとリュシアン・ジョンは下のスティルが元ネタ。








リュシアン少年はともかく、ジェニー・アガターがどこの誰だかわからないドブスに!




1971. US Half Sheet. 22X28inch. Rolled.

■「アボリジニと少女、3万年を隔てて・・・いっしょに」

 ラジオのチューニング・ノイズが不穏に響いて、映画は幕を開ける。続いてアボリジニの伝統管楽器「ディジュリドゥ」が低く唸る中、大都市シドニーのモダン・ライフがソリッドに切り取られ、主人公たちの学校生活がドキュメンタリックに提示される。このオープニング・シークェンスに、まず魔の予兆が感じ取れる。

 父親は子供たちを砂漠のピクニックに連れ出し、突如彼らに向かって拳銃を発射し自殺してしまう。動機が語られることはない。子供たちが砂漠を彷徨うことになるきっかけからして、どうにもエキセントリックである。
 英国人のお譲ちゃんお坊ちゃんにとって、未開の砂漠はもちろん地獄。しかしほどなくして「Walkabout」の最中であるアボリジニの少年と出会った時から、灼熱の地獄は生まれて初めて体験するプレイグラウンドへと変貌する。

 言葉が通じないながらも、歩き、食べ、飲み、遊ぶうちにやがて家族のようになって行く3人。
 主演のジェニー・アガターは実際には当時16歳。すでにイギリス映画界では子役として売れていた。弟役のリュシアン・ジョン(当時7歳)はニコラス・ローグの実子で映画出演はこれ1本のみ。彼はその後「リュック・ローグ」としてクローネンバーグ作品『スパイダー』のプロデューサーに名前を連ねたりしている。
 アボリジニの少年を演じたデヴィッド・ガンピリル(現ガルピリル。当時推定17歳)はこれがデビュー作で、その後ピーター・ウィアーのSF作品『ザ・ラスト・ウェーブ』や『ライトスタッフ』、『クロコダイル・ダンディー』などに出演することになる、世界一有名なアボリジニだ。

 演技に関してはド素人の男子2人に対して、女優としての萌芽が眩しいジェニー・アガター。少年との関係が微妙に変化を見せるところが物語の要である。
 自然の中において彼は「食べ物を運んでくれる父親」「一緒に遊ぶクラスメート」「初恋の相手」であり、力強い野生の象徴だが、しかし長い旅路の終焉、ある空き家(=文明)にたどり着くやいなや、アボリジニはヘナヘナと「黒人奴隷」に成り下がってしまう。追い打ちをかけるように白人ハンターによる野生動物の乱獲を目撃し、彼の心は一層沈む。
 その後何をか思い立った少年は、家の周囲で一晩中奇妙なダンスを踊る。求愛のパフォーマンスだとすぐに判明するが、その想いは少女に届かない。翌朝、アボリジニは樹と一体化したように死んでいるのを発見される。彼の通過儀式は、こうして予期せぬ形で終わってしまった。
 涙を見せるでもなくその空き家を後にした兄弟は、ほどなくして文明の入り込んだ地帯へと辿り着き、少女と弟の「Walkabout」もあっさりと幕を下ろす。ラストで提示されるのは、成長して主婦となった少女がキッチンで料理をしている場面だ。煙草を吸い、カンガルーのものであろう生肉を刻む彼女の瞳に、かつての輝きは無い。
 帰宅した夫をよそに遠い目をする彼女の先にあるものは、アボリジニの青年と14歳の自分と6歳の弟が全裸になって遊ぶ楽園・・・・完璧な楽園の光景だ。英国の詩人A・E・ハウスマンの詩集「シュロップシャーの若者」からの一節がナレーターによって読み上げられる。

 遥かな国より吹く風に
 私は肝を冷やす
 あの輝かしき山は何だ?
 あの若葉や農場は何だ?
 それは中身の失われた土地
 輝いてる
 その楽しき道程は
 二度とたどれない

 (日本語字幕より)

 そして兄弟が脱ぎ捨て抜け殻のようになった学生服が映し出され、ジョン・バリーのテーマ曲が高らかにリプライズして物語を封印する。
 思春期の甘美な記憶。少女性の核にある残酷。異世界での幻のような日々。
 このラストシーンを目にするたびに胸にこみ上げる感情を、いったい何と呼べばしっくり来るのだろう。

 モンド映画のようなポスター・ヴィジュアル、そして『美しき冒険旅行』という言い得て妙な邦題とともに、この映画は小生をあの楽園に繋ぎとめ続ける。



1971. US Insert. 14X36inch. Folded.