2009年ポスターマン映画大賞



映画館で見た総数

103本  邦画を含むアジア系作品がこれほどパワフルだった年も珍しい。
 こんな映画をベスト1に選ぶことに躊躇していた僕を、「こんな映画をベスト1にするのはとおるさんだけなんですよ!」と後押ししてくれた友人のナヲさんにこの場を借りて感謝する。こうなったら他人からどう言われようと、もう関係ない。誰からも見向きもされないこの映画を、深く深く愛してしまった自分が愛おしくすらある。
 僕は、乙女だったのである。
外国映画 61本
日本映画 42本



■ベスト10

2009年に公開された新作映画から10本を選びました。
日記更新をさぼってたせいでかなり長めの感想ですが。

1位 『プライド』
 うっかりしていた。大変な地雷を踏んだ。原作が一条ゆかりのコミック(映画を見た時点では未読)、監督はあの金子修介、『愛のむきだし』の満島ひかりが出演している、というだけの前知識のみでこの作品と向かい合ったことが、僕に今年最高の映画体験をもたらした。

 かたや名オペラ歌手を亡き母に持ち豪邸に住むお嬢様、かたや親の愛情も知らず貧乏に喘ぎながら音大に通う苦学生。同じオペラ界の金の卵でありながら、生まれも境遇も異なる2人の女性の「Rise&Fall」、そして「Love&Hate」を、高密度に圧縮して閉じ込める容器が、どういうわけか銀座の高級クラブ。
 主人公を演じるのは、重力をものともしないダイナマイトボディと時折りニューハーフに見える特殊な美貌で幻惑するステファニー。そして、二重人格のように表情と言動をコロコロ変えてステファニーに嫉妬と憎しみをぶつける満島ひかり。
 この2人に絡むのが、この映画のこの役を演じるために芸能界入りしたような及川光博。高級クラブに生まれて高級クラブで育ったようにしか見えない高島礼子。なぜか女装してピアノを弾く渡辺大(渡辺謙の息子)。シャンパンを抜いた直後に土下座するジョン・カビラ。「ホットショコラ」というセリフを世界一憎々しげに吐く由紀さおり。満島ひかりの手にゲロを吐く長門裕之などなど、まともとは言い難いキャラクターたちが濃厚な空気を醸成する。

 「ご都合主義」などという言葉が霞むほどの暴力的な展開と、満島ひかりのおかげで一瞬先も読めなくなってしまうドラマのせめぎ合いに、茫然と爆笑と放心を繰り返すしかなかったが、やがてこの映画がなぜ学芸会並みの芝居しか出来ないステファニーと満島ひかりというキャストを必要としたのかが判明した瞬間、僕はこの狂った世界へと引きずり込まれた。

 それは彼女たちの歌である。ミュージカルなどではないこの映画の、オペラのオーディション以外全ての歌唱シーンが彼女たち自身によるものなのだ。
 ステファニーが何者であるかも、満島ひかりがどういう経歴の持ち主であるかも知らない僕は、それぞれがソロで歌う場面、そして何よりも2人のデュエット場面で我が目と耳を疑い、その驚きはさながら『デス・プルーフ』で疾走するダッジから身を乗り出したゾーイ・ベルを目撃した時のようだった。

 20年以上前、萩尾望都のコミックを『1999年の夏休み』として映画化した際に、少女に男子を演じさせて声優に吹き替えさせるという離れ業をやってみせた金子修介は、今回も少女漫画が持つやり過ぎ感や多幸感といった特権を独特の嗅覚で抽出し、「歌のリアリティ」をバネにして、コミックが映画へと着地するアクロバットを見事にキメた。

 ステファニーが歌い、満島ひかりが客を同伴し、渡辺大が女装でピアノを奏で、高島礼子が客を迎える、巨大なシャンデリアの下がったあの高級クラブが建つのは銀座の「並木通り」である。街頭のネームプレートが繰り返し映し出され、そこには特殊な磁場が渦巻いていることが示される。まるで「あの映画」のように。
 ポール・ヴァーホーヴェンが大映テレビドラマを撮ったかのごとき過剰な描写群にのけぞり、ステファニーが放つエロティックな光線と満島ひかりの小悪魔的なルックが引き起こす化学反応に幾度となく目がくらみ、そしてクライマックスで渡辺大のピアノをバックにお互いを確かめるように熱唱する2人の姿に目を細めるに至って、僕は「その作品」をこの映画の横に並べることに何の躊躇も感じなかった。

 『プライド』は、もうひとつの『マルホランド・ドライブ』である。



2位以下はこんな感じ。

2位 『愛のむきだし』
 『プライド』への偏愛をひとまず横に置けば、この年最大の収穫はどう考えてもこの作品だったし、ここ数年の邦画界を見渡してもこれほどパワフルな作品は無かった。今年劇場に3度も足を運んだのはこの作品だけ。縦横無尽に疾走するシークェンスのせいか、その過剰なエンターテインメント性のおかげか、時に一瞬の煌めきであり、時に永遠とも思えるほどに、上映時間4時間という実時間は、かつて体感したことのない「映画時間」へと歪んだ。

 満島ひかり(『DEATH NOTE』で見ていたことを忘れていた)という珍獣への愛に目覚めたのはもちろんだが、この作品の駆動力となった安藤サクラの放つ強力な磁場が恐ろしくも魅惑的だったと言わねばなるまい。主人公2人を手玉に取る悪魔=コイケという役柄を、演じるのではなく、あの不細工かつエロい顔でもって引き寄せて見せた才能は、父が奥田瑛二で母が安藤和津という「特殊能力」だったことが判明し、納得。さらに、珍獣と悪魔に挟まれた主人公ユウを、実にイノセントな相貌を持つ西島隆弘(なんと映画初出演だ)が演じたおかげで、この異形の恋愛譚には確かな説得力がある。

 見終わって実時間に引き戻されるも、頭の中ではゆらゆら帝国の主題曲「空洞です」が鳴り続け、僕は「たった今まで見ていたものは一体何だったのか」と首を傾げ、そして喪失感のようなものを味わいながら映画館を後にした。あの映画の中に何かを置いて来てしまったような気がしていた。戦場から帰還した兵士とはこんな気持ちなのだろうか。
 かつてサミュエル・フラーが『気狂いピエロ』の中で映画について語ったセリフを引用するまでもなく、こう言うしかない。
 僕は、愛がむきだしにされた戦場にいたのだ。
3位 『レスラー』
 屈強なモンスターどもが、抱き合い、談笑し、お互いの功績を褒め称え、励まし合い、その日の試合について仲良く打ち合わせをする。今まで目にしたことの無かったプロレスラーの楽屋での意外な光景に、思わずズッコケ、笑ってしまう、そんなオープニングでツカまれた。伝説のレスラー=ランディ・ラムになり切ったミッキー・ロークはもちろん見事だが、彼を取り巻くレスラーたちがすごくいい。ランディへのリスペクトを熱く語る若手から、かつて一緒に戦い今はボロ布のようになったロートルまで、皆いい。ゲイすれすれに見えるプロレスラーたち独特のソーシャリティに共鳴し、熱くなる喜び(僕はゲイじゃないけどね)。

 ミッキー・ロークという肉体を得て、手垢にまみれたような典型的復活劇がまだまだ有効であることが示されたわけだが、簡単な話、いつの時代も男はこういう物語が好きなんだよね。そして、笑いながら死に場所を選ぶ美学。昨年のベスト『エグザイル/絆』にも通ずる、滅び逝かねばならぬ者のロマンティシズムがここにはある。
 ちなみに、これはダーレン・アロノフスキーが撮った最初の傑作である。
4位 『母なる証明』
 恐らく、ポン・ジュノのフィルモグラフィ中最も洗練されており、最もオリジナリティのある作品。『ほえる犬は噛まない』と『殺人の追憶』を個人的な好みとして別にすれば、『母なる証明』は彼の最高傑作だと思う。彼ほどの描写力・構成力があれば、この先どんなジャンルでも、たとえ他人の脚本であろうと撮れるはずだ。そう確信させるほど、この作品は「ポン・ジュノ・イズム」に貫かれている。

 くたびれてはいるが美しいキム・ヘジャ、完璧に空虚なウォンビン、他にも主人公を取り巻く人物たちの顔・顔・顔が、毎度ポン・ジュノ作品の物語展開の推進力になっているのはもちろん、さりげなく張られた伏線を回収するタイミングの良さも彼ならでは。舞台となる田舎町の夜景を映し出すショットが『殺人の追憶』を思わせて美しく(しかも今回はシネスコである)、刑事たちが米TV『CSI:科学捜査班』の話をするというセルフパロディまでやっている。女の子への少々屈折した愛着もステキだ(はっきり言えばロリコンだと思う)。ラスト、バスの中で踊り狂う母親を夕陽を背景に捉えたショットは、まるで『悪魔のいけにえ』の幕切れのようだった。

 というようにこの映画の魅力を語ることは出来るが、この映画がなぜ傑作なのかを解くのは難しい。どう良いのか、を語るのが難しい。こういう作品を見てしまうと、映画を語ることの根本的な無意味さを感じてしまうんだな。まいったね。
5位 『ディア・ドクター』
 『蛇イチゴ』で宮迫博之を詐欺師に仕立て上げた西川美和が、今回は笑福亭鶴瓶に偽医者を演じさせた。芸人(コメディアン)が持つ人の良さや恵比須顔の裏にある、何かゾクリとする得体の知れない怖さを、西川美和はちゃんと知っている。優れた洞察力を持っているからこそ西川美和の描くキャラクターたちは魅力的だ。『ゆれる』での香川照之が彼の他作品に比べて素晴らしいのは、西川美和の動物的な直感と理性的な演出力が卓越しているからだろう。そんな西川美和には、実はサスペンスやホラーが向いている気がする。西川美和はもしかして黒沢清に匹敵する才能を見せるかも知れない。なんなら、西川美和本人が出演したっていい。だって西川美和は本当に可愛いんだぜ。

 西川美和、現在打率10割という邦画界最高の打者である。

 以上、全センテンスに「西川美和」という言葉を入れてみた。
6位 『3時10分、決断のとき』
 強盗団のカリスマにして、スケッチを嗜む風流を備えたお尋ね者をラッセル・クロウが(『クイック&デッド』以来のカッコよさ)、3時10分発の護送列車に彼を乗せることで男の復権を果たそうとする貧しい農場主をクリスチャン・ベイルが(「バットマン」を含む彼の近作中で最高)演じ、道中さまざまな危険や確執を経て、クライマックスで展開する壮絶な銃撃戦に身をさらし、まさに男泣きのラストを迎える、西部劇久々の痛快作だった。
 ピーター・フォンダやグレッチェン・モルなどがさりげなく脇役にいてニクいが、ラッセル・クロウの凶暴な子分を演じたベン・フォスター(この人知らなかった)が何と言っても出色。

 これ、原作が『ゲット・ショーティ』や『ジャッキー・ブラウン』(「ラム・パンチ」)を書いたエルモア・レナードだったんだな。しかも1957年に映画化されてるらしい。でもその時は、ラッセル・クロウが演じた役はグレン・フォードだったんだそうだ。フォードには『ギルダ』を見てがっかりさせられたので、このリメイクは大成功だったと信じている。
7位 『スペル』
 帰って来た。やっと帰って来た、サム・ライミが。
 『死霊のはらわた』シリーズや『XYZマーダーズ』、『ダークマン』の頃の、ヒッチコックがドラッグと酒で悪ノリしながらハマーフィルム映画を撮ったような、まさに「ザ・サム・ライミ!」って感じのホラー映画だった。そういやヒッチコックもライミも撮影中はスーツにネクタイだ。
 呪いをかけられた主人公のなりふり構わぬサヴァイヴァーっぷりは爆笑の連続。凶暴な呪いババア相手に暴れたり叫んだり雨で濡れて胸ポチが見えたり、全てはアリソン・ローマン(と言えば『秘密のかけら』だっ!)のロリータ顔があってこそ。
 散々悪さをしておきながらも、この映画は『ヘルハウス』や『エクソシスト』へのリスペクトを持ち合わせ、堂々たるホラー映画として自信たっぷりだ。『エクソシスト』でボツにされたラロ・シフリンのスコアを使用する念の入れようだ。
 今年いちばん笑った作品。
8位 『コネクテッド』
 2005年に見た映画で5位にすべりこんだ『セルラー』をなんと今頃になって香港でリメイク。主人公をルイス・クーが、ウィリアム・H・メイシーが演じた警官役をニック・チョンが、そして裏切り者の刑事役をチョン・シウファイが演じるという、ジョニー・トー好きにはたまらないキャスティング。オリジナルの特許だったとも言える「携帯電話を使ったスリルとサスペンス」を踏襲しつつも、香港映画ならではのやり過ぎアクションと笑いのツボを盛り込み、オリジナルの弱点だった主人公のモチベーションやヒロインの設定を掘り下げて一気に見せ切るワザは、もう完全にオリジナルを超えたと言っていい。2006年の5位と今回の8位では、こちらの方が上なのである。
9位 『グラン・トリノ』
 このところ蓮實御大をはじめお偉い評論家連中の過剰な激賞っぷりにげんなりさせられているイーストウッド作品だが、今回は無条件で素晴らしいと感じることが出来た。こんなのは『許されざる者』以来だ。毎度「これが遺作になるか」とヒヤヒヤしているが、「この作品が遺作になればいい」と強く思ったのは初めて。小品ながらも、イーストウッドの映画人生の集大成としてこれ以上ないというほど円熟した演出に、彼の実人生の幕引きにふさわしいと思われる物語とメッセージ性を併せ持つ、「イーストウッドだねぇ」としか言いようのない作品。
 だが残念ながらこれが遺作にはならなかったんだな。
10位 『空気人形』
 ペ・ドゥナ、女優として一生に一度の役であろう。ペ・ドゥナにここまでやらせた是枝裕和に、パク・チャヌクもポン・ジュノも地団太を踏んで悔しがったはずである。彼女のブス可愛い顔と、美しい裸体、韓国人ならではのストレンジャーっぷりが、ダッチワイフが人間になるというムリな物語を可能にした。是枝がこれほど屈折した映画を撮れるヘンタイだったとは喜ばしい。
 創造主に会いに戻って来るシーンは『フランケンシュタイン』と『ブレードランナー』、血まみれのARATAに寄り添うシーンは『戦慄の絆』、ラストで捨てられた姿は『リバース・エッジ』、と映画の記憶が次々に開いたが、人間と創造物のセックスを描き、死して人間たちに種をまくという意味で、『ブレードランナー』が持っていたのと同質のスピリットとエモーションをこれほどまでに感じさせてくれた作品はなかった、と強調しておきたい。



■ベスト・アクトレス

2009年最も輝いていた女優。今年はベスト男優はナシで

満島ひかり  『愛のむきだし』(女子高生)、『クヒオ大佐』(博物館員)、そして『プライド』(歌姫)と、3本の映画すべてをほぼ同じ演技でやっつける根性と生命力に、ただただ惚れ惚れとした。彼女だったら実写版「エヴァンゲリオン」でアスカもやっつけられるんじゃないか、とすら思った。日本にはまだまだこんな珍獣が生息していたのだ。



■ワースト

2009年、ガッカリしたり怒りが爆発したりした作品たち。

 『スラムドッグ$ミリオネア』

 『おっぱいバレー』

 『チェイサー』

 『しんぼる』

 『グッド・バッド・ウィアード』

 『ロボゲイシャ』

 『アサルトガールズ』

 『パブリック・エネミーズ』
別に順位はつけないけど、まあこんなところ。

期待し過ぎてガッカリしたのは、『スラムドッグ$ミリオネア』と『チェイサー』。どちらも他人の評価、評判、賞レースの結果などを聞いて期待値がマックスに。もうよそう、ああいう風に期待するのは。『スラムドッグ〜』はもし前知識も無くフラッと見に行ったらなかなか面白かったという程度だし、『チェイサー』はどこかで見たようなシーンばかりでうんざりした。

 そりゃ綾瀬はるかがおっぱい見せるとは思ってなかったよ、僕もオトナだからね。でもあれほどまでに見せないとはね。それに作り手の「童貞ってこんなもんだろ」という上から目線が腹立って腹立ってよー。

『しんぼる』は、あのホワイトルームとメキシコ場面が平行してるまではそれほど腹も立たなかったけど、まー、何様のつもりかね、ああいう映画を作るってーのは。

『グッド・バッド〜』は、冒頭で日本人のVIPが連れてたチャイナドレスの女が今風の綿の下着はいてるってどうよ。フツー絹じゃね?もしくはノーパン。あれで見る気がかなり失せた。

 『ロボゲイシャ』はアクションがあまりにもヘナチョコだった。『片腕マシンガール』はもしかしてまぐれ当たりだったのか。

始まって10分ほどか、これを映画と言ってる奴に腹が立ち、こんなもんに金と時間を費やしてる自分に呆れ、もう押井守の実写映画(アニメだったら見るかも)は死ぬまで見ないと、『アサルトガールズ』を見ながら誓い、そして爆睡した。

 期待もしなかったが見たら意外にイケるかも、と思ったのが『パブリック・エネミーズ』だが、予想を大きく上回るつまらなさ。ジョニデがカッコよく見えたのは殺されるシーンだけだった。あと、マリオン・コーティヤールという女優が苦手であることが判明。



■00年代ベスト

この10年間を振り返って。
雑誌「映画秘宝」がやってるのを見て考えてみました。
8位以下の順位はそれほど厳密ではありません。
あくまでも今の気分ですので。

1位 『グラインドハウス』  もちろんタランティーノの『デス・プルーフ』が素晴らしいわけだが、『プラネット・テラー』〜フェイク予告編&CM〜『デス・プルーフ』という流れで1つの作品ということで。あれほど劇場に足を運んだのも珍しい
2位 『少林サッカー』  遡って過去作品を見まくったが、現時点ではシンチーの最高傑作。21世紀の『燃えよドラゴン』。ワールドカップ開催中に新宿ミラノ座で見た時のあの興奮と観客の熱狂ぶりを、僕は一生忘れない。
3位 『殺人の追憶』  田園、ソン・ガンホの暑苦しい顔、猟奇殺人、岩代太郎の美しい音楽。『セブン』と肩を並べられる作品はいまだにこれだけだ。ポン・ジュノという驚異の才能は00年代最大の収穫である。
4位 『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』  『旅の仲間』の序章っぷりには当時「え?」って感じだったが、『二つの塔』での戦争スペクタクルには心底圧倒された。3部作中最も多く見ているのがこれ。映画史における革命に立ち会うことの出来た喜び。
5位 『マルホランド・ドライブ』  最初に見た時は爆睡したものの、繰り返し見るうち結果的に『ブルー・ベルベット』に次ぐフェイバリットになってしまった。しかし、いまだに「なぜ」「どこが」好きなのか理解出来ていない作品。
6位 『エグザイル/絆』  『ブレイキング・ニュース』に夢中になり、『エレクション』を経て、この作品に至ってジョン・ウーの時代は完全に終わったと確信した。ジョニー・トーは香港ノワール界の小津安二郎である。
7位 『パプリカ』  「今 敏」という作家がここまで化けるとは思わなかった。00年代で最も僕の心をつかんだアニメであり、画が動くという奇跡に平沢進の音楽がぴたりと寄り添った時、僕は号泣だった。
8位 『ミュンヘン』  2001年9月11日の事件をモチーフとした映画は数多くあれど、72年のミュンヘン五輪テロ&復讐をかつぎ出すスピルバーグの視点と、それを娯楽映画として見せる感性に映画屋魂を感じた。
9位 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』  『ブギー・ナイツ』から10年、ポール・T・アンダーソンに感じていた過去と未来の橋渡し的役割をこの作品で最も意識した。キューブリック亡き今、スピルバーグを補完出来るのは彼なんじゃないか。
10位

『殺し屋 1』
『ドニー・ダーコ』
『ドッグヴィル』
『トラフィック』
『ロード・トゥ・パーディション』
『ロイヤル・テネンバウムズ』
『ヴァージン・スーサイズ』
『アダプテーション』
『エターナル・サンシャイン』
 10位以下にはこんな作品を。

 三池崇史も、ラース・フォン・トリアーも、スティーブン・ソダーバーグも、サム・メンデスも、次の来たるべき10年間を確実に面白くしてくれるであろう監督たち。

 そして『ドニー・ダーコ』(この監督は一発屋か)を含め、ウェス・アンダーソン、ソフィア・コッポラ、スパイク・ジョーンズ、ミシェル・ゴンドリーといった、「ポスト=ジム・ジャームッシュ」とでも言うべき、クールな死生観となんとも不思議な空気感と音楽センス(ヴィンセント・ギャロを含めてもいいかも)を持つ若い才能が台頭して来たのが、00年代の大きな特徴かも知れない。



この次はモアベターよ。
(by 小森和子)