2007年ポスターマン映画大賞


総数

109本  年々本数が減ってるなー。新作のリピートや名画座で再見した旧作などを除くと、全く初めて見る作品は80本だけ。しかし、それでも傑作の多い充実した年だった。期待せずに見て意外に面白かったという「拾い物」が多かったが、その最たるものが『デス・プルーフ』だった。
外国映画 73本
日本映画 36本


■ベスト10

2007年に公開された新作映画から10本を選びました。
タイトルをクリックすると日記ページが開きます。

1. 『グラインドハウス U.S.A.バージョン』




2. 『デス・プルーフ in グラインドハウス』




3. 『マリー・アントワネット』




4. 『ゾディアック』




5. 『ブラックブック』




6. 『300』




7. 『アポカリプト』




8. 『パフューム ある人殺しの物語』




9. 『リトル・チルドレン』




10. 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』
 「今年はリンチ・イヤーだ!」と盛り上がってたのも7月までだった。サンディエゴのコミコンで発表された『ブレードランナー』DVD−BOX発売という激震ニュースと『グラインドハウス』で、下半期は塗りつぶされてしまった感がある。

 1位・2位は別物としてランキングした。ロドリゲス派かタランティーノ派かで当初は意見が分かれたが、それぞれの単独バージョンを見た後では、本来あるべき姿の「U.S.A.バージョン」が見事に1本の作品として完成していたとわかる。
 『プラネット・テラー』が2本立てフォーマットから独立した途端に輝きを失ってしまったのと対照的に、『デス・プルーフ』の魅力は重要な追加シーンを多く含む単独バージョンで深化した。自分を育てた映画へのオマージュを上手にアレンジして、あくまでも理性的な「大人の映画作り」をして来たタランティーノだが、ここへ来て完全に弾けてしまった。いや、「映画の神」が微笑んだと言おう。『キル・ビル』の後だけに過度の期待はすまいと覚悟していたが、結局2本立て「U.S.A.バージョン」を3回、単独バージョンを3回も見るという体たらく。日記にあんなに長文の感想を書いたのも初めて。「ラバー・ダック」まで買う始末。

 今年は僕にとって、「伯爵令嬢」「アンジェリク」「ベルサイユのばら」といった少女漫画の傑作・怪作を読み耽った「乙女イヤー」でもあった。自分が乙女であることがよーくわかった。あの題材へのソフィア・コッポラのアプローチに目くじらを立てる人間もいたようだが、そういう輩は乙女ではないのだ。
 ベルサイユ宮殿を後にするアントワネットの表情と、見事な幕切れののち流れるTHE CUREがもたらす余韻に、かつて無い類のせつなさを覚え、それはかなりの時間持続し、そして僕の心の中で宝石となった。

 音楽の力は凄まじいものがあると久し振りに痛感した。ドノヴァンの名曲「Hurdy Gurdy Man」でサンドイッチされた『ゾディアック』。あの曲を以前のように聴くことはもう出来なくなってしまった。映画の出来うんぬんよりも、僕個人の映画・音楽体験に訴えかける要素の多かった映画。傑作、と言うよりも、「ツボ」である。

 5位はヴァーホーヴェンお得意の「やり過ぎ感」が相変わらず素晴らしいが、同時に彼が、正統派娯楽映画の作り手、サスペンスの語り手として世界でもトップレベルの腕を持っていることを証明した。ハリウッドでまだやるべきことがあったとは思うが、母国へ戻ってもこれほどの傑作を物にしたことは、ヒッチコックが『フレンジー』を撮った奇跡を思い出さずにはおれない。

 『シン・シティ』の手法をさらに推し進めた『300』は、実写ともアニメとも絵画ともつかぬ「新しい映画」の誕生を高らかに宣言した。その圧倒的な様式美も、過剰なケレンも、肉弾戦へのフェティシズムも、『ロード・オブ・ザ・リング』には無かった類のものであるが、あの3部作に全く無かった素晴らしいものが『300』にはある。
 それはジェラルド・バトラーである。

 有名俳優の不在、理解不能の言語を武器に、映画の持つ表現力の原点へと回帰し、「冒険活劇」の王道を復活させた『アポカリプト』。今年見た中では最も怖ろしい映画だった。日記には、ファーストシーンがコッポラの『地獄の黙示録』を思わせると書いたが、カメラの前を脚が横切る時の音がヘリコプターのローター音を思わせることを、再見した際に気付いたことを付け加えておく。

 文芸ヘンタイ大作『パフューム』は味わい深かったな・・・。原作ファンには評判悪かったようだが、主人公の不思議な佇まいと赤毛の美少女のヴィジュアルは忘れ難い。古色蒼然としたパリの風景も見事だった。滝本誠師もパンフに寄稿してたし。

 『イン・ザ・ベッドルーム』に続き、トッド・フィールドはまたもや傑作を物にした。こういう丁寧な作りの作品は時として嫌味な芸術作品に成りがちだが、そうならないところにこの監督の才能を感じる。「ポスト・イーストウッド」は案外この人になるかも知れない。

 邦画も1本と思い、『腑抜けども、〜』を。俳優たちが物語の中で生きている人物にちゃんと「なれる」作品が少なくなった。特に邦画では。その点、この作品は良い。女優サトエリの誕生を喜ばしく思ったな。


■ベスト・アクター&ベスト・アクトレス

2007年最も輝いていた男優と女優。

カート・ラッセル  「スタントマン・マイク」は「スネーク・プリスキン」と並ぶカート・ラッセルのハマリ役となった。結果的に6回も劇場に足を運んでしまったのは、凄まじいカー・アクションを見たかったからではない。スタントマン・マイクに惚れ込んだからである。
 ああ、あんな男になりてえ。
ゾーイ・ベル  『デス・プルーフ』をタランティーノの最高傑作たらしめたのはスタント・ウーマン=ゾーイ・ベルの存在だ。「映画の神」を連れて来たのは彼女なのだ。疾走するダッジの窓からゾーイが身を乗り出した瞬間、それ以前と以後で全映画史を分けてもいい。  


■イイ女賞

思わず「おおぅっ!」とのけぞった女優さんたち。

カリス・ファン・ハウテン

 『ブラックブック』のヒロイン、ハウテン嬢は当然ながらポール・ヴァーホーヴェンの愛人かと思いきや、なんと共演のナチ野郎とプライヴェートでもイイ仲だったんだそうだ。手塚治虫のマンガ「ブラック・ジャック」に登場する「ブラック・クイーン」を実写にしたようなクール・ビューティ。陰毛まで披露しての大熱演。胸の形がなんとも通好み。

マルティナ・ゲデック

 『善き人のためのソナタ』のヒロインで、またまたドイツ人。『マーサの幸せレシピ』が出世作の女優さん。正統派ドイツ人女性体型で、ダイナミックなエロティシズムに圧倒される。「ドイツのモニカ・ベルッチ」という称号を与えたいほど、はっきりした顔の美人。劇中の相手役は、またもや『ブラックブック』のナチ野郎で、今度の彼はレジスタンスの役という紛らわしさ。マルティナ嬢とはその後、デ・ニーロ監督作『グッド・シェパード』でドイツ人スパイ役として再会。

イバナ・バケロちゃん

 『パンズ・ラビリンス』を成功に導いたのは彼女の存在である。13歳のイバナちゃん。直球ではない、ああいう変化球の美少女はやっぱり良い・・・・。肩や脚の露出だけでもう胸がいっぱいである。しかし、思わず夢想するなぁ・・・・7年後あたりにジョニー・デップとイバナちゃんでリメイクされる『ラスト・タンゴ・イン・パリ』を。

キルスティン・ダンスト

 『マリー・アントワネット』で見せてくれた、仏墺国境での輿入れの際のヌードが最高。素っ裸に白いストッキングの後姿が眩しかった。ルイ16世は大バカ野郎だね、あんな美女(ダンストのことをブスとか言う男は盲目です)をもらっておきながらなんにも出来ないとは。と言うか、マリー・アントワネットになりたかったんだな、乙女のオレとしては。


■評価保留作品

とりあえず面白かった!でもどうしてよいやら・・・。

『インランド・エンパイア』

 デイヴィッド・リンチのキャリア史上最も謎めいた作品であった。何を隠そう、この映画の感想をいまだに書いていない。「書く気にならない」「どう書いていいかわからない」など言い訳はいろいろあるが、「映画を見た気がしない」というのが一番の理由か。今までのリンチ作品は曲がりなりにも映画の法則・スタイルに則していたのだが、今回は彼の脳内をダイレクトに覗いてしまった感じなのだ。この映画を見れば、『マルコヴィッチの穴』ならぬ「デイヴィッド・リンチの穴」に入り込むことが出来、誰でもリンチになれる!・・・・と言いたいところだが、そんなはずもなく、滝本誠師のテキストを読んでは「小生もまだまだだな・・・」と自戒の念を強くするばかりである。

『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序』

 なぜ今「エヴァ」を作らねばならぬのか?アスカの「気持ち悪い・・・」というセリフで完結した10年前の劇場版で満足していたものの、今回新しく作られた古いエヴァ物語はかなりの完成度で、改めてエヴァが持つアニメとしての圧倒的優秀さを確認したのだが、いかんせんまだ序盤ゆえその後の展開と完結時のヴィジョンが全く見えて来ず、故に庵野秀明の本当の意図もつかめないという生殺し状態。1本の作品として評価なんぞ出来ようがない。

『ブレイキング・ニュース』

 2007年の1月に見たものの前年公開の作品ゆえ、2007年のランキングに入れることは無かったが、新文芸坐で見てすぐにDVDを購入。再見するごとにその魅力にはまり込んで行ったジョニー・トー監督の傑作。彼の描く香港の街並みは僕の脳をくすぐり続け、熱くてクールな男たちのドラマは『インファナル・アフェア』に匹敵する。もう「この映画大好きだ」としか言いようがない作品。


■特別賞

『ブレードランナー ファイナル・カット』

 『ブレードランナー』という映画は「ウィルス」である。誰もが感染するとは限らないし、どんな発症の仕方をするかも人によって様々である。このウィルスに侵された者は完治しない。僕は25年前に感染したが、この映画から自由だったことはこの25年で一瞬たりとも無かった。

 2007年11月、劇場スクリーンに映し出された『ブレードランナー ファイナル・カット』は25年ぶりの特別な映画体験を与えてくれた。80年代の名画座にかけられた荒れたフィルムでもなく、92年に公開された半端な出来の『ディレクターズカット』でもなく、最新・最高の技術で磨き上げられ、無垢のままデジタル上映された新しい『ブレードランナー』。初公開時のプリントを凌ぐであろう解像度は、25年前に製作された2019年の冥界風景が芸術的にも技術的にも完璧だったことを証明して見せた。

 人間の叡智とは?想像力の源とは?そんなことを考えさせる映画は滅多にあるものではない。才能ある人間たちが集まり、その持てる能力が最高に発揮された瞬間、奇跡のフィルムが誕生したのだ。
 『2001年宇宙の旅』がSF映画史における金字塔だと長い間疑わなかった。しかし『ブレードランナー ファイナル・カット』を見た今は違う。『ブレードランナー』がベストであると断言は出来ない。だが、『2001年』がベストであるとも言い切れない。

 25年ぶりの『ブレードランナー』はそれほどの意識改革を強いた映像体験だった。この25年、『ブレードランナー』を超える映画など現れなかった。『ブレードランナー』を超えたのは結局『ブレードランナー ファイナル・カット』だけだった。
 モーツァルトやザ・ビートルズが音楽に占める位置を、『ブレードランナー』がSF映画という分野において築いたことを、25年というパースペクティヴの中で確認し、その時間軸をリアルタイムで体験した喜びを噛みしめた2007年であった。


■ワースト

2007年、ガッカリしたり怒りが爆発したりした作品たち。

1. 『バベル』

   『悪夢探偵』

   『フリーダムランド』

   『世界最速のインディアン』

   『サンシャイン2057』

   『スモーキン・エース』

   『ハンニバル・ライジング』

   『監督・ばんざい!』

   『ファウンテン 永遠に続く愛』

   『トランスフォーマー』

   『ヘアスプレー』

   『魍魎の匣』
 いずれ劣らぬダメな映画ばかりだが、「偉そう」という理由で『バベル』をワーストのトップに。あとは順位なんかどうでもいいや。ま、一言ずつ。

 『バベル』・・・・お涙のファシズム。

 『悪探』・・・・あえて悪夢を撮る必要など塚本晋也には無い。

 『フリラン』・・・・最も退屈極まりなかった映画。

 『せかイン』・・・・少年の心を持ち続けるオヤジたちって気持ちワリぃーんだよ。

 『サンニー』・・・・SFをナメんなよ、ダニー。

 『スモエー』・・・・『NARC』を撮った監督とは思えぬほど魂の全く入ってない駄作。

 『ハンライ』・・・・レクター博士に見えないんだよねー、まったく。

 『監ばん』・・・・もうヨーロッパの映画祭に行かなければ何撮ってもいいよ。

 『ファンテン』・・・・『CASSHERN』=戦争映画というレベルでの「宗教映画」。

 『トラフォー』・・・・マイケル・ベイの遺作。

 『ヘアスプ』・・・・主演の娘が生理的にダメ・・・なだけじゃないな、やっぱ全部。

 『魍魎』・・・・原田眞人の遺作。


この次はモアベターよ。
(by 小森和子)